村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

今年最後の思い

2012年12月31日 22時00分00秒 | 日記

2012年も今日で終わろうとしている。

辰年の始まりには昇り竜のごとく復興が進むのを期待したのでがあまり進展は見られなかった。

期待した馬事公苑ディスクゴルフコースの再開は果たせなかった。

会社も「警戒区域」は再編されて制限なく生産できるようになったが苦しい状況は続いている。

農業も田んぼのひまわりプロジェクトは失敗に終わったしコメの不耕作が続いている。

地域の除染は進展なく先が見えていない。

結果的に今年はあまり進展がみられず停滞した年だったのかもしれない。

でも悪いことばかりではない。

1月からブログを始めました。

震災以来初めて南相馬市でディスクゴルフの大会を開催することができた。

JPDGA公式戦も1戦ではあるが参加することができた。

津波被災の愛車も復活することができた。

そして、

今年も多くの方々からご支援やご声援を頂きました。

頑張ることができない状況での支援や励ましの言葉に申し訳ないような気がするが、

その支えがなければ今年でやる気を失っていたかもしれない。

今年もご支援やあたたかい励ましの言葉を賜りました皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

明日からの新しい年もあまり進展は見られないかもしれない。

しかし、

震災前の当たり前の生活が戻るようになるには頑張るしかない。

明日から気持ちを新たに

やる気、元気、そして、できる必ずできるという気持ちを奮い立たせて頑張る。

そして、

必ず復興してやる!!


浦霞飲みくらべ

2012年12月31日 07時00分00秒 | 

宮城の酒飲み比べセットを探していたら、宮城県塩釜市にある株式会社佐浦の「浦霞」飲み比べセットがあったので購入してきました。

宮城県の代表的な日本酒はやはり「浦霞」ですよね。

「純米酒 浦霞」

米の旨みが生きている、まろやかながらもすっきりとした味わいの純米酒。涼冷えの15℃~熱燗の55℃まで楽しめるようです。

「本醸造 からくち 浦霞」

ほのかな香りとすっきりとした味わいの辛口の本醸造酒。花冷えの10℃~熱燗の55℃まで楽しめるようです。

「生貯蔵酒 ぼとる 浦霞」

やわらかな口当たりとすっきりとした後味の清涼感に満ちた味わいの本醸造生貯蔵酒。雪冷えの5℃~常温の25℃位がおいしいようです。

宮城県にも25位の酒蔵があるようです。女川のホテルでは一ノ蔵の本醸造生酒でした。おいしかったですね。

いろいろな酒蔵の飲み比べがあるのかと思ったが見つからなかったので、正月は「浦霞」の飲み比べを楽しみたいと思います。


女川温泉 華夕美で忘年会やりました

2012年12月30日 11時58分29秒 | 日記

今年最後の忘年会より無事に帰還しました。

今年も無事に飲みきりましたね。

今回訪れたのは、宮城県女川町にある「南三陸 女川温泉 華夕美」さんです。女川町も津波の被害が甚大でしたが、華夕美さんは万石浦の奥に位置しているため1階部分の浸水だけで済んだようです。

震災以降、おかみさんが中心となって女川町の復興に協力してきたようです。これまでは復興支援団体や企業の宿泊施設として協力してきたようです。それも徐々に落ち着いてきたので一般のお客さんも徐々に受け入れるようにしました。とおかみさんが言ってました。この日の一般客は我々のグルーブと2家族。それと復興工事の作業員の方々でした。

華夕美さんは料理を重視したホテルですので、南相馬では食べられなくなった新鮮でおいしい魚が食べらるのを期待して行きましたが、期待以上のものでした。

到着したらまずは温泉。温泉の泉質は確認するのを忘れましたが、大きな内湯と万石浦を一望にできる露天風呂があります。時間帯が早かったせいか貸切で入浴させていただきました。曇りだったので万石浦の眺めはいまいちでしたが、晴れていればとても津波の被害があったとは思えないきれいな景色が望めるでしょうね。

湯上りの一杯はおいしいですよね。部屋で宴会までの予行演習を繰り返し、再度入浴して宴会突入。料理は期待以上のものでしたね。久しぶりに豪華な料理を堪能しました。おいしい魚は最高ですよ!!

