武弘・Takehiroの部屋

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第1次世界大戦から100年

2014年07月01日 08時19分43秒 | 歴史

テレビでサラエヴォ銃撃事件から100年という放送をしていた。1914年6月28日、今のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォで、時のオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された。あまりにも有名な事件なので説明を省くが、これが第1次世界大戦の発端になったものである。
銃撃事件から1ヶ月あまりで、あれよあれよという間にヨーロッパ中が戦争の渦中に引きずり込まれた。大公夫妻が暗殺されたことは確かに大事件だろうが、よもや世界大戦に発展するとはどれほどの人が予測しただろうか。とても予測できなかったはずである。恐ろしいことだ。
当時はテレビはもちろんラジオもない時代で、一般の人はほとんど新聞に頼るしかなかった。情報が少なかったのは事実だが、それが戦争の原因になったわけではなかろう。情報が少なくても正しければ、的確な判断ができたはずである。ここで、当時のヨーロッパ情勢をいちいち検証する時間はないが、100年前は今と違って、はるかに単純な論理で世の中が動いていたのではと推測される。
例えば“愛国心”だ。「ドイツが攻めてくるぞ!」と叫べば、おおかたのフランス人は直感的に戦おうとしただろう。逆の場合もそうである。当時の独仏関係は、1870年の普仏戦争以来そんなものである。だから、戦争遂行の為政者にとっては、単純な愛国心を煽り立てるのは容易なことだったと思う。だから最近の研究では、ドイツやフランス、ロシアの数人の外交官らによって、第1次大戦は引き起こされたという説が有力になっているという。
これなどは、ごく少数の野心家によって多くの民衆が戦争の犠牲になったという説だが、ここで戦争の原因を究明するつもりはない。ただはっきり言えるのは、サラエヴォの銃声が大戦の引き金になったのである。当時は単純な愛国心に対して、「反戦平和」の国際運動も盛り上がっていた。第2インターナショナルは、戦争阻止に向けて多くの人からも支持されていたのである。
それにもかかわらず、サラエヴォの銃声からわずか1ヶ月あまりで前例のない大戦が勃発した。戦争とはなにか、平和を守るとはなにかを改めて問い直すべきだろう。そこで、私が愛読している『チボー家の人々』を紹介しておきたい。マルタン・デュ・ガールが書いたこの小説は、当時のヨーロッパ情勢を知る上でも最適だと思う。
サラエヴォの銃撃事件を知った作中人物が、ドイツ語で「信じられない!」と言うシーンは特に印象に残る。

『チボー家の人々』


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