折口信夫によれば、河童の皿は「胞衣(エナ)」だった。「胞衣」は「胎盤」であり、これを蒙って生まれる子供には尋常成らざる力が宿っていると信じられていた。「河童」のイマージュも「小児」であり、また「水の精」。
河童の異名は多くある。ガアタロ(壱岐)、カワッソウ(肥前)、カワロ(但馬)、ガタロ(播磨)、カワタロウ(畿内)、ミズシ(能登)、ガワラ・ガメ(越中)等々。そういう中で「エンコウ」と呼ぶ地方がある。出雲から長門にかけての山陰西部、および伊予・土佐の四国西方。これはたぶん「猿猴」(えんこう)、つまり猿のこと。
柳田國男によれば、河童の駒引き(駿馬を河に引き込む)から駒を守るのが「猿」。「猿」も「水の精」であり「河童」に類する。-- 日吉のつかわしめの猿は水の良否をよく見分ける。そして最浄い水の至るのを待って、神に告げて、神の禊をとり行なう-- そしてこの「猿」は日吉大社の神使であり、「日吉」は「日枝」、「比叡」のこと。
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比叡山延暦寺は言わずもがな、内裏の鬼門鎮護であり、鬼門とは「丑寅」の方角。「山海経」に曰く「東海に度朔山という山あり。その山の上には枝の廻り三千里にも及ぶ大きな桃の木がある。その“東北”にある門を鬼門といい一切の鬼の集まるところで、これを天帝の命によって神荼と鬱塁という兄弟が守っている。もし人に害をなした鬼があれば、葦の索で縛って虎に喰わせた」。
日で言えば「艮(うしとら)」とは、「陰」の極まる「丑の刻」と「陽」の始まる「寅の刻」のあわいであり、歳で言えば十二月の「丑の月」と新年の「寅の月」のあわい。四季で言えば「冬」と「春」のあわい。ゆえに「艮」とは「陰」と「陽」の継ぎ目であり、「生」と「死」の継ぎ目。「再生(よみがえり)」の場所であった。だから「陰(鬼)」は「陽(寅)」に喰われて、そして「生まれ清まる」。
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こうした場所は最も「穢れ」を嫌う場所であり、ゆえに忌避の場所であった。-- 日吉のつかわしめの猿は水の良否をよく見分ける。そして最浄い水の至るのを待って、神に告げて、神の禊をとり行なう--
こうして黄泉の国より帰ったイザナギに禊を勧めたのはククリヒメであった。そして、筑紫の日向の小戸の阿波岐原に禊たまいて生まれたのが、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの三貴神。スサノヲは滄海原(アオウナハラ)の神であり、スサの神であり、サスラう神であり、あらゆる穢れという穢れが流れ行き着くニライの神であった。-- 根の国、底の国に坐す速佐須良比咩という神、持ち佐須良い失いてん、此く佐須良い失いてば、罪という罪は在らじと、祓い給え清め給う-- (大祓詞)
穢れが流れ集まるスサノヲも、「生」と「死」の継ぎ目、そして「生まれ清まる」。
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「鬼」とは何か。そのイマージュの一端は、それは「生」と「死」のあわいであり、「浄」と「穢」のあわいでもあり、あわいとは、目に見えぬ隠れたるモノ。ゆえに「鬼」は、自ら「隠れ」、またそれを「探す」。それは地下に潜る「水」の流れのごとく絶え間ない。
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