社の外の日差しは明るく、
社の傍らの柔かなにこげに包まれた猫柳が膨らむのを見守る様に
日の光が新芽を包んでいた。
『政勝というたな』
政勝を探す事は造作ない事であったが、
波陀羅はその前に伽羅に逢いたかった。
波陀羅が伽羅の元へ行くと、波陀羅の姿に気が付いた伽羅の方から尋ねてきた
「双神におうたのか?」
伽羅の言葉に波陀羅が軽く頷くだけで、
やはり波陀羅の望みはらちない事に終ったのだと伽羅は考えていた。
「比佐乃は御前が寄越した金で、家を借りておる。
澄明が裏で仕切ってくれてな。
澄明は陰陽師であらば比佐乃さんが
己の身上を読まれると恐れるだろうからと表にはでておらん。
御前の銭は一樹から預かって来た物であり、
森羅山でおうた女がそれを宿に届けて遣したと言う事になっておる」
澄明から聞かされた事をそのまま告げると
「ああ。それが良い」
波陀羅もほっと安堵した顔を見せた。
いわれのない銭をどう渡せば良いか、
どう言えば比佐乃が心置きなく銭を使う事が出来るかを考えられた采配のし方と、
比佐乃の身上を思いやる澄明の心配りである。
「澄明というは頭の良い女子なのじゃな」
「澄明は女子の気持ちをよう、判ってくれおる。
あれも悲しい通り越しがあったから、御前の事も気に病んでおる」
「見も知らぬ、女鬼が事をか?」
澄明が白銅と供に波陀羅の姿を見ている事なぞを知るわけもない波陀羅は
きき返した。
「あれはそういう女子じゃ。なんでも、かでも己の胸の中に取り込んでしまう。
己の胸の中に抱き入れずに置けぬ性分なのじゃろう。
で、なければ比佐乃の事も家なぞ借りずとも、もっと良い所があるに」
「どういう事じゃ?」
「あれが家にきおる八葉と居う女子が所が一番、産女には頼りになるに。
なれどな。な、澄明は御前が比佐乃に逢える様にと、考えたんじゃろう。
それに、そうすればお前も比佐乃が独りでおって気ずつなかろうと
顔を出してやる気になるだろう?
比佐乃は御前の事を母としらねどもなによりも頼りにしたいのはお前であろう?
一樹に頼まれたという事にして銭を渡す時でも
御前の事を言うたのは御前が比佐乃の元に行ける様に
伝手を作っておいたのだと思うぞ」
伽羅が言おうとする事に波陀羅は頭を垂れた。
「我は確かに比佐乃が気になる。が、もう、逢うまいと思うておる」
「何を気にする?良いではないか?
陰陽師の娘だったというたとて比佐乃はなにひとつ、陰陽事なぞなろうておるまい?
一樹もそうであろう?
御前の正体が暴かれる事はないに。
それに、何よりも、御前が実の母親じゃろうが?
外側の身体なぞどうでも良い事じゃろうに?
大手を振っておうてやれ。
産を成した事のある者でなければ比佐乃の不安は判るまい?
我じゃいくまいに?
八葉とて、比佐乃の母であるまいに?
母親の思いを伝えられるのは御前しかおるまいに?
親身になれるはお前しかおるまいに」
伽羅の言葉に、波陀羅は素直に頷けた。
同時に何気なく言った伽羅の言葉が波陀羅に一つの慟哭を与えていた。
黙り込んだ波陀羅である。伽羅が
「どうした?」
「いや。陽道がの。一樹に陰陽事を教えなんだのは、
織絵の中に鬼が棲もうとると知ったらどんなに苦しむか。
それを見て我がもっと苦しむのを憐れと思うて、教えなんだのかとふと思ってな」
「波陀羅。もう、すんだ事を穿り出すのはやめようぞ。
陽道がどんな思いで教えなんだかは我にも判らぬが、
御前は、今思うた思いで、また自分のした事を責め悩んでしまう。
なってきたことを今更悔やむ事はできぬに。
陽道が良き思いで居たにしろ己可愛さで己を守るためにした事にしろ。
其れを暴くのも、其れで御前が自分を責めるのもよくない。
もう、そのまま、受け留めてやろうぞ」
「そうじゃの」
「様子を見て来てやるの?」
事を比佐乃の事に戻すと、伽羅は確かめる様に波陀羅を覗き込んだ。
伽羅のその瞳が笑みを湛え、波陀波は静かに頷いていた。
「ああ。そうじゃ、伽羅。政勝という男の家を知らぬか?」
波陀羅の口から出された名前に伽羅は一瞬ぎょっとした。
が、何気ないふりを装って
「ああ。城勤めをしている男か?」
探る様に尋ね返した。
伽羅はこの度、政勝達がこの事件に関わっている事を
澄明から一切、聞かされてはいなかったが、
一樹が双神の元に呼ばれたと、波陀羅に聞かされた時から
独鈷の代わりにされるのだという事には見当がついていた。
そして、波陀羅が双神に合いながららちがあかなかった様子を見せながら
その事について何も言おうとしない事にも
少なからず訝しい思いを湧かせていたのである。
其れが政勝という波陀羅が知るわけもない男の名を口に出すとなると、
伽羅は単純に、線を描く様に思い当たった事をつないで見ただけである。
一樹が独鈷に成変わるなら
独鈷にとっての一樹の存在に当たる者が、必要なのではないか?
