村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

病気療養中の妻に面会 01.23

2024年01月27日 09時56分23秒 | 日記

妻が福島県立医科大学付属病院に転院して一週間。

新たな治療を開始するために主治医の説明と承諾書にサインするために病院へ。

現在の病院は治療や検査をするのに詳しい説明と本人の承諾が必要。

本人が承諾出来ない状況なので家族が代わりに承諾するしかない。

最後の望みをかけての治療。

担当する医師は良くなるようなことを言って家族を安心させようとしているのか、

主治医の説明より望みをかけてくれる。

医師との面談後妻に面会。

病状が悪化しているのか3日前にあった時より元気がなく起きることもできない。

話も辛いようですぐに眠ってしまう。

無理に起こして話をしても辛いので寝顔を見ているだけで面会時間が終わってしまう。

寝顔を見ているとなぜか涙が溢れてくる。

こんな姿を妻には見せられないのにどうしようもない。

帰りがけに妻を起こして「また来るからな」。

でも「また来てね」とは言えないらしい。

それでも「来てくれると嬉しい」と言ってくれた。

妻の元気な姿を見れると帰りも安心して帰れるが、元気が無いと気持ちが沈んでしまう。

治療が始まると最初は辛いかもしれない。

次の面会は27日(土)。

治療が始まっているので妻の状態が心配。

入院生活が5か月目に入った。

治療が成功して元気な妻が早く戻ってくれることを願いたい。


妻の転院

2024年01月21日 09時37分36秒 | 日記

毎週土曜日は闘病中の妻に会いに行く日。

それが南相馬市から福島市に変わった。

昨年12月に福島医大から南相馬市立病院に転院し退院へ向けてリハビリを頑張っていた。

1月中には退院して自宅へ戻れると思っていたのに。

今年に入り娘たちと面会に行くといつもより元気が無い。

いつもベットから起き上がって元気にリハビリの話をしていたのに、

娘たちと話をして疲れてしまったのかと思っていたが・・・・。

主治医から呼び出しを受け説明を受けて愕然としてしまった。

再発。

奇石的に薬が効いて完治に向かっていたと思っていたがそうではなかったらしい。

このまま治療を続けていても効果が無いので別の治療に切り替えるか?

治療をやめて緩和処置に切り替えるか?

治療をやめると残りの時間が短くなってしまう。

もう治らない病気かもしれない、

それでも少しでも望みをかけて別の治療を試してみることにした。

妻も頑張ると言ってくれた。

治療は南相馬市立病院ではできないので福島医大に再び転院。

福島医大から南相馬市立病院へは自家用車で向かったが、

今回は介護タクシーを依頼してリクライニング車いすで移動。

再び昨年3ヶ月過ごした福島医大に帰ってきた。

なぜか福島医大だと安心感が違う。

わずか1ヵ月で戻ってきた妻を気遣う看護師の皆さん。

たくさんの看護師さんに「一緒に頑張りましょうね」と励まされている。

昨年転院前に連日ナースステーションで皆さんと過ごしていたので人気者になっていたらしい。

担当医の病状説明と今後の治療方針の説明があった。

説明は明るい話はなく望みを絶たれてしまうような話ばかり。

それでも家族と本人の意見を確認して最善を尽くしますと言ってくれた。

妻の残された時間はもう短いかもしれない。

それでも少しでも残された望みにかけてみたい。

今度は毎週土曜日と言わずに会える時には会いに行こうと思う。


馬事公苑コースラウンド 2024.01.07

2024年01月09日 18時44分24秒 | ディスクゴルフ

毎週日曜日の午後は馬事公苑でディスクゴルフを楽しむ日。

2024年最初の日曜日。

初投げは済みなので今年2回目の練習。

午前中コース整備作業を行った5名が集まりました。

その他に先行して2パーティーがラウンド中。

馬事公苑のコースが復旧したのでコースラウンドを楽しむ人も増えてきましたね。

今日は日差しが暖かいけど日が陰ると寒いですね。

それでもこの時期としては暖かいかな?

