村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

妻を送った

2024年04月08日 21時13分50秒 | 日記

妻を無事に送り出すことができた。

妻を看取ってから悲しむ時間も与えられずに待ったなしにいろんなことが襲ってくる。

まずは葬儀社へ連絡して自宅への搬送依頼。

自宅へ戻るともう葬儀に向けていろんな手続き。

菩提寺に連絡して枕お経をあげていただき、ひっきりなしに訪れる弔問客の相手。

妻の友人の皆さんがたくさん妻に会いに訪れてくれた。

みなさんが号泣する姿を見ていると涙が止まらなかった。

妻がたくさんの人に慕われていたのがわかった。

友人の皆さんから妻の事をたくさん話していただきました。

夫の知らない部分もたくさん知ることができた。

訪問客が帰り毎晩静かになると妻の枕元で妻と一緒にビールを飲み、妻が美味しそうに飲む姿を思い出していた。

待ったなしに過ぎていく時間。

葬儀が終わると形のある妻の姿を見ることはできない。

毎朝の挨拶から夜寝るまで妻の顔を見続けていた。

納棺には妻が愛用していた物や好きだったものをたくさん入れてあげました。

最後まで「美味しい」と言って食べていたデコポンといちごも。

自宅からの出棺。

斎場に到着すると待ったなしに通夜が始まる。

妻のために会場がいっぱいになるくらい多くの方がご会葬くださいました。

僧侶の読経が終わっても続く焼香。

こんなにもたくさんの方々に見送っていただいた妻は幸せ者なのかもしれない。

通夜ぶるまいが終了して皆さんが帰宅すると「今夜は妻と二人にしてください」と親族も帰宅していただいた。

妻と二人で過ごす通夜。

妻と一緒にビールを飲み、線香をあげながら妻の顔を見続けて話しかけた。

妻は答えてはくれないけど「悲しい顔はしないで」と言ってるかもしれない。

常にポジティブな考えの妻。

常に明るい顔でみんなと接し続けていた妻。

結婚して以来42年間夫婦喧嘩をしたことは無かった。

走馬灯のように妻との思いでがよみがえり流れ過ぎた。

通夜の夜を二人にしてくれたみんなに感謝ですね。

朝を迎えるといよいよ最後の日。

最近では葬儀の参列者は少ない傾向があったが、妻のために通夜と葬儀に来てくれた方が多かった。

会場に空席が無いくらいご参列いただきました。

火葬場まで見送りに来てくれた友人もたくさん。

こんなにも多くの方々に親しまれていた妻は幸せ者です。

妻を看取ってから5日目。

いよいよ妻の姿とお別れかと思うと何とも言えない気持ちになってしまう。

火葬場でボタンを押した瞬間になんか気持ちが切り替わったような気がする。

これからは妻の分も頑張らなければならない。

ほんとうに軽くなって帰ってきた妻。

なんとか無事に妻を送り出すことができました。

悲しんでばかりいられないのでまだまだ残された手続きをまずは頑張らないとね。


悲しい別れ

2024年04月02日 06時40分31秒 | 日記

闘病生活を続けていた妻が昨日逝ってしまった。

危篤状態から3日目だった。

いつものように特別に面会を許可していただき朝から妻に付き添った。

妻はすでに呼びかけても目を開けてくれなかった。

「昏睡状態でも容態は安定しているのでまだまだ大丈夫ですよ」と担当医の話だったが・・・・。

午前中に安定していた容態が午後から急変してしまった。

弱弱しくなる妻の呼吸を見続けながら手を握り締めて励まし続けた。

血圧が降下し少しづつ熱があり熱かった妻の手も徐々に冷たくなっていく。

もっともっと頑張ってくれと願ったが。

願いがかなわず逝ってしまった。

苦しまずにほんとうに眠るように。

6ヶ月の闘病生活が終止符を打ってしまった。

昨年9月に入院。

色んな検査を繰り返し病名が確定したのが1か月後。

既にガンは進行しステージ4の絶望状態。

それでも全快を期待していろんな治療に耐えてくれた。

