村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

プチ一人旅 唐桑半島編

2013年11月28日 22時56分15秒 | 旅行・温泉

プチ一人旅 館ヶ森高原ホテル編の続きです。

ホテルをチェックアウトし周辺を散策しようと思ったが、

なかなかこちらの方へ来る機会がないので、気仙沼から陸前高田まで津波被災地を北上してみることにした。

家内が釜石市に住んでいたこともある関係で一関から気仙沼を経由し釜石までは何度か行ったことがある。

国道284号で気仙沼へ向かいそこから国道45号を北上した。

陸前高田市の高田の松原はなんとなく思い出にあったがもう思い出すことはできない。

陸前高田市に入ると右手に「奇跡の一本松」が見えた。

「奇跡の一本松」だけには会って行こうと思ったが、どこも工事中で「関係者立ち入り禁止」の表示が!!

事前に下調べもしていかなかったのが悪かった。

工事車両もガンガン走っているし邪魔になりそうだったので結局車中から見るだけになってしまった。

残念!!写真も取れませんでした。

ちょっとショックだったのでそこからの北上をやめて気仙沼に引き返すことにした。

気仙沼に向かう途中に「唐桑半島」の標識が、

以前唐桑半島ビジターセンターの津波体験館を見学したことがあったので寄り道。

途中に「巨釜・半造」の案内があったので行ってみた。

かなり前に来たときに遊歩道を歩いて、海に突き立った石を見たような気がする。

やっぱりそうだった。

でも何が「巨釜」で「半造」なのかわからない?

海に突き立った石は「折石」と言うものだった。

明治29年に発生した三陸大津波で先端が2m程折れたので「折石」と呼ばれているそうです。

そこから今度は唐桑半島ビジターセンターへ

唐桑半島ビジターセンターは唐桑半島の自然を紹介すると言うよりも津波を紹介するセンターになってますね。

建物はそんなに大きいものではなく「津波体験館」は別棟になっています。

お客さんは残念ながら俺一人でした。つまり独り占めと言うやつです。

係のおじさんが「津波体験しますか?」と言うから「もう体験しました!!」と言ってしまった!!

違うんです。「津波体験館」での「津波体験」なんです。失礼しました!!

ずいぶん昔になるが体験したことがあるので新鮮味がないがせっかくだから370円払って体験することにした。

内部は撮影禁止なので写真はありません。

津波をテーマにした映像と音響、振動、風で臨場感を出しています。

以前は過去の津波を題材にしたものでしたが、リニューアルされたようで東日本大震災の大津波がメインになってました。

以前は大したことないと思っていましたが、実際にあの津波を体験した身体には恐怖感的なものがこみ上げてきました。

座っているイスが固定されている床が揺れる仕組みになっていて震度4の地震が発生した後に

大津波が映像で襲い掛かってきます。津波と一緒に風も吹いてくるので臨場感たっぷりです。

2011年3月11日午後3時36分頃突然襲い掛かってきたあの大津波の記憶が頭の中から突然襲い掛かってきたような気がします。

貸切での体験だったので少しリアル過ぎる体験になってしまいました。

館内は東日本大震災の大津波の被災状況がメインの展示になっています。

あれからもうすぐ2年9ヶ月。

忘れてはいけないことなんですね。

「写真撮影はご自由にどうぞ」と言われましたので撮影させていただきました。

これだけ大きな被害だからみんなで力を合わせなければ復興には結びつかないですよね。

津波に対する心構えは!! そうなんですよ!!

過去の大津波についての記録もありました。

三陸のみなさんは何度となく津波に襲われていますが、いつもその被災を乗り越えて立ち上がってきたんです。

その経験があっても防ぎきれない過去に例がないほど大きかった津波だったんですね。

人間がいくら努力しても防ぎようのない地震や津波、噴火。

一番の防御は「安全な場所に避難する」なんですよ!!

明治29年(1896年)に発生した三陸大津波の時の言い伝えが「津波ものがたり」として伝えられているそうです。

「風呂桶に入ったまま流される」

俺の友人でも自宅の居間でソファーに座ってテレビを見ているときに津波が襲い掛かり、

ソファーに座ったまま家の外に流され、かろうじて木につかまり助かった人もいます。

今の風呂桶ではありえないことですが、同じような経験をした人もいるでしょう。

「みどり児を抱いた母の哀れ」

南相馬市でも地区の避難所に避難して、そこに津波が襲い掛かり子供を必死に抱き留めて木にしがみついていたんですが、

津波の勢いに耐えられず子供を流された方もいます。昔も今も変わらぬ悲劇はあるんですよ。

「交換嬢の大活躍」

津波が来るという情報を得た電話の交換嬢が、電話線が切れるまで電話をかけまくり避難を促して多くの人が助かったという話。

南三陸町では、防災庁舎から津波が襲い掛かるまで避難を呼びかけ多くの人が助かったという現実があります。

悲しいことに最後まで呼びかけた方はお亡くなりになりましたが、それも過去に例のない大津波だったことが災いしたのだと思います。

もし、高台に防災庁舎があったらそんな悲しいことは起こらなかったでしょう。

陸前高田町から南三陸町まで海岸線を車で走ってみましたが、

本当に痛ましい大きな被災だったことがうかがえます。

でも、

復興へ向けた本当に目に見える活発な動きは感じられました。

南相馬市はそういう姿がまだ見られません。

地震と津波の被災だけだったら・・・・・・!!

原子力発電所

クリーンで大きなエネルギーを得られるかもしれない。

しかし、

一旦大きな事故が起きたら

取り返しのつかない、元に戻すことが出来ない、悲しい世界が広がることを忘れてはならないと思います。


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