慌てふためいているのは私だけのようで、テントの中の女性達は医師たちの様子で、手術室を使えないことは元より、看護士の助産も無理だと判断していたようだった。
テントの外にでて、干されている看護服をみつけると、さいわい、乾いていて、私はとりあえずそれをはおることにした。
次は・・。
まず、手指の消毒だろう・・と、手を洗い、応急処置テントにはいって、消毒アルコールを探した。
アルコールをさがしながら、ふと、迷う。
確かTVの手術の場面では、ヨードかなにかを手にぬって
それから、ぴっちぴっちのゴムの手袋をはめてなかったっけ?
アルコールなんかでいいのかな?
と、この期に及んで何も知らない自分に迷いだす。
そんな、あたしをひっぱったのが、先にテントに妊婦を運び込んだ女性のひとりだった。
テントのむこうを指差して、見せる。
見れば、隅のほうで、湯をわかしている。
二本の指をだして、ちょきちょき・・と、うごめかせてみせる。
どうやら、はさみを熱湯消毒しているらしいと理解できた。
あたしが、カメラマンだってことは、十分承知のはずなのに
助産もできるとおもわせてしまったのだろう。
彼女たちができる手伝いをするつもりらしく、
いきむための添え場のない診察ベッドの傍には3人が待機していた。
産湯の湯をわかすものやら、
メスを湯からひっぱりあげてるものやら・・・。
しずまりかえった診察室の中に妊婦のうめき声がきこえはじめていた。
そして、最初にあたしを引っ張った女性がヨードらしきものにピンセットではさんだガーゼを浸していた。
あたしは、両腕をだして、それをぬってもらって、やっと、ぴっちぴっちの手袋をはめおえて
妊婦のそばによっていった。
それから、どうすればいいのだろう・・・?
あたしのポケットにはいった携帯を傍にいた女性にひっぱりだしてもらって
看護師にコールをいれてもらった。
スピーカーにかえてもらうと、看護師の声が響いてきた。
「準備OK?」
「ええ、妊婦の前にたっている」
「そう。じゃあ、子宮口がどれくらい開いてるか?
子供がどこまで、降りてきているか、確かめて
あ?破水してる?」
「え?」
どうやって?破水?
とにかく・・その場所をみてみるしかないだろう。
「破水・・してるみたい・・
あと、赤ちゃんの頭が・・みえる・・」
それが、どういう状態なのか、
この先、どうすればいいのかもわからない。
「うん、わかった」
看護師はたったそれだけ返事すると電話をきった。
どういうことなんだろう?
どうすればいいんだろう?
TVでみかけるひーひーふーだっけ?
周りの女たちはよくわからない言葉で妊婦になにかいっている。
ひとりが、妊婦のおなかに手をあてていた。
陣痛の間隔をはかっているんだとわかると彼女たちが
陣痛の波にあわせて、いっせいに声をかけていることにきがついた。
子供をうみだすための波にあわせて、いきむようにいえばいいんだとわかった。
今のあたしには、それしかできない。
「はい!!いきんで!!」
周りの女性たちの声の中に混じりだしたあたしの声に妊婦は安心しだしたように見えた。
そんなことを何回かくりかえしていると
あたしの傍らの台に消毒をおえたメスとか鋏とかなんだかわからないものがおかれはじめた。
ーまさか?それをあたしがつかう?
メス?それをつかわなきゃいけないほど、切迫してる状態ということ?-
迷うどころじゃない。
なのに、そのメスとか鋏をもってきた女性は
腰をつきだして、子宮口あたりを切れというしぐさを見せ始める。
こ・・・これは、いよいよ、あぶないってこと?
どこをどう切ればいいかもわからない、あたしはメスをもったまま
頭の中がまっしろけになっていた。
たぶん、子供がでてくるのに、負担をかけないように入り口を広げてやるという事なんだというのは理解できる。
理解できるけど・・・
真っ白になった頭の中で時間がとまったような、
どんどんすぎていくような、
まるで、白実夢をみているような・・
それでも、あたしはこのまま放置していてはいけないんだと
メスを持った手を彼女の入り口・・いや、この場合は出口だろうけど
近づけていった。
そのとき、だった。
あたしの手に誰かの手がそえられた。
「そう、ここ」
「45度くらいに・・うん」
そえられた手に誘導されてあたしは、メスをいれていた。
それは、恐怖といっていいかもしれない。
人を切るなんて、医者か異常者しかいないだろう?
あたしの意識は完璧にとんでしまっていて
ただ、呆然とつったっていたに違いなかった。
突然の赤ん坊の声で我にかえってみれば、
看護師が赤ん坊をとりあげていたし、
さっき、手をそえてくれた声の主はいなかった。
声は男の人だった。
たぶん、医師?
看護師は手早く、子供を産湯であらい、あらいざらしのバスタオルにくるむと
あたしに渡した。
「おかあさんにみせてあげて」
と、いいそえて。
ふにゃふにゃでやわらかな赤ん坊をうけとると
あたしの瞳から涙があふれてきていた。
涙のまま、おかあさんのそばにちかよっていくと
おかあさんはそっとあかんぼうのほほにふれた。
看護師は小さな声で
「チサト・・女の子だよ」
と、おしえてくれた。
きっと、つうじるはずもないけど
あたしはおかあさんに同じことをいった。
「女の子だよ・・おめでとう」と。
結局、あたしはなんにもできなかった。
できなかったけど・・
赤ん坊の重さがずっしりと手の中にあって
良かった。
無事にうまれてくれて、良かった。
って、もう、ただそれだけだった。
*会陰切開は医師でないとできません。
ここは架空の物語という事でご容赦を*
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