武弘・Takehiroの部屋

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歴史ロマン『落城』(6・最終回)

2024年07月18日 02時24分02秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

寄せ手の連合軍はいよいよ総攻撃の準備を始めた。兵力も4000人近くにふくらみ、藤沢勢が兵糧攻めでますます追い詰められているのが分かる。豊島範泰は軍勢を3つの部隊に編制して万全を期したが、ちょうどそういう時、山口貞清が範泰に意見具申にやって来た。
「父上、総攻撃を前に、わが方から軍使をつかわせ、敵に“全面降伏”を呼びかけたらいかがでしょうか。もう勝敗の目途はついています。藤沢勢も無益な戦いはしたくないでしょう。お互いに、無駄な血を流すのは避けたいところです。降伏の条件を整え、使者をつかわすのが一番かと思いますが」
「うむ・・・」
貞清の意見に範泰は一旦うなずいたが、それでは決着が遅れるかもしれない。
「そなたの気持は分かるが、公方さまから早く城を攻め落とせと言われておるんだな」
範泰は、貞清が忠則夫妻のことを思っているのを察していた。小百合たちの身を案じるのは当然だろう。しかし、決着が遅れるのは好ましくない。
「いえ、たった数時間のことです。父上もご存じだと思いますが、こちらには尾高武弘という使者にぴったりの男がいます。この者は小百合のことをよく知っていますし、いろいろの伝(つて)で藤沢城にも内通しています。きっと軍使としてふさわしい働きをするに違いありません」
貞清が食い下がると範泰が答えた。
「たしか、その男は筒井泰宗殿の婿だな・・・よし、降伏の条件について話し合おう」
範泰はついに貞清の求めに応じた。こうして武弘は2人の席に呼ばれたが、降伏の条件は最低限、忠道・忠則親子の自害を含む“完全敗北”である。その条件が満たされれば、小百合たち婦女子の命は保障するという暗黙の了解が込められたものだ。
武弘はさっそく、佐吉を通じて詩織にみずから軍使になる意向を告げた。この話は小百合を介して忠則に伝わったのである。

全面降伏、つまり城の無条件明け渡しに忠則は前向きであった。無駄な血を流さずに降伏することは最も平和的で、家臣たちの命を救うことにもなる。責任は当主である自分が負えば良い。そういう意味で、彼は“全面降伏”の呼びかけに応じたのである。
ただ心配なのは、忠道と忠宗の動向である。父と弟は徹底抗戦の構えを崩していない。この話を聞いたらなんと言うだろうか。それに、公方方の和議の条件がどんなものかまだ分からないのだ。しかし、もう一刻の猶予も許されない。忠則は敵の軍使が来るのを待つことにした。
ところが、和議の話を聞いた忠道が忠宗を伴い血相を変えて談判に来た。
「こんな話は受け入れられない! もう一度考え直せ!」
忠道が詰め寄ってきたが、忠則は動じなかった。
「父上、ここはぜひ私にお任せください。いたずらに血を流すことは避けなければなりません。しかも、敵の兵糧攻めで城内の食糧はもうほとんど底を突いています。城の主として、私は全責任を負って事に当たります」
忠則の毅然とした態度に、忠道らは引き下がざるを得なかったのである。