一時は治療が上手くいって退院も考えられたが再発。

最後の望みをかけて挑んだ治療もあまり効果が無かったようでした。

それでも、もうダメと言われてから3ヶ月も長生きしてくれました。

最後に長時間にわたり妻と過ごさせていただき感謝申し上げます。

妻と一緒になり42年と半年。

金婚式まで頑張ろうと言っていたのにかないませんでした。

仕事が趣味のように働き続けた妻。

仕事を辞めて老後を楽しもうと一緒にビールを飲みながら言っていたのに残念です。

半年ぶりに自宅に妻を連れ帰ることができた。

弔問客が帰り二人っきりになったら妻と一緒にビールを飲んで最後の話をした。

「俺を一人にして、俺はこれからどうするんだよ」と夜妻と一緒にいる時に呼びかけると。

「パパ」「パパ」と答えた妻の言葉が繰り返し聞こえてきそうな気がする。

ほんとうに寂しくなってしまった。

これから妻と最後の別れが待っている。

妻のためにできる限り最高の状態で送り出してやろう。


闘病中の妻に面会 03.30

2024年04月01日 08時25分27秒 | 日記

毎週土曜日は病気と戦っている妻に会いに行く日。

数日前に担当医による病状説明があった。

足が麻痺状態になっていたが両手も動かなくなってきたので危険な状態という。

面会しやすいように個室に移していただくことにした。

離れて暮らしている娘たちも会えるなら会いに行くというのでみんなで面会することにした。

当日の朝病院から電話。

嫌な予感がしたけど病状が悪化したので急いで面会に来て欲しいという。

いつもは14時以降が面会時間だけど9時に病院へ。

ナースステーションに行くと休日にもかかわらず担当医が待機していてくれた。

呼吸が苦しくなり酸素吸入を開始したという。

一気に病状が悪化し呼吸ができなくなってきているので今日が山場かもしれない。

面会の制限をしないので会いたいと思う人には会わせてあげて欲しいと言ってくれました。

妻は苦しそうに酸素吸入をしている。

声をかけると答えてくれたがなぜか涙が溢れて困ってしまった。

これまで面会恒例だった大好きだったデコポンも食べることができない。

「頑張れ」と声をかけると「頑張る」とかすかに答える。

みんなで声をかけてなんとか話をすることができた。

これまで半年間会えずにいた母親と義母も会うことができました。

今日一日は特別に長時間妻と過ごすことを許していただけました。

「旦那さんは泊りますか」と担当医に言われたので「お願いします」と即答。

みんなも母親との別れに寂しそうだったけど一日会うことができたので安心。

夜は妻と二人にさせていただきました。

こんなに長く一緒にいるのは久しぶり。

何を話していいのかわからない。

話したいことはいっぱいあるんだけど・・・・・。

なぜか話をすると涙が溢れてくるので困る。

深夜にうとうとしていると救急車が迫ってくる夢を見たと思ったら医療機器の警告音だった。

看護師さんが飛んできて対応してくれたが、

それ以降妻は話をすることができなくなっていた。

話しかけると目を開けて答えるのが精いっぱい。

状態は安定しているが呼吸は弱くなり眠り続けている。

朝を迎えて「おはよう」と言うと目を開けてみてくれるが声は出ない。

目を開けると涙を流すのでわかっているのかもしれない。

手を握っているとなんとなく力が入るときがあり答えているのかもしれない。

朝一番で担当医が来て「旦那さんの身体が心配だから一度帰って休んでください」と言われた。

義妹と交代して一度帰宅することにした。

妻は昏睡状態で眠り続けている。

いよいよ別れの時間が近づいているのかもしれない。

仕事を休んでできるだけ一緒にいる時間を作ることにした。

もっともっとできるだけ生きている姿を見せてくれ。


闘病中の妻に面会 03.23

2024年03月27日 08時49分01秒 | 日記