出来立ての温かいものが次々と運ばれてきます。

おいしい刺身。マグロ、イカ、えび、うに、そして珍しいタラの刺身。これで結構ボリュームありますよ。新鮮でおいしかったですね~!!久しぶりにおいしい刺身を食べた~!!って感じで大満足です。そして、珍しいクジラの刺身。以前、牡鹿半島の先端にあるホテルでクジラのフルコースを食べたことがありますけど、クジラもおいしいんですよね。

アワビの踊り焼き。このアワビ意外と大きかった。今まで食べたアワビの踊り焼きは小さいアワビで期待外れだったけと。これは満足ですね。踊り焼きを目で楽しんでその後カットしてくれます。その大きさのアワビを直売所でみたら1500円以上していましたよ。煮魚はカサゴ。カサゴってカジカみたいな姿をしているのかと思ったが?これも脂がのっていておいしかった。きれいに骨だけ残して食べたので「本当に魚が好きなんですね、食べ方を見ればわかります。」とほめていただきました。そして、華夕美名物かき揚げ。これ写真では小さいけど実際は大きいんです。直径10cm以上、高さも10cm以上あり岩塩をすって振り掛けてたべます。料理の最後の方で出てくるので、すでに満腹状態では食べきれませんでした。こっそり部屋に持ち込んでこれで2次会してましたよ。

その他にもボリュームのあるおいしく珍しい料理が多くありました。酒もビールから始まり地元の銘酒まで堪能しましたので大大大満足でしたね。

そして、仲居さんの対応は素晴らしかった。料理の事やいろいろなことを優しく話してくれました。本当に家族的な雰囲気で宴会ができましたね。そして、おかみさんもあいさつに訪れて、震災のこととか今頑張っている様子も聞かせてくれました。我々も津波の被害を受けて、その後の原発事故での避難の様子を話すと、「同じ被災者として頑張りましょう!!」と激励してくれました。お母さん的なおかみさんの雰囲気が従業員にも浸透しているんでしょうね。

料理をゆっくり食べながら、おかみさんや仲居さんと語り合いながら、みんなで会社の事を考えながらの時間は2時間を超えていました。仲居さんも長い宴会に付き合って大変だったと思いますが、嫌な顔一つしないで対応してくれました。仲居さんありがとうございました。

売店の一角を女川町の被害の様子と復興の様子を写真で紹介するコーナーにしてありました。壊滅的な被災をした女川町ですが、少しずつ復興に向けて頑張っている姿が多く見受けられます。

昨年は期待外れの忘年会になってしまいみんながっかりしていましたが、今年は「華夕美」さんのおかげで大満足な忘年会でした。みんな「来年もここに来ようか」と言ってましたので満足だったのでしょう。

帰りはみんなそれぞれ向かう先が違うので別々になってしまうが、おかみさんがみんなそれぞれに声をかけて最後まで送ってくれました。「お母さん行ってきます」みたいな感じがしたのは俺だけだろうか?来年みんなに会った時に聞いてみようと思います。

「女川温泉 華夕美」さんありがとうございました。そして、従業員の皆様お世話になりました。楽しいひと時を過ごせたことに感謝申し上げます。

俺は別行動で以前行ったことのある女川町と雄勝町の様子を見に行きました。

女川町の中心部に行きましたが何も無くなっています。高台にある病院から眺めるとその光景が一望できました。牡鹿半島の帰りに女川町のマリンパル女川でカキを堪能した物でしたが、今ではその建物も取り壊され更地になっています。南相馬市も広範囲に津波の被災を受けましたが、女川町のように町の中心部が全滅する様な事態にはなっていません。この地形を見ると津波が襲い掛かった時の光景が思い浮かぶようでした。おかみさんも多くの人が亡くなり何も無くなってしまいました。と言ってましたが、あの密集した港町を見ていたのでこの壊滅的な状態はやはり想像以上のものでした。

湾を望む高台には津波被災者の慰霊碑が立ってました。何もできない俺は黙って冥福を祈るしかありません。そして、その後方の斜面には「We Love 女川」と芝桜で書かれています。女川を愛する気持ちが伝わってきますね。

そこから雄勝町へ。

雄勝町の中心部に入るといまだに取り壊されない大きな建物が点在します。

写真左は雄勝硯伝統産業会館、右は雄勝小学校。

雄勝病院。

この地に立つと津波の威力や高さが甚大なものだったことが実感します。建物の3階、4階部分が全て飲みこまれるような津波ではどうしようもありません。そして、避難するために山へ登ろうとしても切り立った斜面では困難を極めるでしょう。

