雑学

前回に続いて雑学を紹介します。

お酒

2007-03-03 08:29:45 | Weblog
居酒屋のルーツ:
「続日本記」に、天平字5年(761)、皇族の一人が「酒肆(しゅし)」に遊び、酔った挙句殺人にまで発展する大喧嘩をしたとある。酒肆(しゅし)は“居酒屋”的性格を備えていたとして、これを居酒屋のルーツとする人も多い。
ただ奈良の平城京は、道幅75mというメインストリートの朱雀大路を挟んで東西に市場があり、人口20万といわれる住民の生活用品をまかなうマーケットとして米、野菜、魚、酒、醤(古代の味噌)など必要なものは何でも調達できた。
当然色好みの女を置き、酒を売る店もあった。居酒屋というより女性目当ての店であった、といわれている。
神田・鎌倉河岸の豊島屋という酒屋が、徳川吉宗が将軍だった元文(げんぶん)年間(1736~41)とも宝暦年間(1751~64)ともいわれている頃に、豆腐をつくり、その豆腐を田楽に焼いて酒と一緒に出した。馬方田楽と呼ばれるほど大きな田楽を一本二文(約38円)という安値で売った。酒も溢れるほど盛って安く提供したのでたちまち評判になり、連日 大繁盛し、客は田楽を肴に酒を飲んだ。これが居酒屋の草分けといえる。
豊島屋の繁盛に刺激されて、江戸の町には次々と居酒屋が登場した。
江戸中期までは、酒を売る店はあったが、持ち帰り専門である。家に持ち帰らなくても、居ながらにして酒が飲めるから「居酒屋」という。
武家屋敷の中間(ちゅうげん)、小者たちや馬喰(ばくろう)、駕籠屋(かごや)、日雇人足などの人々、自分の家らしい家も持たず、晴れて酒が飲めない人々が、酒を買って帰ることをせずに、そこに居て飲んでしまうから「居酒」であった。
十一代家斎の寛政年間(1789~1800)ごろになると、各町内に居酒屋ができ、肴の
種類も増え、庶民の心の憂さの捨て所として人気をさらった。

         ♪♪米汁呑忘憂♪♪