毎週土曜日は病気と戦っている妻に会いに行く日。

妻が入院してからもうすぐ半年。

いつものようにデコポン、いちご、バナナの面会セットを準備して病院へ。

守衛所で受付して病棟へ。

休日の病院はなんとなくさびしい。

転院してからまだ担当医の説明が無いので不安がいっぱい。

ナースステーションで受付して病室へ。

今日も妻は眠っていた。

揺り動かして起こしてやるとにっこり笑って「うれしい」。

最近は身体が徐々に動かなくなってきている。

原因を調べているところだがまだはっきりしない。

医大での最後の治療は効果が無かったのかもしれない。

いつものようにデコポンを食べさせてやると「美味しいぃ~」と笑顔で食べてくれる。

今日もデコポン1個を食べてしまった。

いちごとバナナも食べる。

「食べ過ぎだからもう終わり」と言うと悲しい顔になる。

何を話していいのかわからない。

妻の顔を見ると最近はすぐに涙目になり涙が流れ落ちる。

「さびしいね」と言われると辛い。

面会時間は短くあっという間に過ぎてしまう。

「また来るからね」と言うと「帰らないでと言う」。

辛いけど仕方がない。

今日の帰りも気持ちが沈んでしまう。

健康って本当に幸せな事なんだと最近実感させられます。

当たり前のことを考え、当たり前のことができるそんな身体に戻れたら幸せになれるだろうにね。


入院中の妻に面会 03.16

2024年03月20日 21時49分10秒 | 日記

毎週土曜日は病気と戦っている妻に会いに行く日。

病院が福島医大から南相馬市立病院に変わって最初の面会日。

南相馬市立病院の面会は週に2回までに制限されているので、近くなったからと言っても気軽に面会することはできない。

儀妹と交代で面会するので週1回だけになってしまいます。

休日の面会は守衛所を通っていきます。

福島医大は長蛇の列で受付していましたが面会制限が厳しい南相馬市立病院は少な目です。

守衛所から病棟へ連絡してから向かいます。

休日の病院は静か。

電灯の明かりが消えた通路を通って病棟へ向かいます。

転院してから3日目ですが、病院が変わって妻はどうしているのか。

医大での治療が終わって本格的な検査を受けていないのでその後の経過がわからない。

これからどうなっていくのか心配しながら妻のもとに向かいます。

ナースステーションで受付すると看護師さんが、

「奥さんは食事を食べたり食べなかったりですよ」と声をかけてくれた。

食事は環境が変わったからかな?

病室に入ると妻は眠っていた。

身体をゆすって起こしてやると「うれしい」と笑顔を見せてくれた。

体調はよさそう。

今日も妻の好きなデコポンといちごとバナナを持参。

なんかいつも同じパターンの面会だけど今の妻にしてやれるのはこれくらいしかない。

今日もデコポンを「美味しい」と食べてくれた。

いちごも4個食べて「また食べたい」と言うが食べすぎのような気がするので終わり。

「リハビリ頑張ってるか?」と聞くと「頑張ってない」だった。

まだ転院してからリハビリは始まってないらしい。

寝たきり状態が2ヶ月以上続いているので現在は車イスに長時間乗っているのも難しい。

リハビリで少しでも身体が動かせるようになってくれるとありがたい。

わずか15分の面会はすぐに過ぎてしまう。

「もう時間だから帰るよ」と言うと今日は「さびしい」と言って涙を流した。

入院生活ももうすぐ半年。

多くの人と交流のあった妻にとって孤独な半年間は地獄のような日々だったろう。

涙を拭いてやり「また来るから早く退院できるようにリハビリ頑張れ」と励ます。

「頑張るからバイバイ」と答えてくれた。

悲しそうな妻の顔を見ると帰りの気持ちが落ち込んでしまします。

医大だったら毎日でも面会ができるんだけど、近くに来ても遠くなってしまった。

看護師さんにいちごとバナナをお願いして帰宅。

移動時間は15分。

短い時間で帰ってきても疲れがどっと襲ってくる。