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雑学

前回に続いて雑学を紹介します。

2007-11-01 08:06:48 | 吉原
娼家の歴史的形態:
宿と娼家;
娼婦がそれを稼業として行なう家が娼家。元禄ころには「暗宿」(くらうど)、暗物(くらもの)娼家が存在したが、これは隠れたる娼婦の意味で蜜娼の名だった。「小宿」「船宿」「中宿」「売女比丘尼」等

遊女屋;
遊女の名は遊行女婦の略称との説があり、巫女の類が放浪の旅に出て売色したといい、あるいは遊女は「くぐつ」の系統の売女だったとの説もあるが、それらには一定の娼家はなかったろう。「遊びめ」が専門的に遊女として独立稼業を営んだ。

色茶屋;
妓の置屋や自宅が別にあって、遊び茶屋などで売色したことから、やがて見世付の妓を置いて売色稼業をした「色茶屋」は、娼家形態として相当に多い。

長者の宿;
郷里の大農富商を長者という。最大の敬意と好意を示す意味から、当初は長者の妻や娘が接待に出た、一種の接待売春だったのであるが、やがて後には専門の接待女を抱えて置くようになった。長者の妻女のみならず、多くの女を置いて売色させ、自ら女将となったのだった。

見世付;
夜鷹は街頭に出て、自ら客を引き、その取引も野合だったから「賎娼」と称せられ、「野引き」「露淫」と称せられていた時代もある。弘化二年には深川に「座り夜鷹」の切見世が出現した。

かいや;
「辻君」「浜君」「立君」「橋姫」「総嫁」は夜鷹の類の街娼である。
江戸の「切見世」や「長屋見世」「鉄砲見世」の類は大正の魔窟の「かいや」もこの形式である。


                ♪♪米汁呑忘憂♪♪