そして翌日、武弘は単身で藤沢城に乗り込んだ。彼は以前 この城に来たことがあるが、その雰囲気があまりに違っているのを肌で感じた。鎧兜に身を固めた武士たちの中を武弘は進んで行く。そして、彼は奥の間で忠則に面会した。
「忠則さま、お久しぶりです。それがしは軍使として参りました。どうぞよしなに」
挨拶がすむと、2人は城の明け渡しについて最終的な協議に入った。疲れた表情の忠則を見て武弘は少し憐れな気持になったが、事は早急に決めなければならない。突っ込んだ話し合いの末、2人は基本的な合意に達したのである。それは、城主の忠則の自害と忠道らの出家・隠棲、そして小百合たちの放免であった。
忠則は全責任を負って切腹する。あとは家族らの一命を守ろうというものだ。城主としての彼の覚悟に、武弘は敬服せざるを得なかった。
「お見事な覚悟で感服の至りです。早速 わが殿に報告し、よしなに取り計らってもらいましょう。では、失礼します」
そう言って武弘は引き下がったが、奥の間の一隅に、秘密の地下道の出入り口があることを暗に察していた。これは佐吉らから聞いていたので、いざという時に役に立つかと思いを巡らせていたのだ。
武弘の報告を受けて範泰や貞清らは協議に入ったが、特に忠道の処遇について、範泰は強硬な意見を主張した。藤沢家が氏憲方についたのは、何よりも忠道の“横やり”のせいだというのだ。だから、忠道を生かしてはおけないと彼は主張した。このため、協議はなかなかまとまらなかったのである。
一方、その忠道だが、討ち死に覚悟で戦おうという決意は変わらなかった。彼は忠則のもとを去ると、やはり和議に不満な忠宗にこう言った。
「わしは明日、頃合いを見て敵の陣営に攻め入る。もう忠則は相手にしない。和議がどうなろうと知ったことか! 俺はそなたの父・氏憲さまと運命を共にするのだ。どうして仏門などに入れるか! 忠宗、覚悟はできているだろうな?」

「はっ、もちろんできています。私も兄上の考えに反対です。どうして和議など受け入れられるでしょうか。父上に従い、華々しく討ち死にする覚悟です。これぞ武士の本懐と言えるでしょう」
「よくぞ申した。さすが氏憲さまの御子だ。よしっ、明日は共に打って出よう。これは忠則には内密だぞ」
忠宗の決然とした返事に忠道は大きくうなずいた。こうして2人の考えは一致したが、忠則はその夜、小百合を呼んで自分の決意を明らかにした。小百合は夫の気持を察したのか、特に意見を述べることはなかった。これに対し、忠則はもう一度 彼女に生き延びるよう説得したのである。
一方、公方方の話し合いは難航したが、とりあえず藤沢忠則らの身柄を預かり、最終的な処分は改めて足利持氏の指示に従うことで一致した。このため、翌日の午前中に再び尾高武弘が使者となって藤沢城へ赴くことになった。この時、山口貞清は小百合宛ての書状を武弘に託したのである。

そして明くる日、運命の一日が始まろうとしていた。その日はどんよりとした曇り空で、雪こそ降っていなかったが真冬の厳しい寒さが身に染みるほどだ。武弘は佐吉を従えて藤沢城に入り、急いで忠則のもとへ赴いた。
武弘が貞清の書状を忠則に渡すと、彼はすぐに小百合を招き入れた。彼女は意外に明るい表情で武弘に声をかけてくる。
「お久しぶりですね。お元気ですか?」
「ええ、この通り息災にしています」
武弘が答えると、小百合はにこやかに笑顔を見せた。相変わらず美しい。この城が風前の灯火だというのに、少しも憂いを感じさせないのだ。そして、武弘が公方方の協議の結果を報告すると、忠則は何のためらいもなく答えた。
「あい分かった。今日の夕刻までにそれがしが出向くぞ。ところで、これはわしの“軍扇(ぐんせん)”だが、貞清殿に差し上げたい。もうこれは要らなくなった。降参ということだな、はっはっはっはっは」
忠則は屈託のない表情で笑った。武弘は佐吉を残して貞清のもとに戻ると、彼は忠則の軍扇を手に取ってこう述べた。
「あっ晴れな覚悟だな。武人はこうでなければならない」
和議が成立したということで、藤沢家では小百合たちが幸や国松の避難準備を始めた。また、詩織と佐吉は例の地下道から城外へ脱出する手立てを調べていた。ところが、昼頃になって北門の付近で人馬の騒々しい物音がする。忠則の家人(けにん)が見に行ったところ、忠道や忠宗らが鎧兜に身を固め叫んでいた。
「いいか、これよりわれわれは城の外へ打って出る。氏憲さまのご恩を忘れるな~! 者ども、進め~!」
忠道の号令一下、数十人の武者軍団が一斉に北門を出て行った。

