日本共産党・宇田たか子です

ひたちなか市議会議員、現在3期目 奮闘中。
武力で平和は守れない、東海第二原発廃炉
守りたいものは、いのち。

宇田たか子の〝生い立ち〟記を、シリーズでお届けします。

2015年10月07日 | 日記

宇田たか子の生い立ち(1)ー高校時代まで

私は、群馬県伊勢崎市(旧佐和郡境町)に生まれ育ちました。利根川を挟んで向こう側は、埼玉県深谷市です。

群馬県は、島小学校、境小学校の校長をつとめられ、独自の教育実践を積まれた斎藤喜博先生を輩出した地でもあります。

また、深谷市では、斎藤公子先生が、子どもの発達を科学的にとらえ、乳幼児の全面発達を目指す保育実践をされていました。それが、さくら・さくらんぼ保育園です。後に、私の職業選択で、大きく影響を受けることになる保育実践です。

私が、今年3月まで園長をつとめてきた〝はなのわ保育園〟は、斉藤公子先生の保育を学んで実践している保育園です。


私は、1963年生まれ。双子の一人です。6歳上に兄、3歳上に姉がいます。 

 右側が、私、たか子です。      

 

両親は、小学校の教師をしていました。実家から離れての二人暮らしでした。

祖父母は、早くに亡くなり、便利な電気製品、育児用品がない時代 育児休暇も保育園もない時代に、母は、4人の子どもを仕事をしながら実家の協力もなく、育て上げました。よく仕事をし続けられたと、母親ですが、一人の女性として、尊敬しています。

 七五三の記念写真。母親に抱かれた手前の子が私、たか子です。


中学校時代は、バスケット部に入部しました。小柄な私が、少しでも「背が伸びるかな?」と、乙女心からの入部でした。


高校時代は、女子高校に入りました。伝統ある前橋女子高校でしたが、生徒会長に立候補者がいないという事態が発生したとき、正義感が強い方だった私は、「誰も立候補する人がいないとは、どういうことか!」と、生徒会役員選挙に出馬をすることにしました。 

会長になってからは、多くの生徒と一緒に、かねてからの要求であった、音楽室でのロックコンサートを実現しました。  (つづく)

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「がんばってください」と、私の訴えを聞いてくださった方々が、励ましてくださいます!

2015年10月07日 | 日記

あたたかい激励を、ありがとうございます!

昨日は、風が心地よいとてもいい秋晴れでした。私は、市内10数ヶ所で、「どんなひたちなか市を望むか」政策の訴えを行いました。

ある場所では、はじめ人影はなかったのですが、ご高齢の女性の方が自転車で出かけようと道路に面しました。すぐに行ってしまうものと思っていたのですが、その方はなんと、すぐには出かけずに、私の方を向いてくださり、訴えを最後まで聞いてくださいました。

話を終えた私は、その方のところへ行き、「皆さんの声、しっかり届けます」と言うと、「がんばってください」と、返ってきました。心が通じたかな?と思い、「がんばろう」と、力がわいてきました。

            

またあるところでは、ご自宅の玄関周辺のお掃除をされていた若い女性の方がいらっしゃいました。不思議そうにチラッと私のほうを見てくれましたので、私は、私の話し声が「うるさい」と感じているのかな?と心配になりました。

 

話し終えてから、「お騒がせしました」と、その方にごあいさつすると、「がんばってくださいね」と、また励ましをいただきました。皆さん、私の訴えをきちんと聞いてくださり、励ましてくださる。きっと、思いが同じなのだと感じました。

              

どうしても、「皆さんの思いをきちんと市政に届ける仕事をやらせていただきたい」、強く思いました。

宇田たか子リーフレット、ご覧ください。

 

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