「ああ・・いやじゃあ」
祠の黒龍のところにきのえがやってくると途端に溜息を漏らす。
「どうしたという?」
「婆さまがうるさいに」
「どう?」
うるさいという?
「藤太がところによめにいけというんじゃ」
「藤太か?」
黒龍はすぐさまに藤太の人柄を読んだ。
「よいではないか?」
「よいものか」
「良い男じゃ。何よりも優しい男じゃ」
「優しいがよいか?優しいがよいならおまえの方がたんとやさしいに」
「わしは」
「やさしいに・・・」
そうかもしれない。
だが、おそらく藤太の優しさとは種類が違う。
「おまえが事を誠にたいせつにおもうてくれるわ」
「おまえはどうじゃ?」
何故いちいち黒龍をひきあいにださねばならぬ?
「わしは・・・」
きのえを得心させる言葉に戸惑った。
「そうじゃの。わしは、藤太のようにおまえを女子として優しくおもえん」
「女子?」
やはり、そうといなおされたか。
「女子と言うは、己の子を育ませたい相手じゃ。
胤を植える為に傷を与えても我が物にして護りたい。これが女子に寄せる情じゃ」
「おまえは・・・。きのえが子を孕めぬ子供じゃとおもうておるか?」
「い・・や。いずれ、おまえは女子になれよう」
藤太の女子という、嫁になれよう。
「わ、われは、おまえが子をはらみたいに」
花嫁への憧れは、見知らぬ男への恐れにいびつに曲がってしまったようだった。
「心配すな。藤太は本に優しいおとこじゃ。おうてみればよいわ」
「違う。きのえが本意は・・・」
黒龍にむしゃぶりついてくるきのえをなだめた。
「そういう事は藤太にしてやることぞ。
さすれば藤太がおまえの夫になってよい男だという事がよく判る」
「ち、ちがう・・」
「ちがいはせぬ」
「おまえ・・・」
唇をかんだ子供が口をへの字に曲げて泣き出した。
わがままがとおらぬ。
思いついた自分だけの明案がとおらぬ。
大人の男はきのえの恋慕をこけにして、
本気で断りもせぬ。
「黒龍のおおばかたれ!」
なにがくやしいといって、童にしかみてもらえぬことである。
「わしは、ばかたれか?」
「ちごうたら、まぬけじゃ・・・」
「やれやれ・・・」
完璧に子供相手の黒龍でしかない。
だから、なおさら口惜しくて涙がこぼれるというに、
このばか者はきのえのあたまを撫ですさるだけだった。
それでもきのえは洞の祠にかよう。
「黒龍」
呼ばわれた男はむくりと起き上がる。
池を伝いあがってくる少女の足が凍えているのがいたいけで、
黒龍は袖であしをふきあげてやる。
「つめたかろうに」
だが、それでもくるなとはいえない。
この世でただ、一人黒龍の姿を映す人間である。
綺麗な心である証を持つ少女の存在を疎む事はできはしなかった。
「黒龍」
へちゃりと胸に甘えてくる。
少女の恋慕は憎くはない。
答えてやることは出来ないが、いずれ少女にもあきらめがつこう。
ほんの少し背伸びした恋だったと少女が気が付くまで、
黒龍は妹を思う
兄
のようにきのえを見詰るだけだった。
「黒龍・・・」
「ん?」
「おまえは・・・おかしな気にならぬか?」
「おかしな気?」
「きのえは・・・おまえに・・・」
何おか言おうとした言葉が止まり、きのえは瞳を閉じて黒龍の胸にすがった。
「こまったものじゃのう」
それを藤太にぶつける事を恐れて一等最初に出会った異性の優しさに惹かれている。
どう、この幼い妹を得心させればよいのか?
男と言う者は優しい者じゃという事を疑わせたくもない。
きのえの抱擁に逆らいもせずかといって受け止めもせず
黒龍はきのえのすがるに身体をまかせていた。
「のう、藤太におうてみぬか?」
「いやじゃ」
藤太に会えば見えてくる。
現の世に、人としての生き様を重ねる相手がだれであるべきかはっきりとわかる。
「まだ・・・いやか?」
「ずうと、いやじゃ」
「ふううむ・・・」
よわったものだ。
きのえのさいわいを邪魔立てする者が誰あらぬ自身である。
「あまり、ごてをいうておると・・・」
ここに来させぬ様にするぞと言う言葉を黒龍はとめた。
きのえが・・・こぬようになる。
それはそれで、寂しい事だとふと黒龍は思った。
だが、このままでよいのだろうか?
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