こんな状況にあっても、漁業は復興へ向けて頑張っているようでした。

そこからは最近再オープンを果たした「石ノ森漫画館」へ。

この日も多くのお客さんが訪れていました。

ここへは震災の1年前にきていました。石巻市の中心街を抜けた旧北上川の中州に建てられていますので、津波の被害は大きかったでしょう。ボランティアや住民の協力により11月17日に再開を果たしたようです。この漫画館の周辺には建物が多くありましたが、多くの建物が姿を消していました。写真で被災状況や津波が押し寄せている様子を見ましたが、助かったのが奇跡的ではないでしょうか。

館内は以前の姿を取り戻していました。多くの漫画家からの支援があったようですね。館内は撮影禁止なので写真はありませんが、昔懐かしい石ノ森章太郎の漫画を見ることができます。懐かしいのでじっくり見てしまいますよね。

そして、昼食とお土産は漫画館の向かいにある「石巻まちなか復興マルシェ」へ。

今年の6月にオープンした仮設の商店街です。鮮魚や魚介製品、生鮮野菜、特産品の販売の店舗やフードコートがあります。石巻餃子の店もありましたがすでに売り切れでした。売店ではかきを加工したいろいろな物を正月用のつまみに購入しました。試食しましたがおいしいですね。楽しみです。

昼食は「石巻うまいもん屋」で「豪快海鮮丼」1500円を食べることに。この店は比較的若い女性3人で切り盛りしているようでした。いろんなところで海鮮丼を食べているので、出てきた海鮮丼は決して豪快ではありませんが、海鮮は種類が多くおいしいものでした。

そこから松島を通りかまぼこを購入して帰途につきました。

飲んで、食べて、買って被災地への支援になったかわかりませんが、微量でも支援の役に立ったと思えればありがたいです。

年が明けると震災から早2年を迎えます。南相馬市は原発事故の影響で復興が進んでいないような気がしましたが、今回女川町や雄勝町、石巻を見て、町の中心部が壊滅的な被害を受けたところの復興の大変さが南相馬市以上のものであることを実感しました。俺たちも会社や地区の復興が大変なものと思っていましたが、それ以上に大変な思いをしている方が多くいるんだと思い知らされました。津波被災地へは規制があるため住宅建築はできないと聞きます。それができなければあの繁栄していた町はどうなってしまうんでしょうね。本当にこれからが大変だと思います。

新しい年が復興へ向けて加速されることを期待したいと思います。


磐梯吾妻スカイライン恒久無料化決定

2012年12月30日 09時24分48秒 | 登山・滝めぐり

先日の新聞に県内の3有料道路(磐梯吾妻スカイライン、磐梯山コールドライン、磐梯吾妻レークライン)が平成25年度以降、恒久無料化にする方針が決定した記事が載っていた。

震災と原発事故以降観光復興のために無料化を続けてきたが、来年7月24日で償還期間を迎えることから一般道にして無料化にするようです。無料化にすることにより通行量が増え観光復興には効果があったと思いますが、浄土平駐車場の収益が今後見込めなくなると、登山道の整備を含む環境整備が手落ちになるのではないか心配です。

俺個人の意見としては、震災以降荒れ始めた登山道の整備を進めるためにも、浄土平の駐車料金は徴収して環境整備に充ててほしいと思いますね。


今年最後の忘年会

2012年12月28日 06時00分00秒 | 日記

今日は会社の仕事納めです。

毎年、会社の同僚たちと仕事納めが終わった足で泊りがけの忘年会に行きます。

昨年は、あんこう鍋が食べたいと茨城県ひたちなか市にあるホテル白亜紀に行きました。しかし、残念ながら以前食べたあんこう鍋とは程遠いものでした。原発事故以来、地元であんこうが獲れない状況では仕方のないことなんでしょうね。

昨年はちょっとがっかりした忘年会になってしまったので、今年はどうしようと悩んだ末に決定したのが、「やはり同じ津波の被害を受けて頑張っている石巻に行こう!!」ということになりました。

被災地で酒を飲んで騒ぐのはひんしゅくものだと思われるかもしれませんが、被災地にお金を落とすことも支援につながるので頑張ってたくさん飲んで来ようと思います。

石巻では漁業が再開されているのでおいしい魚が食べられるようです。

新鮮な地元産の魚が食べられなくなった南相馬市の俺としてはすっごい楽しみです。

来年に向けて鋭気を養ってきます。

頑張るぞ~ 


南相馬のイルミネーション

2012年12月27日 19時03分03秒 | 南相馬の話題

南相馬市のイルミネーションを紹介します。申し訳ありませんがカメラを忘れてしまい携帯の画像なので写りが悪いです。今度カメラで撮る機会があったら差し替えます。

道の駅みなみそうまのイルミネーション。

セントラル住設さんのイルミネーション。

震災前に小高区で行っていた「あかりのファンタジーinおだか」のコンテストに参加して、グランプリを何回も獲得していた「サロンド・ケイ」が小高区では灯すことのできなくなった電飾を「セントラル住設」さんの協力で灯しているそうです。

