「そりゃあ、確かに付けってものに、いちいち、証文をかいてもらうわけにはいきませんけどね。取立てをするには、順序ってのものがあって、まず、いくらのつけがございます、って、おしらせして、いついつまでにはらってくださいって、きちんと話をもっていく・・」
女将の話ぶりが男を庇うとみてとると、修造の若い衆は、やおら、袖をまくってみせた。
二の腕に、波模様の刺青があるというのは、背中に背負うは昇竜か昇り鯉というところだろう。もちろん、若い衆が刺青をみせびらかすために二の腕をまくってみせたわけじゃない。女将の口を封じさせようとの脅しでしかない。
有無をいわせぬ脅しにはいはいとへいつくばってしまっては、男を窮地からすくいだせない。
「おや、この柄は昇竜かい?」
と、女将はすっとぼけてみせた。女将のいちかばちかの捨て身の策でしかない。刺青ひとつに顔色をかえず、さらりと、背中のものを言い当てる。若い衆はいくばくか考え込む。女手ひとつで、小商いを張る。これだけでも充分考えられることだが、女将の後ろにそれ相当の者が居ると思えなくも無い。そして、はたして、女将は顔色をかえず、いかにも、刺青を見慣れているような科白を吐く。
若い衆がちょんのま、たじろいだところに女将は畳み込んだ。
「まずは順序ってものがあろう。返さないといってるわけじゃないんだ。いついつまでにこれこれこういう金額をかえしてもらえないか。そういう風に話を持っていくのが筋だろう?」
若い衆は黙り込む。女将のうしろが気になる。てめえひとり、女将をたたきのめすのは、簡単なことだが、これが、ほかのしまの長の情婦でございとなれば、喧騒は組に広がる。
女将がどこかの親分の色だなんて話は聞いてはいない。だが、いちいち、それを口に出すもんでもないのも、定法だ。ひょっとすると、ひょっとする・・。おまけにぬけぬけとこっちに説教をたれやがるとなれば、それ相当に力があるものがうしろだてなのかもしれない・・。様子をさぐりさぐり、若い衆は言葉を返した。
「だけどなあ、女将。こいつは払ったといいぬけやがるんだ」
「そりゃあ、嘘じゃないだろう。その人にすりゃあ、払った。あんたたちはそれじゃあ、全然足りない。そういってるんだろう?そりゃあ、さっきいったように、話の順序がなりたってないから、そういう食い違いができるんじゃないか」
ああいえば、こういうかと、若い衆は女将をみすえていたが、
「じゃあ、なにかい?女将、あんたが、代わりにはらってくれるっていうのかい?」
払わないといえば、関係ないものが口をはさむことじゃなかろうと言い返す。払うといえば、まちがいなく、うしろになにものかいるってことになる。さぐりをいれる言葉を女将がいともたやすく、跳ね返した。
「どういう考えでそういう口になるのかしらないけどね。あたしが言ってるのは、まずは、金がさと、いつまではらうのかをその人につたえるだけがあんたの役目じゃないか?っていってるんだよ」
「なるほどね・・」
尻尾をつかませないだけの知恵と妙な度胸がある女将のうしろの存在がありていにみえてきたきがして、若い衆は女将に逆らうことはやめにした。かわりに男にむきをかえると、
「けえす金は30両。そうだなあ、三日まってやっらあ」
捨て台詞にすると、若い衆は背をむけて店からでていった。
若い衆が暖簾のむこうに消え去ると、途端に女将の足元がわななくように震え、がくりとその場にひざをついた。
だが、とにかく、この場を乗り切ったと思う。のりきれたのも、大橋屋の隠居がなんとでもしてやると女将におしえてくれていたおかげだと思う。それがなかったら、あそこまでの啖呵をきることなぞ出来なかったと思う。
「女将・・・すまなかったな」
女将を覗き込んで男がしょぼしょぼとわびをいう。
「あんたにまで、迷惑をかけちまって・・」
「侘びをいってる場合じゃないよ。あんた、三日後に30両なんて金が手にはいるあてがあるのかい?」
男は妙にさばさばと、笑った。
「ねえよ。あるわけがない」
だのに、なぜ、この人はこんなにも泰然としているんだろう。
「ないって、あんた、じゃあ・・」
女将の胸の中に黒い不安が大きく湧き出していた。
「まあ、なんとかなるさ」
なんとかなる?なんとかなるのは、借金を返せない自分がなんとかなるだけだろう。
「あんた、まさか、馬鹿な了見をもってるんじゃないんだろうね?あんたが、おっちんでしまったって、借金は残るんだよ。修造があんたの命と引きかえに借金をちゃらにするとでもおもっているんじゃなかろうね?いいかい?修造はあんたが死んだって、おかまいなしさ。借金のかたにって、お里ちゃんを女郎屋に売っぱらっちまうんだよ・・あんた、死ぬなんて気になっちゃいけないよ。生きてりゃ、なんとでもなるんだから・・」
「お里が・・?」
「そうだよ。そうなっちまうんだよ・・」
「まさか・・」
「まさかって?あんた、30両の金を修造がふいにするわけがないじゃないか」
「あ・・・」
この期に及んでわが身だけで始末がつかないと知った男はその場に力なく崩れ落ちた。
「しっかりしておくれよ。いいかい、これから、あたしがあんたを助けてくれる人の所に連れて行ってあげる。だから・・」
「俺を助けてくれる?」
「そうだよ。文次郎親方がね、まさかの時にあんたを助けてやってくれって大橋屋のご隠居にことずけていたんだよ」
「親方が?」
「そうだよ」
「親方が・・・?」
「そうだよ・・」
「ふっ・・俺にうしろめたいからってかあ?で、俺を窮地においこんで、仕事もできなくさせておいて、困ったあげくたすけてやるってかあ?そんな・・助けなんかいら・・ねえよ・・」
女将は大きく息をすいこむと、男のよこっつらを思い切りはりたおした。
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