それが何故か政勝という事なのではないかと考えたのである。
そして、波陀羅は双神が政勝を引き入れる、その手先にされている?
其れらの事が矢継ぎ早に伽羅の脳裏に浮んで来たのである。
「ああ?城に努めておるのか?」
波陀羅が逆に伽羅に尋ね返して来た。
「我の知っておる政勝かどうか・・・よう・・・判らんが・・・」
素直に教えれば良いのか、
その男がどうしたのだと聞いてみるのが良いのか、
伽羅が考え込んでいる間に波陀羅の問いに先を越された。。
「取合えず教えておいてくれぬか?他にも居るのなら、探してみるわ。
ああ、そうじゃ、妻の名を、かのとというた」
間違いなくあの政勝であると判ると伽羅もごくりと唾を飲んだ。
「それならば。確かにその男じゃな。その男に何の用なんじゃ?」
「何。双神の呪縛を解く事ができる鍵を握っているそうな」
波陀羅も具体的に言おうとしないのである。
が、何かしら説明をせねば、
伽羅が言い渋るだろうと波陀羅も嘘ではない事で、言いぬけようとしていた。
政勝が鍵を握っていると言うが、
伽羅は波陀羅が言う事はおかしいと感じ取っていた。
が、
「そうなのか?あの政勝が、か?あの男がほんに救えるのか?」
空とぼけておく事にした。
伽羅の胸の中では、
どうしても澄明に縋ろうとしない波陀羅であれば
逆に成る様に成らさせて糸を掴むしかないといった澄明の思い通りに
波陀羅が動くのを見逃すしかないという思いが湧いていた。
「ああ。そうなのじゃ。それと、その男城で何をしやる?」
伽羅も二人の子の救いに望みを託しているのだと波陀羅も考えていた。
「そうか。ならば」
伽羅が政勝の屋敷の事や城勤めの事なぞ教えてやると、波陀羅はにこりと笑いながら
「これで助かる」
言ったかと思うと伽羅の棲家を出て行こうとする。
「は、波陀羅。比佐乃の所には、行ってくるるの?」
伽羅が慌てて念を押すと
「ああ。これで行ける様になろう」
答えて跳び退っていったのである。
政勝を使って二人の子が救われたなら、
波陀羅はもう敢えて二人の子の元に姿を見せる必要がなくなる。
そう考えているのではないかと伽羅はふと思ったが、
そんな事よりも政勝こそ澄明の妹のかのと亭主殿である。
伽羅も慌てて澄明の元に駆け込む事になる。
澄明の家の近くまでは人に逢う事もなくやって来たのであるが、
人通りがせわしくなってくる往来にまで出て行くには
伽羅も何処かの人の身を借り映さねばならなくなり、
横町の長屋の井戸の前で朝餉の仕度を始めていた女の姿を目に焼き映すと
物陰に隠れて、己の姿を人の姿に移し変えた。
「こんなものだろう」
馴れぬ事をした仕上りを確かめる術もなく、
伽羅は小走りで澄明の家を目指して行った。
玄関先で澄明を呼ばわると先に正眼が現われて
「おお?伽羅か?」
一目で見抜くと、伽羅を鏑木の部屋に通してくれた。
しばらくするとわいわいと声が聞こえてくる。
伽羅も何ぞあったかと耳を澄ましていると
「どうせ、判っておる事じゃ。二人で出て来れば良いわ」
正眼の声が聞えて来た。
どうやら早すぎた伽羅の来訪で
寝過ごした白銅が帰る機会を無くしたまま澄明の部屋におるのだ
と伽羅も苦笑して、正眼が直接澄明の部屋にでなく
この鏑木の部屋に伽羅を座らせたのも、道理の事と納得していた。
やがて二人が揃うて、伽羅の前に現われたので
「仲の良い事じゃの」
伽羅が掛けた言葉に、白銅の方が取合わなかった。
「人の姿に変えて来ねばならなかった程の火急な事の方が気になるのだが」
白銅に掛けられた言葉に伽羅の方が瞬時に真顔になった。
「波陀羅が来ての」
伽羅が一言言うと、澄明も白銅も膝を揃えて座り込んだ。
「波陀羅が政勝の居所を教えてくれと言出したんじゃ。
どうせいでも、あれの事じゃから探し出すに決っていると思うて
知らぬ顔でこちらも教えてやったのじゃが、なんで、政勝の事なぞを」
伽羅の不安な顔を見ていた澄明がとうとう伽羅に言うてなかった事を曝け出した。
「伽羅には言うておらなんだが。
双神は政勝殿を独鈷の代わりにするつもりでおるのです。
政勝殿から引き出されるかのとと一穂様のシャクテイを当て込んでおるのですよ」
「澄明。それを始めからわかっておって、我に言わなんだのかや?」
「伽羅。それを言うたら、御前、波陀羅をそのままにしておかなかったでしょう?」
伽羅が澄明の縁の者に手をかける波陀羅を許そうとするわけもなければ、
波陀等を止めようとした伽羅の命も危うかった。
「澄明」