今回は久しぶりに復旧したプロティー27ホールをラウンドします。

今日はスコアを意識せずに攻めるゴルフを心掛ける。

と思ったが、攻めることができる人は練習を積んだ人なのかもしれないですね。

思ったようにディスクが飛んでくれない人は攻めても空回りなんですよ。

なのでティースローは常に力を入れたスローを心掛ける。

久しぶりにいろんな場面で使うディスクを変えてみた。

やや思うような飛びをしてくれたけど、飛距離が出ない。

飛距離が出ない分力んでしまい悪循環。

年とともに身体の起動範囲が狭くなってきたのか?

やはりスローの練習を繰り替えないと安定しないんですよ。

とわかっているんだけどね。

思うようにディスクは飛んでくれないけど、

わいわい楽しみながらのラウンドはリフレッシュできますね。

妻の事や家のことなどなど息詰まる日々が続いているので週一位は息抜きに投げれたらいいですね。

今年もできる限り頑張って投げに来よう。

久しぶりの27ホール。

楽しかったぁ~。

4か月間コース整備出来なかったので整備の必要な個所はありますね。

5月の日本選手権まで頑張らなくちゃ。

次の日曜日は初投げ大会。

昨年は30名を超えるプレーヤーが集まったけど、今年はどうかな?

参加者の皆さんに楽しんでいただけるように頑張りますか!!

馬事公苑19番ホールのサザンカが満開です。


馬事公苑コース整備作業 2024.01.07

2024年01月07日 17時44分20秒 | 馬事公苑

2024年年明けから南相馬市馬事公苑ディスクゴルフコースの使用制限が解除。

これまでコースの整備作業ができなかったのでとりあえず使用できるように復旧作業を始めます。

今日は午後からディスクゴルフを楽しむ日なので午前中に作業。

馬事公苑へ行ってみると会員の皆さんが集まって枯枝集めをしてくれてました。

これまではコースをラウンド中に落ちた枯枝を集めていましたが、

4か月間立入禁止だったので落ちた枯枝が散乱しています。

立ち枯れ木の伐採作業をした業者も作業終了後の片付けがうまくできない業者だったみたいで、枯枝が散乱しています。

スポーツ施設という意識が無く、山林の感覚なのかもしれませんね。

4日に開苑してから3日間も頑張って集めてくれました。

ほんとうに感謝ですね。

今日は集めた枯枝の撤去もしてくれてました。

昨年からコース上の枯枝の撤去を繰り返してきた結果きれいな景観が続いています。

まだまだ枯枝を集めなければならないエリアは広くありますが頑張ります。

復旧工事で外されたOBエリアのロープ張りも実施。

とりあえずコースは使用可能の状態に復旧完了。

臨時に設置した特設ホールについては、しばらく設置してほしいとの要望により1月中は設置したままとします。

馬事公苑全36ホールをお楽しみください。


馬事公苑コースラウンド 2024.01.05

2024年01月06日 09時10分41秒 | ディスクゴルフ

2024年1月5日から南相馬市馬事公苑が開苑。

午後からコース確認に馬事公苑へ。

昨年末で台風被害の復旧工事が終了したので、これまで立入禁止となっていたエリアのコースを確認。

散らばっていたティーを元に戻し、ゴールが無事だったのを確認して戻るとO井さんが練習中。

沖縄のプレーヤーも親子で初来苑し初投げを楽しんでくれてました。

残った時間で久しぶりに正規のコース18ホールを初投げラウンド。

常設10番以降をラウンドするのは4か月ぶり。

意外と枯枝が落ちてないと思ったらH内さんが集めてくれてました。

ありがとうございます。

途中からH内さんも合流。

これまでいい仕事をしてくれた木々が切られてしまったので投げやすくなってしまったような気がする。

スコアが良くなるかもしれないですね。

植樹しても成長するまで時間がかかるし、ティーを動かして難易度を上げるか悩むところです。

とりあえずはこのまま様子を見ます。

常設を18ホールラウンドして終了。

なんとか初投げ大会は本来のコースで無事に開催できそうです。

開催を延長していたペガサスカップは3月に開催することにしました。

お楽しみに!!