これを見た家人は驚き、すぐさま忠則に報告した。
「なにっ、父上らが・・・」
忠則は絶句したが、もう間に合わない。彼は小百合のところに駆けつけ、状況を説明するとこう述べた。
「ぐずぐずしてはおれない。すぐに子供たちを連れて地下道に避難し、母上のいる寺へ行ってくれ。詩織に案内してもらえばいい」
「殿、子供たちはそうしますが、私はここに残ります」
小百合の答えに、忠則は憮然とした。
「駄目だ、一刻の猶予もない。そなたも脱出するのだ。ここはもうすぐ戦場になるぞ!」
すると、小百合は毅然とした表情を浮かべ、忠則を見据えて言い放った。
「私も先ほどまでは脱出することを考えていました。しかし、それは殿が和睦すると言ったからです。もし戦(いくさ)になるなら、私は殿の側でお仕えるするつもりです。何もできませんが、どうぞお許しください」
彼女の決然とした言上に、忠則はそれ以上 説得するのを諦めた。
「そなたも武家の妻だな。好きなようにするがよい」
こうして2人は籠城の覚悟を決め、詩織を呼んで子供たちを避難させることになった。幸と国松は奥の間に連れてこられたが、父母と別れる羽目になるとは思いも及ばない。幼い2人は怪訝(けげん)な顔つきをして父母を見上げた。
「2人ともいい子だ。この詩織について城の外に出なさい。鎌倉の寺にはお婆さまがおられるので、そこでおとなしく待っているのだぞ」
忠則が言葉をかけると幸が聞いてきた。
「父上、母上はいつ来られるのですか?」
「そんなに遅くはない。それまで、お婆さまの言うことを聞いて待っていなさい」
そう言うと、忠則は詩織に目で合図した。小百合が子供たちを強く抱きしめる。2人は何のことだか合点が行かないようだが、父母に急かされ詩織の後に続いた。彼女が部屋の一隅にある“壁板”を開けると、3人は次々に地下道へ入っていく・・・涙をこらえながら小百合がそれを見送った。

一方、北門から出撃した忠道らの部隊は、最も近くに布陣している太田資正の軍勢に襲いかかった。ところが、鎌倉公方方は和議の話し合いが進んでいると油断していたためか、太田勢は奇襲を受けて苦戦を強いられた。藤沢勢は敵兵を次々に打ち破り、資正の本陣に迫ったのである。
この知らせを聞いて、総大将の豊島範泰は激怒した。何の通告もなく和睦の話し合いを打ち切り、藤沢勢が攻めてきたのだ。彼は太田勢にすぐ援軍を送るとともに、藤沢城総攻撃の指令を発した。そして、予期しないこの軍事衝突に最もショックを受けたのが、軍使である尾高武弘であったことは言うまでもない。

武弘はすぐに貞清のもとに馳せ参じた。
「困ったな~、よもや戦いになるとは思ってもみなかったのに」
貞清が憮然とした表情で語ると、武弘が答えた。
「殿、こうなったら今日中に小百合さまを救出しなければなりません。私が命をかけてもやりとげます。どうぞお任せください」
「頼むぞ。だが、お主の命も絶対に守らなければならない。決して無理をしないように」
貞清は救出作戦のすべてを武弘に任せることにした。やがて、公方方の軍勢は藤沢城総攻撃の準備を整えたのである。一方、太田資正の本陣に迫った藤沢勢だが、忠宗が宿敵・資正を見つけると、馬に鞭を入れて一気に駆け寄った。
「資正、覚悟~!」
忠宗は大太刀を振るって一撃を加える・・・資正も必死に防戦するが、忠宗の圧力に押され落馬した。しかし、その時、公方方の兵士が放った矢が忠宗の左肩に刺さり、彼もうめき声を上げて落馬したのである。数人の兵士が忠宗を目がけて殺到した。
彼は痛みに堪えながら太刀を振るったが、そのうち敵の槍が彼の横腹に刺さった。忠宗は倒れ、襲いかかった敵についに討ち取られたのである。この模様を見ていた太田勢は気勢が上がった。藤沢勢はもともと少数だったから、攻守所を変えたのである。
忠道はなおも部下を叱咤激励したが、敵の反撃に遭って後退せざるを得なかった。藤沢勢は結局 北門のところまで押し戻され、城内に戻ったのである。
「おのれ、資正、もはやこれまでか」
忠道はそう言って、館の中に姿を消した。