 

津波被災地の萱浜地区に作られた「浜公園」のイルミネーション。

昨年までは「みんながわらいあえるところにします」と遠くからでも見える文字が輝いていました。

そして今年は、萱浜地区で頑張っている「福興浜団」が全国に「萱浜にクリスマスツリーを」と呼びかけ実現したイルミネーションです。決して華やかではありませんが、何も無くなった萱浜地区できれいに輝いています。


平成25年産稲の作付方針

2012年12月27日 18時38分39秒 | 農業

今日、南相馬市地域脳器用再生協議会から平成25年産稲の作付方針についての知らせが届いた。

12月21日に開催された協議会での作付方針について協議した結果の報告です。

農地除染が遅延していることから市内全域を対象に平成25年産米の作付を見合わせる。

農地や水路の除染は、各集落農家の協力を得ながら進める。

平成26年産米作付に向けて試験栽培圃場を増やす。

という内容です。

生産農家は来年の作付に向けてどうなるのか不安な状態だったのだから、もう少し早く協議会を開き決定しても良かったのではないか。農地除染が全然進んでいない状況で最初から作付を見送る考えだったのだから、来年に向けてどう対応するか不安な思いをしている生産農家の事を考えてもよさそうに思う。行政は農家の事を考えているようなことを言っているが、ますます生産農家の意欲をなくすような行為をしているような感じがする。そう考えるのは俺だけだろうか?

来年は水路の除染を進めると言うことなので、それに協力して平成26年産米の作付に向けて頑張らねばなりませんね。

これまでの人生で初めて米を購入した今年ですが、来年も購入しなければならなくなりました。来年以降ずっと購入しなければならない状況はなくさないといけませんね。


福島の子供は肥満傾向

2012年12月26日 18時50分43秒 | 震災・放射能

今日の新聞に福島県の幼稚園児と小学生の子供を対象にした健康診断の結果、標準体重より20%以上重い「肥満傾向」の割合が増えているとの記事が載っていた。

全国的にスリム化が進んでいる中で福島県だけが「肥満傾向」が高まっている。全国平均もトップの数字になってしまった。

その原因はやはり原発事故の影響で屋外制限が続いているのが影響しているようです。家でも学校でも屋外でのびのび遊ぶことができずに屋内の狭いエリアでしか活動できなかったからしょうがないと思うが、このままの状態が続けば将来への不安が放射能だけでなく肥満による成人病の不安が出てきてしまう。

子供だけでなく、中学生から上の世代にも当てはまると思う。俺もそうだがほとんどの人が震災太りになっている。福島県人の健康がますます悪い方向に加速していくような気がする。

除染が進まない現状では今の制限された環境が続いていくのである。

中間貯蔵施設建設の候補地になっている双葉町ではいまだに議会と町長がもめている。町長の不信任案が可決されて町長が辞任すると思ったが、議会を解散してしまった。少しでも長く町長を続けていたいらしい。中間貯蔵施設建設の調査を反対しているのは双葉町長だけである。中間貯蔵施設は福島県内の除染を進めるために絶対に必要な施設なのに反対を続けているのはどういうことだろうか?ますます県民から不審に思われてもおかしくないと思う。

今日新たに発足した新政権には福島県から二人の大臣が誕生した。福島県の復興を期待してのことだと思う。

新政権には福島県に降り注いだ放射性物質の早期除染をお願いしたいと思う。そして、早期に制限のない生活ができるようになるのを期待したいと思います。


南相馬ソーラーアグリパーク着工

2012年12月25日 19時34分01秒 | 南相馬の話題

南相馬市に太陽光発電所を併設した植物工場ができるという話を聞いていたが、いよいよ着工したようです。

先日の新聞に着工の記事が載っていました。

建設されるのは、津波で被災した南相馬市原町区泉の新田川北側です。泉地区も大規模圃場整備を終えて法人化した組織で農業生産を行ってきましたが、津波の被害でほとんどの田んぼが被災してしまいました。津波の被災で農業法人も倒産を考えていたようですが、この植物工場を無償で借り受け野菜の生産ができるようになりましたので、ちょっと明るい兆しが見えてきましたね。

