<以下の記事を復刻します。>
赤穂浪士の姿
日本人に最も親しまれている物語に『忠臣蔵』がある。ごぞんじ赤穂浪士47人の討ち入りを描いたもので、あまりにも有名だから説明する必要もないだろう。それほど赤穂浪士の討ち入りは、300年以上にわたって日本人の心を揺さぶってきた。俗に“元禄赤穂事件”と呼ばれるこの討ち入りは、今で言うと正に“テロ行為”だと . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します。>
源氏と平家・・・日本人には最も馴染みの深い武家の名字である。私たちは子供の頃から「平家物語」や「源平盛衰記」などに慣れ親しんできた。源義経(幼名・牛若丸)の活躍や平敦盛の悲話など、数多くの物語に共感して育ってきたのである。 子供の頃はだいたい、源氏が好きになるものだ。私も源氏が大好きだった。武士らしく勇ましい“坂東武者”が、平家の軍勢 . . . 本文を読む
<2012年10月に書いた以下の記事を復刻します。>
キスカ島
戦史に詳しい人はとっくにご存知のはずだが、太平洋戦争中にアリューシャン列島のキスカ島から、日本軍の守備隊5200人余りが1人残らず無事に生還するという“快挙”があった。この史実を題材にした映画(DVD)を最近見たばかりなので、どうしても書きたくなった。日本の戦争映画というと、玉砕・玉砕・玉砕の物語が多い . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します。>
1) 私がここで述べたいのは、唯物史観(史的唯物論とも言う)による俗物的な見方に反論することである。この俗物的な見方は、歴史における個人の存在や行動を極めて過小評価し、個人の人間性の重大さを軽視するからである。 例えば、分かりやすいことから述べてみよう。 織田信長がもし生存していなかったら、16世紀後半の日本の歴史は、一体どうなっていただろうか。勿論、誰にも予測がつか . . . 本文を読む
1) 日本の古代史に関する書物を読んでいくうちに、いちばん苛立ってくるのは、古代中国の文献に出てくる『距離の問題』である。 我々日本人にとって最も興味深い「三国志・魏志倭人伝」では、3世紀に魏王朝が治めていた朝鮮半島の帯方郡から倭(日本)の邪馬壹国(やまいちこく)までの距離が1万2千余里となっているが、肝心の「里」の長さがどのくらいか明示されていない。そこで、いくつかの本を読んでいくと、驚くな . . . 本文を読む
<2008年1月29日に記した以下の記事を復刻します。>
1)「邪馬台国(やまたいこく)」などは存在しなかったということを、私は以前の小論(「日本は『邪馬壹国(やまいちこく)』から始まった」を参照・・・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/5ae75694993b9869f4382964cd686597)で述べたが、これは日本古代史の碩学・古田武彦氏の著作 . . . 本文を読む
古田武彦氏は2015年10月14日に京都市内の病院で亡くなられた。享年89歳。ここに謹んでご冥福をお祈りするものである。
(2008年1月1日に書いた以下の文を復刻します。 なお、この記事に批判的な方のコメントもきちんと載せていますので、ぜひご覧ください。日本の古代史について、関心が高まることを切に願っています。)
1) 日本の古代史について、私は古田武彦氏の学説に大いに共鳴し感謝している . . . 本文を読む
〈記事を一部訂正したので、以下のように復刻します。〉
10月21日は「国際反戦デー」で昔は大いに盛り上がったが、今やほとんどの人に忘れ去られている。また、この日は1943年(昭和18年)に初めて「学徒出陣」があった日だが、それもほとんど忘れ去られてしまった。10月21日を「国際反戦デー」として呼びかけたのは当時の日本の総評だが、これは総評が1966年の当日、ベトナム戦争反対の統一ストを行なったこ . . . 本文を読む
ちょうど50年前の今日、東海道新幹線が開通した。朝のテレビなどで特集をやっていたが、懐かしくなったので何か書きたくなった。私事だが、この年 私は東京のあるテレビ局に入社し、たまたま報道部門に配属されたので当時のことをわりとよく覚えている。口の悪い先輩ディレクターが「新幹線は、そのうち必ず大事故を起こすぞ!」と吠えていたが、50年たっても人身事故はゼロだという。結構なことである。だいたい、報道なんか . . . 本文を読む
テレビでサラエヴォ銃撃事件から100年という放送をしていた。1914年6月28日、今のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォで、時のオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された。あまりにも有名な事件なので説明を省くが、これが第1次世界大戦の発端になったものである。銃撃事件から1ヶ月あまりで、あれよあれよという間にヨーロッパ中が戦争の渦中に引きずり込まれた。大公夫妻 . . . 本文を読む
あれから50年たった。あれからと言うのは、ジョン・F・ケネディ米国大統領の暗殺から50年たったのだ。1963年11月22日(日本時間で11月23日未明)、ケネディ大統領は遊説先のテキサス州ダラスで凶弾に倒れた。享年46歳。ケネディ暗殺事件は当時の世界に大きな衝撃として伝わった。現職の米国大統領が突然亡くなるだけでも大ニュースだが、それがライフルの銃弾で狙撃されたという事件だけに、余計にショックだっ . . . 本文を読む
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
聖徳太子が隋(ずい)の煬帝(ようだい)に送った有名な国書の件だが、これを読んで煬帝は非常に怒ったとされる。なぜ怒ったのか。天子は自分一人だけと思っていたのか、日出ずる処と日没する処に怒ったのか。いずれにしろ「無礼である。二度と取り次がせるな」と、煬帝が怒ったのも無理はない。しかし、聖徳太子の毅然とした態度は立派ではないか。いまどきの中国(シナ) . . . 本文を読む