南相馬市馬事公苑ディスクゴルフコースが復旧

2024年01月05日 17時33分44秒 | ディスクゴルフ

2024年は、1月4日(木)より南相馬市馬事公苑が開苑しました。

今年も馬事公苑ディスクゴルフコースでたくさん遊んでください。

昨年9月に通過した台風により常設10番以降のコースが使用不能でしたが、

復旧工事が終了して本日より使用可能になりました。

3か月間コース整備に立ち入りができなかったのでコースを確認してきました。

イノシシか猿がいたずらしたのか、ティーが散らばっていたので正規の場所に戻しました。

表示については紛失したものが多くあります。

再度設置するまで時間がかかりますのでご了承ください。

危険な枯木の撤去が行われたのでだいぶコースのロケーションが変わってしまいました。

常設11番の現在。

以前はプロティーの前に木があり難易度を上げていたんですが、

ティーの前の木々が伐採されて視界がすっきりしてしまいました。

常設12番ホール。

12番ホールの中間にあるOBゾーンの馬術障害が撤去されてしまいました。

この障害が難易度を上げていたので残念です。

今後再建されるのか確認してOBゾーンを考えていきたいと思います。

その他のホールについては大きな変化はありません。

ただ、工事が行われた際重機が使用されたので地面に凸凹が多くあります。

足場に充分注意してラウンドするようにお願いします。


能登に思いを寄せて

2024年01月05日 09時19分13秒 | 日記

震度7の巨大地震に見舞われた能登半島。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに被災された皆さんにお見舞いを申し上げます。

東日本大震災と原発事故に見舞われた13年前。

多くの皆さんの支えにより現在の姿を取り戻すことができました。

我々もあの時の経験を生かして恩返ししなければなりませんね。

定年退職を迎えた数年前に長期休暇を取り能登半島一周の車中泊旅をしてきました。

富山湾越しのきれいな立山を眺めてみたいと思ったのがきっかけですが、

天候に恵まれて風光明媚な能登を堪能することができました。

あの「輪島の朝市」があった通り沿いの火災はショックでした。

日本海の海産物を中心に、惣菜、干物、スイーツ、雑貨のお店など、輪島の名産品の宝庫。

店がたくさん並んでいて見ているだけでも楽しかった。

朝食に食べた海鮮丼も美味しかった。

輪島塗のお椀も購入したっけ。

能登の家は黒瓦の家が多い。

太陽に照らされて光黒瓦が印象的だったのを思い出す。

海に近い位置に集落があるので塩害や寒さに強い黒瓦を奨励したと聞いたような気がする。

板壁を使っているのも塩害対策なんですね。

きれいな景観を残すために古い家を保存してきたのかもしれない。

今回の地震では耐震性が低い古い建物の被害が大きかったようです。

あの景観が失われたと思うと残念でなりません。

震源地に近かった珠洲市ものんびり巡ってきた。

能登のシンボルとしても有名な「見附島」。

島の形が軍艦に似ていることから別名「軍艦島」とも呼ばれているみたいです。

島が崩れなかったのか心配。

珠洲市では他に「青の洞窟」と灯台にも行って来ました。

青の洞窟は波が押し寄せていたから津波の被害は無かったろうか?