工場では水耕栽培でレタスを栽培します。そこで収穫されたレタスは食品スーパーのヨークベニマルが仕入れて販売するようです。

ソーラーアグリパークは子供たちの体験学習の場にも提供されるそうです。

子供たちが、ソーラー発電の仕組みや自然エネルギーの事を学んだり、新しい農業としての植物工場で仕事の体験ができるようにするみたいです。

南相馬ソーラーアグリパークは震災から3年目となる3月11日までに完成させ、4月から本格的に運用を目指すようです。

南相馬市で震災後初めて完成する再生可能エネルギーを使った施設。

南相馬市復興加速の原動力になれればいいですね。


相馬太田神社

2012年12月24日 17時53分21秒 | 日記

後1週間程で新年を迎えるので、氏神様である相馬太田神社にお護摩(お札)をお願いに行ってきました。

相馬太田神社では護摩祈祷を行うことから、氏子では「お札」の事を「お護摩」と言ってきました。

神棚には毎年伊勢神宮から頒布される「神宮大麻」と氏神様の「お護摩」をおまつりします。「神宮大麻」は毎年暮れに頒布されますが、相馬太田神社のお護摩は事前にお願いし、1月1日の0:00を過ぎると行われる一番に祈祷したものを初詣に行っていただいてきます。

相馬太田神社の御祭神は「天之御中主大神 あまのみなかぬしのおおかみ」。

天地(あまつち)初めて發(ひら)けし時、高天原(たかまがはら)に現れた神で、古事記・日本書紀に記す、天の中央に座(まし)まする宇宙の根源神(こんげんしん)であります。近世以前まで当社は、相馬妙見宮・妙見大明神などと称されておりました。妙見大明神とは、衆星(しゅうせい)の王、北辰尊(ほくとそん)星(北極星)にて、時刻の神、人間の起居進退を定むる北斗(七)星です。慶応4年(明治元年)には神仏が分離され、妙見宮は相馬太田神社と改め、祭神み天之御中主大神と改め称えました。(相馬太田神社 神社暦より)

神社の由緒は写真の由緒書きのとおりです。

一千の歴史をもつ相馬野馬追祭が開催される毎年7月の第4土曜日には、ここから中ノ郷騎馬が出陣していきます。

毎年大晦日の除夜の鐘が鳴り始めると多くの人が集まってきます。昔は年籠もりと言って、大晦日の夜から元旦の朝にかけて氏神様にお籠もりするのが慣わしだったそうです。それが現在では除夜詣でと元旦詣での二つに分かれたようですね。まず大晦日の内に一年間無事に過ごせたお礼参りをします。そして、年が明けて元旦になったら新しい年の無事と平安をお祈りするんです。

自宅から近いので、いつも紅白歌合戦が終わってから出かけます。ちょっと遅いとこの参道に行列ができてその場で新年を迎えることもあります。

大晦日のお参りをすませて祈祷殿のある広場へ行きます。そこにはいつも大勢の人が詰めかけています。そして、午前0時を迎えると相馬野馬追の螺役達による法螺貝が吹かれ祈祷が始まります。相馬太田神社では護摩祈祷が行われます。護摩が焚かれるようになっている祈祷殿は珍しいそうですね。その祈祷殿も震災の影響で傾いてしまったようです。現在修復作業が急ピッチで行われていました。

祈祷が終わると祈祷殿から全員出てきて、神主の新年のあいさつがあり、参拝に集まってきた皆さんの無病息災を祈念して神主により祝詞とお祓いが行われます。その後に螺役達による礼螺が吹かれて新年一番のご祈祷が終わるわけです。

そして、最後に投げ餅が行われます。そのためになるべく餅の届くところにいなければなりません。俺も毎年2~3個はゲットしますよ!!

餅をゲットしていい気分になったところで元朝参りをします。そして、お護摩を頂いて自宅へ帰り神棚にお護摩をおまつりして、我が家の新年がスタートするんです。

今年も本殿にお参りしてお護摩をお願いしてきました。

新しいお護摩に新年が今年以上に良い年になることを願いたいものです。

そして、毎年のごとく相馬太田神社の新しい神社暦を頂いてきました。

神社にまつわることや年中行事についていろいろ書かれているので参考になります。