NPOワークスみらい高知PRESS

「NPOワークスみらい高知」の日々の活動のほか独自の視点で障害のある人を取り巻くことについて伝えていきます。

社会福祉法人の研修で講師

2012-07-06 22:48:37 | Weblog
中四国の社会福祉法人青年経営者会セミナーで、NPOの視点からお話。強みは弱みにもなりうると実感いや痛感。安定は変化することに臆病になり、信頼は挑戦することを遠ざけ、できることしかしなくなる。変わってはいけないもの、変わり続けなくてはならないもの、ラクかもしれないけれどそのラクは「楽」とは書かず「落」と書くんだよ。転石苔生さず。どこまでもどこまでもローリングストーン。それを忘れた時、人は年老いる。

講演のお断り

2012-07-04 00:38:29 | Weblog
めったにないことだが、講師依頼をお断りした。「助け合うことの大切さ」、「相手を思いやる気持ち」を児童に話してほしいとの純粋な依頼だった。大切なことだが、何より「どのような困難があろうと、自分自身をしっかりと生きること」の大切さを子どもたちには伝えていきたいと思っているので、「助け合う、思いやること」といった話にはならないと。
お互いが自立しようとする関係からしか本当の助け合いも思いやる気持ちも生まれないと思う。その関係に依らない助け合いは慈善に過ぎず依存につながるだけだと思う。

課題があることを嘆くのではなく課題に取り組んでいないことを嘆く(2)

2012-07-01 23:04:17 | Weblog
電器店に行って感心した。扇風機の羽根のカバーに触れると電源が切れるというのである。「扇風機は子どもが手を切るので危ない」に対してはこれまでカバーが開発されたり、隙間を狭くしたり、羽根自体がソフトになったりと「課題」にずっと取り組み前述の機能を持つに至ったのだ。家電業界は扇風機登場以来のこの「課題」を「課題」のままとせずずっと取り組んで来たのだ。扇風機を買いに出かけたわけではないのだが、すっかり感心してその扇風機を試しながら「課題」に対する真摯な向き合い方の差についてしばし考えた。

課題があることを嘆くのではなく課題に取り組んでいないことを嘆く

2012-07-01 22:21:23 | Weblog
先日行政主導のある会議でのこと。地域移行に伴う“副作用”について早めに対策を、と訴える会だったのだが、別の話題の方の始末が気になった。「夏休みなど長期休暇の児童のケアについて」である。直接関わりがないので忘れていたが、これ、私が仕事をし始めてずっと「課題」になっていたことだ。「夏休みは特別支援学校はレスパイトのため、学校が当番で開校する」とか「市が長期休暇ケアの市単独事業を開始した」など何かあってもおかしくないが、私がこのことを知って四半世紀の間、ほぼ何もなくずっと「課題」のままだ。「課題」という響き、何やら一生懸命取り組んでいるようで好感すら持たれることもある大変都合がいい言い回しだ。何もせず「課題」としているだけで、関わる当事者も全くやっていないどころか、一生懸命考えて取り組んでいるように錯覚してしまう。このままだと提案の件も数十年「課題」となるかもしれない。問題に気付いた当事者として年限を切って「課題」解決に導きたいと思う。