『和解のために』朴裕河(パクユハ)
第四章 独島- ふたたび境界民の思考を 211-212頁より
国家の境界は、民族と言語にもとづく血縁的、文化的境界とあわせて、
川や山脈を通じた自然の境界を基盤に規定される。
しかしそれはいまや遮るための境界でなく、
疎通するための境界とならねばならない。
境界は、それを越えて出会いを求める希望を呼び起こすものでなければならない。
向き合う時間より閉じこもる時間のほうがはるかに永かったせいで、
語り口や考え方に差異の生じた人々との出会いのときを心楽しく思い描ける、
そのような境界であらねばならない。
境界内部の構成員のためだけの利己的な境界であれば、
そのような壁をめぐらすばかりの境界であるなら、
また将来の反目と不和を孕んだ境界であったなら、
むしろなくしたほうがましである。
戦争をしてまで、すなわち平和をこわしてまで「守る」価値のある領土はない。
かりにそこでは膨大な埋蔵量をもつ天然ガスが出るとしても、
あるいは大量の魚が獲れる豊かな漁場だとしても、
さらには外貨を稼ぐに足る素晴らしい観光資源があるとしても、
現在の独島がもたらしうる最上の価値は韓日間の平和だ。
一年の半分は暴風が吹きつけ、
実際にはさほどたいした利用価値はないとされる独島を、
いま少し価値あるものにする道は、
検証されない華やかな修飾語を乱発してその所有権を主張することではなく、
独島を通じて立派に和解することである。
(略)
かくして独島が韓日間の平和を象徴する「平和の島」になりうるとしたら、
その日は韓日両国がまことの和解へと向かう道に、
かつてない大きな一歩を踏み出す日となるに違いない。
(とみんだの見方)より
第四章 独島- ふたたび境界民の思考を 211-212頁より
国家の境界は、民族と言語にもとづく血縁的、文化的境界とあわせて、
川や山脈を通じた自然の境界を基盤に規定される。
しかしそれはいまや遮るための境界でなく、
疎通するための境界とならねばならない。
境界は、それを越えて出会いを求める希望を呼び起こすものでなければならない。
向き合う時間より閉じこもる時間のほうがはるかに永かったせいで、
語り口や考え方に差異の生じた人々との出会いのときを心楽しく思い描ける、
そのような境界であらねばならない。
境界内部の構成員のためだけの利己的な境界であれば、
そのような壁をめぐらすばかりの境界であるなら、
また将来の反目と不和を孕んだ境界であったなら、
むしろなくしたほうがましである。
戦争をしてまで、すなわち平和をこわしてまで「守る」価値のある領土はない。
かりにそこでは膨大な埋蔵量をもつ天然ガスが出るとしても、
あるいは大量の魚が獲れる豊かな漁場だとしても、
さらには外貨を稼ぐに足る素晴らしい観光資源があるとしても、
現在の独島がもたらしうる最上の価値は韓日間の平和だ。
一年の半分は暴風が吹きつけ、
実際にはさほどたいした利用価値はないとされる独島を、
いま少し価値あるものにする道は、
検証されない華やかな修飾語を乱発してその所有権を主張することではなく、
独島を通じて立派に和解することである。
(略)
かくして独島が韓日間の平和を象徴する「平和の島」になりうるとしたら、
その日は韓日両国がまことの和解へと向かう道に、
かつてない大きな一歩を踏み出す日となるに違いない。
(とみんだの見方)より