久しぶりにぶらり旅
先月からちょっと忙しくお疲れ気味なので仕事を休んでリフレッシュ
宮城県牡鹿半島に見たいアートがあるのでのんびり行ってみることにした
早朝に出発したので途中の塩釜で朝飯
何回か訪れて美味しい海鮮丼を食べている「塩釜水産物仲卸市場」
朝8時前で観光客が少ないのでお客さんは少な目
美味しい海鮮を購入してマイ海鮮丼にチャレンジしようと思ったが
一人で海鮮を買って海鮮丼にしようとすると量が多くなりすぎると思ったので断念
市場食堂さんで平日限定の「朝丼」に変更
じじいは朝なので豪華な海鮮丼ではなくあっさり朝丼で充分なんですよね
親方がその日の朝仕入れた新鮮なネタを安価で提供なので楽しみです
味噌汁を300円プラスであら汁に変更
朝丼1,300円+300円であら汁
あら汁のどんぶりが大きすぎでびっくり
あら汁なのに骨が無いタイの脂がのったハラミがたっぷり
凄く美味しいあら汁でした
あら汁だけで腹いっぱいになりそうです
海鮮はどれも新鮮で美味しい
ネタが小さめに切られているのでじじいには食べやすい
ネタは、カツオのたたき、カツオ、ヒラメ、たこ、コハダ、赤海老、くじら、まぐろ、卵焼きかな?
朝食にぴったりな美味しい海鮮丼で大満足でした
朝食を食べた後は本来の目的地石巻へ
時間が早いので下道をのんびりナビ任せで向かいます
ナビって本当に不安な道を選んで案内してくれるんですよね
それでも最後には目的地に到着するんだから凄い
石巻市の最初の目的地はまだ来たことが無い「いしのまき元気いちば」
開店と同時に入店なので貸し切り状態
石ノ森漫画館の川向かいにある施設
以前は駐車場だったような気がする
石巻の美味い物が集結していて美味しそうなものがたくさんありますよ
お寿司がうまそうだったなぁ~
ここで購入して川を眺めながらの食事もいいですね
何を購入したんだって?
もちろん地ビールですよ
「恋するセゾン」「週末のうみねこ」「伊達男IPA」の3種類
牡蠣の佃煮を肴に美味しくいただきました
2階はテラス席のある食堂
今日は暑いくらいなのでテラス席での食事は最高かも?
昼食には早くまだまだ食堂の開店時間には早いので昼食は別のところで
次は、本来の目的地へ向かいます
牡鹿半島を鮎川に向けて進み「荻浜漁港」が目的地
荻浜漁港内の道路を奥に進んでいくと専用の駐車場がありました
ここからは車の通行はできずに徒歩で約7分
砂利道をのんびり進んでいきます
天気も良く静かで気持ちいいですよ
そういえば最近は山歩きをしていないなぁ~
なんて考えながら進むと
樹の間から巨大な白い鹿が現れる
写真で見ていつかは来たいと思っていたのがやっと実現しました
和名晃平作 White Deer(Oshika)
牡鹿半島を舞台に開催されるReboon-Art Festivalの常設展示作品
青空と海を背景にして白い鹿を眺めると素晴らしい
写真では大きさが伝わらないですが身長の3倍くらいの高さがあります
身長178cmのじじいは足の長さ位ですね
写真撮影が素人なのですみません
気になる方は現物を見て感動してください
後2年くらいで撤去されるような噂を聞いたんだけどどうなんでしょうね
とりあえず現地に来て鑑賞できたので良かったです
これで目的は達成したんだけどまだまだ時間があり過ぎるので鮎川へ
「ホエールタウンおしか」
何年ぶりだろうかね
昼食時間までまだ早いので「おしかホエールランド」を見学してクジラを勉強します
震災前に見学したことがあるけど施設が津波で流されてから再建
再建後は初来場です
入場料は400円
以前はどうだったのか?
じじいには思い出せないなぁ~
マッコウクジラの巨大な骨格がお出迎え
以前の施設はたくさんの展示物があったような気がするけど津波で流されちゃったのかな
映像では大迫力のクジラを眺めることができますよ
捕鯨船「第16利丸」はあの大津波にも耐えこの姿を保ち続けたそうで
復興に向けたシンボルとして地元の人々の心の支えになってきたそうです
震災前に見学したことのあるじじいは忘れているんだけど
施設からちょっと離れているので今回は見学を辞退
朝ご飯をたらふく食べてなかなか腹が空かないじじいだけどここで昼食
美味しいクジラを食べようかと思って券売機にチャレンジしたけど
ボケボケしていたじじいは間違って上のボタンを押してしまったらしい
クジラとは関係が無い美味しいカレーを頂きました
米が高騰しているせいかご飯の盛が年寄りにやさしくなっているような気がする
というか
じじいと見て昔のお姉さんがご飯を少な目にしてくれたのかもしれないですね
鮎川から次は女川へ
道の駅巡りをしながら最後の寄り道は
あの悲劇の地「大川小学校」
「大川小学校」は震災遺構としてきれいに整備されていました。
以前に訪れた時は校庭に慰霊碑が建てられていたけど移設されていました
団体の皆さんが語り部の方の話を聞いてました
津波が到達する前子供たちと先生方はどうゆう行動をとっていたのか
実際に移動しながらその時の気持ちを皆さんに伝えているようです
2011年3月11日15時37分高台に避難を決意し避難中だった子供たちと先生方を襲った大津波
校庭に残っていた子供78名の内74名が津波の犠牲になり、その内4名は今も見つかっていない
その場にいた教職員も11名中10名が犠牲となりました
いつもと同じ朝でした
「行って来ます」の後ろ姿を見送ったあの日
「寒かったでしょう」とあたたかい手で抱きしめてあげたい
あの大震災と大津波では多くの人がそういう想いをしたことでしょう
普通の毎日がどんなに幸せなことだったのか
災害が起こる事の言葉を耳にします
なぜ
災害で多くの尊い命を失いました
悲しみと悔しさ、後悔が残りました
なぜ
抱いている夢や希望を、未来の自分が叶えるために必要なことは何ですか
それは、あなた自身が生きることです
当たり前のことですが
どんな時も命を守る行動を優先することが必要です
いま、この当たり前が非日常であるのなら、今日から日常に変えて欲しいのです
何も難しくはないのです
あなたの明日、そして大切な誰かの笑顔を見続けるために行動するだけなのですから
いつか起こるかもしれない大地震と大津波
あの時過去の教訓から津波対策が取られていたらこんな悲劇は起きなかったことだろう
震災から14年
徐々に震災の痛ましいことが薄れつつあるような気がする
福島、宮城、岩手の海岸沿いには多くの震災遺構が残されて、全国から毎日多くの人が訪れている
平日のこの日も多くの人が訪れ熱心に見学していました
日本全国でいつ起こるかわからない巨大地震
巨大地震が起こった時にどうすべきか
経験したことは忘れてはいけないですね
慰霊碑は新しい場所に移設されていました
亡くなられた多くの子供たちと先生方のご冥福をお祈りしました
久しぶりののんびりぶらり旅
天気も良くリフレッシュできたような気がします
また明日から頑張ろう
そして
時間が取れたらもっと長く旅がしたいですね