一方、公方方の軍勢は城を取り囲むようにして総攻撃を開始した。取り囲むと言っても主な目標は北門と東門で、西門と南門にはあまり兵力を投入していない。特に南門は、城から脱出、逃亡する者には事実上 開け放たれた感じだ。
これは婦女子や老人など非戦闘員に配慮したものだが、他所から来た“敗残兵”がまだかなり残っていたからである。彼らは糧食が尽きたので逃げるのに懸命なのだ。また、この南門を通って尾高武弘らも出入りしている。
武弘は佐吉が戻るのを待って、再び城内に入ることにした。
「殿、小百合さまをなんとしても救出しなければなりませんな」
「うむ」
覚悟を決めた武弘は口数が少ない。2人は南門を入ると館の方へ真っすぐに進んだが、その時、寄せ手の火矢がいくつも飛んでくるのが見えた。同時に、東門の方で兵士たちの喚声が上がった。総攻撃はこうして始まったのである。

始めのうちは北門と東門が主戦場だったが、公方方の兵はやがて西門辺りにも殺到した。しかし、藤沢城は前にも述べたように、堀が深く土塁が高くできており、それに逆茂木(さかもぎ)が多くて頑丈なため突破するのはなかなか困難だった。また少人数とはいえ、守備側が必死に防戦したため戦いは長引いてきたのである。
城に戻った藤沢忠道は、忠則に会うやいなや言い放った。
「忠宗は討ち死にしたぞ! 見事な最期だった。われわれも覚悟を決めようぞ」
「父上、それがしも覚悟はできています。最後の戦(いくさ)をしましょう」
「うむ、お主は城の主(あるじ)だ。立派に武士の本懐を遂げよ」
そう言うと、忠道はわずかな手勢を引き連れ再び北門の方へ立ち去った。それから暫くして、待ちに待った詩織が忠則夫妻の前に現われた。
「お子さま方は無事に志乃さまのもとへお連れしました。もうご心配は無用です」
「おお、それは大儀であった。あとは母上が見てくれよう」
「ご苦労さまでした。大変だったでしょう。これで幸も国松も息災でいてくれます。安心しました」
詩織の報告に、忠則も小百合も胸をなでおろし笑顔を見せた。子供たちは無事に鎌倉のある寺に保護されたのだ。もう思い残すことはない。これで心置きなく戦うことができる。忠則にはもう迷いはなかった。父や弟に負けず敵を迎え撃とう。彼の心に“城主”としての誇りがみなぎった。
一方、館に入った武弘と佐吉は奥の間へ行こうとしたが、数人の武者に阻まれた。
「使者として参ったぞ。そこを開けてほしい」
武弘がそう言っても、彼らは行く手を阻んで動かない。
「殿の厳命です。通すわけにはいきません」
顔見知りの中年の武者が頑として答えた。
「なにっ、この方は特命を帯びた軍使殿だ。そこを通せ!」
佐吉が刀の柄(つか)を握り詰め寄ったので、緊迫した空気が流れた。
「待て、いたずらに事を構えてはいけない。われらが参上したことだけでも、殿に伝えてもらいたい。急いでいるのだ」
武弘が佐吉を制してそう言うと中年の武者は黙っていたが、しばらくして奥の間へと姿を消した。だが、そのあと、いつまでたっても姿を現わさない。武弘らはしだいに焦ってきた。日暮れが近づき周りは薄暗くなってきた。その時、外で一斉に矢が放たれる音がしたのだ。
「火矢か?」
「そうでしょう。見てきます」
佐吉が急いで館の外へ出て行ったが、やがて戻ってくるとこう叫んだ。
「火矢の一斉攻撃です! このままでは館が燃え尽きます!」