澄明は一言いったきり黙りこんだ伽羅の手を取ると
「伽羅が私を信じるというのを聞いた時から
伽羅が政勝殿の事を知っても
私とかのととの事は何も言わずにいてくれるようにと念じておりました。
伽羅が無事で良かった」
澄明が故々、伽羅に「成るに任せる」と言うた裏には
伽羅が敢えて、政勝、かのとの澄明との縁を
波陀羅に伝えずに塞ぎこんでおこうとする言霊の力があったのである。
「だから。伽羅。それで良かったのです」
先々まで読みこなしている澄明の思慮の深さに
伽羅はつくづくこの女子はほんに頭の良い女子じゃと思った。
に、しても問題は政勝である。
「か、かのとの名前もいうておったげに。波陀羅が何を考えておるや・・・ら」
思い当たる不安を、伽羅は口に出す事も出来ずいると
「伽羅。よほどの事がない限り、政勝殿もかのとも大丈夫ですよ」
伽羅の不安を取り払うために澄明が言うのを
横で黙って聞いていた白銅も大きく頷いていた。
「なんで、そう言い切れるに?」
伽羅が尋ね返すと
「この前から、黒龍が二人の守護に入っておる」
白銅が澄明に代わって答えた。
「黒?黒龍!?青龍でのうて?朱雀でのうて?黒龍なのかや!?
な?どうなっておるに?」
「政勝は黒龍が子孫じゃに。かのとにも由縁がある。守護は絶大な物である」
白銅が言放つと、出てきた大物の名前に流石に伽羅も安堵したのか
「一体。全体どうなって居るかよう、判らぬが、それほどの者が守護するなら」
頷くと伽羅がもそもそと尻を立て始めた。
その様子を見た澄明が
「早苗が所に行くなら乳は搾れば搾るほどに出ると勢姫に言うてやって下さい。
それと、乳を飲ませる内は人の倍は腹が空きます。
八葉に言うて、米を貰って行きなさい」
伽羅に言う口の下から気忙しく立ち上がると、
自分からくどに伽羅を引張って行った。
「八葉。米を持たせてやってくれぬか」
澄明の咄嗟の事は良くある事の様で、
八葉もてきぱきと木綿布を用意すると
凡そ一斗ばかりもあるかと思うほどの米袋を作ると聞いて来た。
「これで足りますか?」
澄明は伽羅を向直ると
「無くなったら取りに来なさい。ここに来て八葉に言えば良いのですからね。
伽羅の分も取れば良いのですよ」
伽羅にその米袋を渡した。
「白いお飯で育った勢であらば、どんなに喜ぶか」
衣居山での暮らしは、勢姫にとっても粗末な物を口にし、
慣れぬ家事をこなして行く事でもあった。
それでも、悪童丸の傍が良いと辛い事一つ口に出さない勢であらば、
伽羅もこの土産を持ってゆけるのが嬉しくてならないのである。
伽羅を送出すと、八葉が肩越しに澄明に言った。
「ひのえ。白銅様の朝餉も用意してありますから」
大きな声で正眼が言った事がくどに居た八葉にも聞えていたのであろう。
照れ臭いのを隠す様に顔を下に向け、小さく澄明が返事をすると
「こんな事で白銅様の嫁が務まるのですか?
陰陽事もよう御座いますが、しっかり、くどの事も出きるように、
少しは八葉の傍に立って・・・」
小言を繰り返し始めると澄明も逃げる事も叶わずじっと立ち尽くしている。
と、ひょっこり、白銅が顔を出して
「八葉。多少の事はわしがてつなうに」
庇い立てに入ってくるので
「まあ、まあ、お甘い考えで御座います事」
呆れ果てながらも、優し気な白銅に何を言っても始まらないと
「まあ、今日はよう御座いますよ。八葉の御手並みをご披露しときましょう」
二人を向こうに追いやると、八葉も食事の用意をし始めたのである。
追いやられたのを良い事に白銅とひのえが自分の部屋の戻ると
「伽羅にはああ言うたが、どう思うておる?」
白銅も伽羅を安心させる事だけに専念していたが、
実の所は波陀羅の動きを気にしていたのである。
「私もそれは考えておったのですが、まず、波陀羅の企ては失敗するでしょう」
黒龍の守護の元。波陀羅の目論見がうまく行く訳は無いのである。
「が、それで双神が諦める訳はないでしょう?今度こそ双神が動き出すと思います」
「今度こそ・・・・正念場かの?」
「ええ、そうだと思います」
「どう、動いてくるか」
澄明が首を振るのは、澄明にも予測できないからである。
白銅は澄明をしっかり胸の中に包んだ。
「白銅」
振るえる声が白銅に縋って来ると
「護ろうぞ。かのとを政勝を、一穂様を、必ずや護ってみせようぞ」
白銅が声を大きくした。
この思い一つで何もかもが動いて来たのである。
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