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憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

宿根の星 幾たび 煌輝を知らんや 16

2022-09-03 17:00:24 | 宿根の星 幾たび 煌輝を知らんや

宿に着けばいっさきに上り框で足をすすぎ、板の廊下を素足で踏みながら有馬は宿屋の主人をよぶ。
何を言うか知らないが、今度は有馬が一人で采配を振るっているのは確かで
有馬の言葉にふんふんと頷きながら宿の之主人は確かめるように数馬と絹を見返ると「わかりました」の声だけが急に大きくなった。
 宿屋の主人の様子からもよほど馬鹿でもない限り、有馬が宿の主に何を言ったか判る。
案の定、宿の主は数馬と絹に此処でお待ちくださいと言い置くと有馬達三人
をおくの部屋に案内していった。
「どうも、お前と俺は夫婦者ということらしいな」
歴然の事実になっている絹との結びつきである。
是を妙に絹だけに別の部屋をあつらえても、数馬の事だ。どうせ、夜中に絹の元にしのんでゆくだろう。こそこそと妙な隠密行動を取らさせるより、あっさり、夫婦者とした方が早いと考えたに違いない。
「ふん」
絹が鼻でせせら笑って見せた。
「貴方にゃ、よございましょうけどね::」
「ああ。俺はうれしい」
絹の精一杯の皮肉を数馬はものともせず、絹ににじりより、間をつめた。
「絹もいやでなかろう」
今宵の男と女の事を匂わせられた絹が、数馬に間向こうから覗き込まれては返せる返事もなくうつむくしかなくなった。
絹の語るに落ちた態度は数馬を大いにまんぞくさせ、絹のための言い逃れを
つくる気のくばりまでみせる。
「おまえにすれば、有馬の寝首をかけなくて無念だろうが、象二郎は俺にお前をまかせられてたかいびきをかけるだろうさ」
有馬が絹を恐れて、数馬に絹をみはらせるためとは思えなかったが、
「念のいったことで・・」
と、憎まれ口を返すことはできた。
ぼんやり廊下に立ち尽くしている二人の間に妙な雰囲気が漂い始め、やけに気詰りを覚えるがいっそう何かを口に出す事が気まずさを取り繕いたがっているようで絹は黙ったまま真正面の壁をみつめていた。
数馬も絹の綺麗な横顔を黙って見詰めていたが、堪えきれないと観念した。
「綺麗だ」
と、数馬にいわれて
「なにがですか?」
空とぼけてみた絹だったが、絹の神経はひりりと逆立って数馬の視線ひとつさえもが針のように絹に食い込んでくるほど鋭敏に数馬の存在を全身で意識していた。
もう少し遅く宿の主の『お待たせしました』と云う声が聞こえていたら、こんな場所で数馬の胸に抱きすくめられる事をもいとわぬ絹になってしまった事を数馬の抱擁が絹に教えていたであろう。
「ご新婚さんだそうで・・」
宿の主は絹と数馬に御目出度いといわんばかりに頭を下げると、今度は絹にだけそっといった。
「道理で・・・。おしあわせそうにおみうけしたのですよ」
どうふれこんだかしらぬが、有馬のせいで絹は自分から符丁あわせをしなければならなくなった。
「あ。はい」
慌てて答えた絹に主人は
「お食事は皆様一緒の方がよろしゅうございましょう?」
一ところで食事を済まして新婚は部屋に戻る方が良いといった。
夕餉の膳と呼ぶに足りる馳走も客が少ない今を乗り切る主人の苦肉とみえる。
思いの他趣向を凝らした馳走につい、「酒」の声が上がるとちびりと飲み始めた有馬は、今更に唐突に絹の歳をたずねた。
「じき、十九に成ります」
「この国にきたのは?」
「1年半もたちましょうか」
ふうむと有馬は唸った。
「見も知らぬ異国に来て、さぞや、不安だったでしょう?」