「そうか、もう待てない」
武弘がそう言うと、数人の武者も動揺したのか一斉にその場を離れた。彼らがいなくなったので、武弘たちは苦もなく奥の間へ入ったが、そこには忠則夫妻の姿が見えない。
「佐吉、小百合さまを探そう!」
そう言って、武弘が館を出て北門の方へ向かうと、深手を負った忠道が忠則に支えられながら退いてくるところだった。
「武弘殿、武士の情けだ。そこをのいてくれ!」
忠則はそう言うと館の入り口に達し、忠道をその場に休ませた。
「わしはここで自害するぞ。忠則、ご苦労であった」
血まみれの忠道は座り直すと、脇差を抜いて大きく息を吐いた。
「父上、介錯しましょうか」
「介錯無用! お主は館に入り、立派に最期を遂げよ」
「はっ」
親子のやりとりは簡潔である。やがて、忠道は脇差を腹に刺し苦悶の末に事切れた。この様子を見届けて、忠則は武弘に声をかけてきた。
「かたじけない。あとは館に火を放つので、ここでお別れとしよう」
「殿、お方さまはいずこに?」
「もうすぐここに来る。そこもとは早く引き下がるように」
「そうはいきませぬ! 私は小百合さまを助け出さねばなりません」
「なにを言っているのか、小百合はもう自刃を覚悟している」
「そんな・・・滅相もない」
忠則と武弘が言い争っているうちに、東門の方から小百合と3人の家来が姿を現わした。その様子を見て武弘は唖然とした。鎧に身を固め薙刀を持った小百合は返り血を浴びている。武弘はふと昔、じゃじゃ馬だった小百合のことを思い出した。
「小百合さま、ここは危険です。一緒に城外へ出ましょう」
「武弘殿、ほっといてください。私は殿と一緒に館に入ります。今生の別れとなりますね」
「貞清さまから戻ってこいとのお達しです。あなたを連れ出さねば、私は殿に申し開きができない。たってのお願いです!」
武弘と小百合が言い合っていると、3人の家来が彼に詰め寄ってきた。
「そこをどけ! どかぬと斬るぞ!」
3人は小百合を護衛しながら、忠則のもとに集まった。
「悪く思うな。こうするしかない。貞清殿によしなに伝えてくれ」
忠則はそう言うと、小百合をかばうようにして館の中に入っていく。その後に抜刀した3人の武者が武弘を睨み付けながら続いた。

夜の帳(とばり)が下りると、寄せ手の軍勢は最後の攻撃をかけた。豊島範泰の部隊はもちろん、太田資正や山口貞清らの部隊も続々と藤沢城に侵攻していく。あちらこちらで敵味方の衝突が起きたが、もはや勝敗の行方は明らかだ。多勢に無勢で公方方は敵の館を二重、三重に取り囲んだ。
その時、館の中央部分から激しい火の手が上がった。藤沢勢が放火したのは間違いない。
「おお、小百合や武弘たちはどうなったのか・・・」
貞清が思わず声を出した。しかし、味方の軍勢はほとんど沈黙したまま火炎が広がるのを見守っている。館に突入する者はいない。敵は自滅するだけだ。
この時、武弘と佐吉はすでに館の中に入っていた。事前に調べていたので裏手の通路から進入したのだ。彼らは猛煙をくぐり抜けるようにして奥の間に入った。そこで見たのは・・・藤沢忠則がすでに自刃し、うつ伏せになって倒れている。傍に刀を持った小百合と詩織がいた。小百合は薙刀を刀に替えていたのだ。
「小百合さま! どうかお逃げください。お供します!」
「武弘殿、私は忠則さまの後を追います。この詩織をよろしく。いろいろお世話になりましたね」
「姫! なにを言うのですか。火が迫っています、一刻も早く逃げましょう!」
小百合とのやり取りで、武弘は思わず“姫”と叫んでしまった。彼の必死の呼びかけにもかかわらず、小百合は覚悟を決めていた。
「お子さまは鎌倉の寺で無事に保護されましたぞ。早く会いに行きましょう!」
武弘はなおも食い下がった。しかし、小百合はくるりと背を向けるとなにやら念仏を唱え、次の瞬間、刀を抜くと柄の方を床に止めその上に勢いよく身を投げたのである。刃は小百合の胸に刺さり、彼女はうめき声を上げてその場に倒れた。あっと言う間の出来事だった。
武弘と佐吉は呆然として立ちすくんでいたが、詩織が小百合の傍にすぐに駆け寄り泣き伏した。彼女はあらかじめ小百合から言い含められていたが、やはり感極まったのだろう。それと同時に、武弘は責任の重さを痛感した。
命をかけても小百合を救出すると、何度も主君の貞清に約束したではないか。それがこの結果である。責任を果たさなければならない。自分の責任を果たすためには、もはや唯一の道しかない。武弘は佐吉に言った。
「山口に帰ったら小巻に、あとのことはよろしく頼むと伝えてくれ」
「えっ、どういうことですか?」
佐吉が驚いて聞き返した。そうしている間にも火炎の勢いはますます強まり、奥の間は煙が充満して息苦しくなってきた。遺言を書けないのが残念だ・・・ そう思いながら、武弘はひたすら小巻と子供たちのことを脳裏に浮かべていた。

