かつて 憧れの女子大生がいた 僕が夢見たのは 彼女と喫茶店に行くことだ
何度も何度も その機会をうかがった しかし 一度も行くことができなかった
どうしてだろう 僕が不器用で誘い下手なのか 意気地なしで奥手なのか
彼女が高慢ちきで 冷たいのか 僕を嫌って避けていたのか
それは分からない それは分からないが 彼女を誘い出せなかったのが 悔やまれる
かつて 喫茶店は“オアシス”だった 片隅の古びたシートに座ると
美しいクラシックが流れ 疲れた心と体を癒してくれる テーブルには一杯のコーヒー
それをすすりながら 僕はいつも夢想に耽った 過去のこと将来のこと彼女のこと
とりとめのない想いが 目の前をよぎり 消え去っていくのだ
僕はあの世へやって来た もよりの喫茶店に入る すると いちばん奥の席に
なんと 彼女が座っているではないか 僕はわが目を疑った 本当に彼女なのだろうか
間違いない 正真正銘のあの人だ! 僕は恐る恐るその席についた 軽く会釈すると
彼女もにっこり微笑んだ まるで僕を待ちかねていたよう 夢のようではないか
ようやく T子さんと二人きりだ 彼女は紅茶を飲んでいる 僕がコーヒーを注文すると
何とも形容しがたい 天上の音楽が流れてきた それにしばらく耳を傾けていると
彼女が「元気でしたか」と問いかけてきた 僕は頷いて「ようやく天国に来られた」と答える
二人は永遠のくつろぎの中で たわいない会話を楽しむ ここには“時間”がないのだ
いつまでもいつまでも 会話が続く いったい何を話しているのだろうか
彼女も僕も立ち上がろうとしない ここの喫茶店は永遠に開いているのだ
天上の音楽も 高まったり低まったりするが 途切れることはない
二人は疲れも眠気も感じない 微笑みながら ひたすら会話を楽しむ
どのくらい話しをしていたのだろうか・・・ 僕はようやく立ち上がろうとした
「少し散歩でもしない?」「ええ」とT子が答える 昔の彼女からは想像もできないほどの従順さ
僕は嬉しくなって喫茶店を出た 天界には様々な景色が広がっている どこへ行こうか
振り向くとT子がついてくる 僕は意気揚々と歩き始めた そうだ あの森へ行こう
「あの森がいいね」 そう言うと彼女が素直に頷いた しかし 僕が手を差し伸べると
微笑んでいる彼女の姿は 一瞬にして消えてしまった 彼女は永遠に消え去ったのだ