「いえ」
と、答えた絹だったが有馬の言う事は当時の絹の不安そのものだった。
「そうですか。でも、もう・・・」
有馬は鮎を毟り食う数馬にとくりをふってみせるという。
「こころづよきことでしょう?」
今は絹を真摯に思う男が居る。これほど心強い事は無かろうと絹の強がりな答えと見ぬいていう。
「あ?はい。ええ・・・」
確かに数馬が居る。どこで朽ち果ててもいいと覚悟して量王に命を投げ出したはずの女を思う数馬がいる。
突然、有馬はいいだした。
「絹さん。死んじゃいけませんよ」
「え?」
何よりも絹を惜しむ男は量王が為に死をも選ぶ絹であってはいけないという。
「なにがあっても、死んじゃいけない。いいですね?」
量王より、国より、何より、絹こそが大事。
有馬の単純な言葉に、はからずも、涙が零れて来るのは、一人異国での不安を乗り越えた絹の量王への忠誠を見返られる事もない一抹の孤独を慰めたせいか。
有馬はもう一度言葉を重ねた。
「何よりも絹さんが大事。量王への忠誠も絹さんがいきておればこそ。こんな事などにのつぎなのですよ」
何よりも絹こそが大事とかさねていった有馬は数馬をじっとみた。
有馬の瞳は、その「絹こそが大事」をわが事に思うこの世でたった一人の本物の男が数馬なのだと言っていた。
『自分を第一義に考える?・・・』
こんな事を平気でいう。世の安泰は君主による。国の安泰があって初めて民がいきてゆける。
だが、有馬の言う事はむしけらほどの存在でない民がわが名を絹だといえという。そして、この虫けらに・・命をかけるおとこがいるという。
「絹さん。いきてこそです・・・」
にこりと微笑んだ有馬は赤子を胸に抱くしぐさをみせた。
量王のために命を散らせるか
新しい命をはぐくんでゆく平凡な女としていきてゆくか。
絹の選択の道はいくつもある。
「自分のためにいきるべきです」
有馬は少し淋しく付け加えた。
「それが量王の忠誠であっても、それはそれでいいのです」
うんと頷くと数馬を見た。
絹にとって、量王への忠誠を捨て去って掴み取るだけの価値がある男だと数馬を信じた有馬はもういちど、うんうんとうなづくと絹をみた。
「あれは、信じた物を疑わぬ馬鹿者ですから、貴方よりやっかいなんですよ」
絹が尽くす量王への信より、数馬の絹への思いの方がよほど深すぎると笑う。
「あれに、ほだされましたから・・」
有馬に何を言った数馬か判らない。
だが、数馬の絹への思いを諦めさせる事は、絹の量王への忠誠を棄てさせるより難しいと解ったと有馬は言う。
「まあ。ようは単純な子供です。でも、困った事に無邪気すぎる子供は裏切れなくなるものです」
数馬の事を言ったつもりの有馬の言葉が有馬の身のうちの無邪気な子供の事を客観的に語っているとは気がつかぬ事が面白くて、絹はほほえんだ。
そして、絹は有馬のように数馬を見詰めてはじめている自分にまだ気がついていなかった。
「それでも、うらやましいかぎりです」
恋と国への思いを一挙に胸のうちに掴んだ数馬はしあわせものである。
「数馬は今、死んでもいいくらいしあわせなのでしょう」
有馬は何気なくいいはなったが、いけないと思った。絹はいけないと思った。
数馬が死んではいけないと思った。
それは、同時に数馬を愛し始めている自分だときがつかせた。
姉、瑠璃波の思いを理解する時がとうとうやってきたのかと、絹は量王を想い涙ぐんだ姉が綺麗だったことを思い出していた。

軽く酒を煽った数馬だったが、やがて、絹を促すと二人の部屋に戻った。
「絹」
絹の名をよんだまま数馬は黙った。



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