「お主は詩織殿と一緒に逃げろ。わしは貞清さまに申し開きができない。小百合さまのあとを追う。これが武士の務めだ」
「なんと! それはなりませぬ。貞清さまや皆が待っています。さあ、一緒にここを出ましょう」
佐吉がそう促したが、武弘はきっと睨み返し言い放った。
「下がれ! わしの命令だ。貞清さまや皆にはよろしく伝えてくれ。一刻も早くここを出よ!」
そう言うと武弘は刀の柄に手を置き、佐吉を追い払うかのように詰め寄った。もうこれまでと観念したのか、佐吉はついに首(こうべ)を垂れた。
「やむを得ません。もはやこれまでです」
彼は深々と一礼すると、詩織の手をしっかりと握りその場を立ち去った。炎と猛煙が武弘の周りに迫ってくる。息苦しさはいっそう酷くなるばかりだ。武弘はそこに座って脇差を抜く・・・ すると、ある思い出が蘇ってきた。
それは昔、小百合と山口城の土塁の上を歩いていた時だ。いつしか“霊魂”の話になり、武弘が「空の向こうには無数の霊魂があるはずです」と言ったら、小百合は「現世で一緒になれなくても、死ねば私はあなたと永遠に一緒になれる」と語ったことだ。
昔の思い出が鮮やかに蘇り、武弘はそれがいま現実のものになったと実感した。あとのことは小巻に任せれば良い。彼女はしっかり者だから、なんの心配も要らない。子供たちは立派に成長していくだろう。小百合を救出できなかった責任を取る・・・ つまり、自分は“大義名分”のために死ぬ。
それは武士の掟(おきて)だが、実際は絶命した小百合のあとを追いたいのだ。大義名分のために死ねば、自分は忠則や貞清の存在を越えられるだろうか。たぶん、2人を凌駕するに違いない・・・ そう自問自答しながら、武弘は脇差の刃を左下腹部に当てた。そして、一気に自刃! 
彼は苦悶の中を小百合の遺体ににじり寄った。そして、心の中で叫んだ。「姫、これであなたとあの世で永遠に一緒になれます!」 

武弘は遺体に覆いかぶさるように倒れると、彼女の流れ出た鮮血に顔を埋め息絶えたのである。 

それからしばらくして、猛火に包まれた館は崩れ落ち黒煙が真冬の夜空を覆った。こうして、藤沢城は陥落したのである。(完)

 

<主な参考文献・資料>
日本国王と土民(集英社版・日本の歴史9) 日本史図録(山川出版社) 図解・日本史(成美堂出版) 私本太平記(吉川英治) ネット関連資料など

<参考映像・イメージ映像>
NHK大河ドラマ『太平記』 同『樅の木は残った』 映画『忍ぶ川』


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