青の洞窟の反対側には「ランプの宿 よしが浦温泉」があったっけ。

珠洲市に押し寄せた津波は1.2m以上。

いつかは行ってみたいと思っていた温泉の被害も心配です。

禄剛崎灯台

ゴジラ岩

白米千枚田

三方を海に囲まれた能登半島。

荒波に削られた断崖絶壁や、棚田が海の間際まで迫る「白米千枚田」など、自然と人の営みが織りなす風景に圧倒されます。

能登半島を巡るにも道路は少なかったと思う。

地震の報道を見ていると道路が寸断された光景が多く出てくる。

あの道路が通れなかったら大変なことになってしまうのが実感できます。

能登の旅最後の地は「千里浜渚ドライブウェイ」。

渚を車で走りながら見た夕日は素晴らしかった。

能登の素晴らしい景色と美味しい海鮮丼、優しく接してくれたみなさん。

能登で過ごした数日間の事は忘れられません。

巨大地震に見舞われどうしようかと不安な毎日を過ごしていることと思います。

私も巨大地震と原発事故により頑張りたくても頑張れないどうしようもない経験をしてきましたが、

何とか当たり前の生活ができるまでに回復することができました。

全国の皆さんが能登の皆さんのために頑張ってくれます。

あきらめないで前に進んでください。

きっと道が開けていきます。

またいつの日か復興した能登を旅したいと思います。


道の駅の初売りへ

2024年01月04日 10時11分19秒 | 日記

帰省している娘たちがお土産を買いに「道の駅なみえ」に行きたいというので行ってきた。

道の駅なみえの初売りは二日9時から。

いろんなお得情報があったんだけど出遅れたから全て終了していました。

朝一で来ないとダメですね。

駐車場は満車状態だったけど思ったほど混雑してません。

混雑が苦手なじじいには良かったけどね。

娘と孫たちは無事にお土産を購入して満足したようです。

次の目的は「Sakekura ゆい」さんの「甘酒ソフト」。

こちらも混雑無しで静かな初売りです。

じじいも久しぶりにソフトクリームを堪能させていただきました。

じじいは味音痴なのか甘酒の味は・・・・?

でも美味しかったです。

お土産を購入して娘と孫たちは帰っていきました。

今年は早くも3日から静かな家に戻ってしまい年老いた母親が寂しそうです。


闘病中の妻に面会

2024年01月03日 14時45分48秒 | 日記

妻が病に倒れてから3ヶ月と1週間。

年も2023年から2024年に変わってしまいました。

今年は家族みんなが揃って新年を迎えることができなかった。

妻も病院で寂しい思いをしていたことだろうと思う。

二人の娘が帰省していたので面会を予約。

久しぶりに娘たちに合うことができました。

面会は二人までで18歳以下は面会できないなので残念ながら孫たちは会えません。

15分と短い時間でしたが娘たちも母親の元気な姿を見て安心したようです。

娘たちの面会の後に特別短時間私も会うことができました。

「家に帰りたいけど病気だからしょうがないんだよね」と寂しそうな妻。

「リハビリを頑張れば早く帰れるから頑張れ」と言うことしかできない。

寂しそうに寝ている姿を見るのは辛いですね。

「明日は来ないの?」と言うけど、面会は週2回までなので毎日は無理。

入院生活が長くなってしまったので妻も不安な気持ちになってしまったのだろう。

早く家に帰れるように準備を進めなければ。

次に面会できるのは土曜日。

次は元気な妻に戻っていてくれるのを祈ります。


初夢

2024年01月02日 08時57分27秒 | 日記

今年の初夢は?

元旦の朝見た夢が初夢?

今年は喪中のため神社への初詣は辞退したので久しぶりにのんびり迎えた元旦の朝だったが、

夢は何だったか思い出せない。

一富士、二鷹、三なすび、たぶんなかったと思う。

だったら、2日の朝はいい夢を見ないととおもったが・・・・。

元旦の夕方テレビ番組を見続けていた時に突然起こった「能登半島地震」。

大津波警報が出た瞬間にアナウンサーが発した「逃げろ!!」の声になぜか体調がおかしくなった。

東日本大震災の光景がフラッシュバックして、あの時の大津波の光景が浮かんでくる。

13年も経とうとしているのに未だに脳の中には記憶されているんですね。

どぉーんと押し寄せた大津波

津波に流されて悲しくなり続ける車のクラクション

逃げる建物の中に押し寄せる海水

高台から見た引き波と高く盛り上がる海の姿

テレビを見てアナウンサーが発する声を聴くたびに不安になってきた。

あの経験をした方の中には同じような人がいるだろうと思う。

巨大地震で被害が大きいので心配ですが、大津波が押し寄せなくてよかった。

富山県にもディスクゴルフの仲間が多いですが無事で安心しました。

能登半島地震のテレビを見続けて眠ったせいか、今日の夢はやはりあの時の逃げ続ける夢だった。

津波から逃げる、原発事故で避難して不安でどうしようかと考え続けるそんな夢だったと思う。

疲れた目覚めだった。

こんな初夢では今年も前途多難な予感がする。

今年こそは良い年になって欲しいですね。