〈以下の記事を復刻します〉
織田信長の肖像画(三宝寺所蔵)
織田信長については、実に多くの伝記や歴史小説が出ているので、ほとんどの人がその存在を知っていると思う。 また、私などよりも、信長について詳しく知っている人は大勢いるはずである。 従って、具体的な事例を示しつつも、むしろ私の“信長観”をできるだけ語っていきたいと思う。 一言でいって信長は、日本史上、類例を見な . . . 本文を読む
<以下の記事を復刻します。>
本多忠勝の画像(良玄寺蔵)
ふと、本多平八郎忠勝という武将を思い出した。徳川家康の家臣で“徳川四天王”の一人であり、その豪勇ぶりは天下に知られていたという。なぜ本多忠勝を思い出したかというと、昔、ある歴史書で読んだのだが、彼は生涯50回以上の戦いに参加したのに、かすり傷一つ負わなかったというので有名なのだ。そこですぐに調べたくなった。ウ . . . 本文を読む
<以下の記事は2008年4月18日に書いたものです。>
1)昔から、コスモポリタニズム(世界市民主義)や世界連邦主義はあった。しかし、最近は「グローバリズム」というのが注目を集めている。国際主義と言うのだろうか、あるいは地球一体化運動とでも言うのだろうか、定義はさまざまなようである。私にはよく分からないが、経済的には市場主義と資本の論理の国際化を目指しているようだ。資本主義が世界的に拡大し、各国 . . . 本文を読む
<2017年12月に書いた以下の記事を復刻します。>
南京虐殺事件
すでに多くの人が知っていることだが、日本テレビ系の各社は10月4日に、いわゆる「南京事件」のドキュメントを放送した。小野賢二さんという方の調査を本に構成したものだが、これは「南京事件」を知る上で大きな手がかりになるものだ。「南京事件」の全容については依然 不明な点があるものの、小野さんらの努力でだいぶ明らかになった。中国側 . . . 本文を読む
マハトマ・ガンジー
ドイツでヒトラーが政権を握った時、インドのガンジーが大喜びをし、祝電まで送ったと聞いて 私は一時がっかりした。 あの立派なガンジーがなんたることかと思ったが、よく考えてみると、それも不思議ではない。大英帝国・イギリスは当時、インドを征服するなど世界の7つの海を支配していた。ガンジーはインドの独立を切に望んでいたから、イギリスの“強敵”になるヒトラー . . . 本文を読む
<以下の記事を復刻します。>
『秋瑾~競雄女侠~』という映画(DVD)を観たが、これは中国の清朝末期の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の物語である。やたらに“カンフーシーン”が多いのを除けば、史実に忠実な映画なのだろう。秋瑾については、有名な「秋風秋雨 人を愁殺す」という最期の詩ぐらいしか知らなかったが、今度初めて、彼女の人となりや人生が分かり満足している。良家の子女に . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します>
イネッサ・アルマンド
20世紀最大の革命家レーニンの恋人について語りたい。といっても、私はその人、イネッサ・アルマンドのことをよく知らない。よく知らないくせに書くとは不謹慎この上ないのだが、どうしても書きたいので始めにお許しを願いたい。それほど、レーニンの“永遠の恋人”に関心があるのだ。レーニンは亡命中の1909年にイネッサと知り合ったそう . . . 本文を読む
〈記事を一部訂正したので、以下のように復刻します。〉
10月21日は「国際反戦デー」で昔は大いに盛り上がったが、今やほとんどの人に忘れ去られている。また、この日は1943年(昭和18年)に初めて「学徒出陣」があった日だが、それもほとんど忘れ去られてしまった。10月21日を「国際反戦デー」として呼びかけたのは当時の日本の総評だが、これは総評が1966年の当日、ベトナム戦争反対の統一ストを行なったこ . . . 本文を読む
ちょうど50年前の今日、東海道新幹線が開通した。朝のテレビなどで特集をやっていたが、懐かしくなったので何か書きたくなった。私事だが、この年 私は東京のあるテレビ局に入社し、たまたま報道部門に配属されたので当時のことをわりとよく覚えている。口の悪い先輩ディレクターが「新幹線は、そのうち必ず大事故を起こすぞ!」と吠えていたが、50年たっても人身事故はゼロだという。結構なことである。だいたい、報道なんか . . . 本文を読む
テレビでサラエヴォ銃撃事件から100年という放送をしていた。1914年6月28日、今のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォで、時のオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された。あまりにも有名な事件なので説明を省くが、これが第1次世界大戦の発端になったものである。銃撃事件から1ヶ月あまりで、あれよあれよという間にヨーロッパ中が戦争の渦中に引きずり込まれた。大公夫妻 . . . 本文を読む
あれから50年たった。あれからと言うのは、ジョン・F・ケネディ米国大統領の暗殺から50年たったのだ。1963年11月22日(日本時間で11月23日未明)、ケネディ大統領は遊説先のテキサス州ダラスで凶弾に倒れた。享年46歳。ケネディ暗殺事件は当時の世界に大きな衝撃として伝わった。現職の米国大統領が突然亡くなるだけでも大ニュースだが、それがライフルの銃弾で狙撃されたという事件だけに、余計にショックだっ . . . 本文を読む
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
聖徳太子が隋(ずい)の煬帝(ようだい)に送った有名な国書の件だが、これを読んで煬帝は非常に怒ったとされる。なぜ怒ったのか。天子は自分一人だけと思っていたのか、日出ずる処と日没する処に怒ったのか。いずれにしろ「無礼である。二度と取り次がせるな」と、煬帝が怒ったのも無理はない。しかし、聖徳太子の毅然とした態度は立派ではないか。いまどきの中国(シナ) . . . 本文を読む