4
さっちゃんと帰るのは、いつものことだけど
今朝、さっちゃんにつげられた事実を確かめにいきたいと
授業がおわるのを、まだか、まだかと、待っていた。
朝、開口一番。
さっちゃんが告げてきたことはがんちゃんの行き先だった。
「あのね、黒岩さんってしってるよね?」
知ってる。村のはずれの一軒家だけど、きっと知らない人は誰もいない。
黒岩さんは村一番のエリートで大学も卒業していた。
この黒岩さんが専行していたのが、英語だった。
そのせいなのだろう、軍部から特別な任務を与えられていたようで、
しょっちゅう、日本、軍部のとても偉そうな上官が黒岩さんの家の前に車を乗り付けてきていた。
「がんちゃん、黒岩さんに英語を教えてもらっているみたいなんだ」
「英語????」
「うちのしんせきのおばさんが黒岩さんとこのむこうにすんでるのよ。
昨日の夕方にそこにおつかいをたのまれて
黒岩さんの家の前をとおったんだよね」
知らないでいいことをこっそり覗き見するときのような
ためらいと好奇心がいっしょくたになって
催促の言葉にかわる。
「なんで、英語をおしえてもらってるってわかったの?
本当にがんちゃんだったの?なんで、がんちゃんだってわかったの?」
さっちゃんは矢継ぎ早の質問を頭のなかで整理するのか、じっとだまったままだった。
さっちゃんはどうこたえようかかんがえあぐねているようにもみえた。
黒岩さんのところに入っていったがんちゃんをみたのだろうか?
黒岩さんのとこにいく目的は、黒岩さんが黒岩さんだから、英語をおそわるしかないとさっちゃんが考えたのだろうか?
わずかの沈黙なのに、私の思考はくるくるまわっていた。
「あの・・」
おずおずとさっちゃんがしゃべりはじめたのは
がんちゃんのことを説明するよりも
私のがんちゃんへの思いをどう感じたかしゃべるのに迷っていたからだった。
「がんちゃんの声が黒岩さんの家の中からきこえてきたの。
その声が英語で、がんちゃんが英語をしゃべると、「これでいいんか?」って
がんちゃんが黒岩さんに確かめてたの。
だけど、紘ちゃん、なんで、がんちゃんのこと、そんなにきにするの?」
二つの疑問が私の中に、急に、いっぺんにそびえたっていた。
がんちゃんはなんで、英語をおそわるんだろう?
なんで、私はがんちゃんのことをきにするんだろう?
がんちゃんが英語をおそわっていても、がんちゃんの勝手だし
私がきにする必要はひとつもないはずなのに・・・。
黙り込んでしまった私にさっちゃんは
教室に入ろうと促すと
夕方、黒岩さんのところにいってみようってつけたした。
授業がはじまっても、さっちゃんの質問がずっと、私をひっつかんでいた。
がんちゃんが英語をおそわっているとするなら、
きっと、ガムをくれとか、チョコレートをくれとか
浮浪児たちより確実にもらえる英語の言い方を教わっているのだろうと思えてくる。
そこだ。
私はがんちゃんがどうしようとかまわないといってはみたけど
がんちゃんは「ほしがったりしない」って、思いたいのだ。
だのに、がんちゃんの行動はそうじゃないように思える。
どうにかして、確実に、ガムをもらおうと、いたずらに向けるときのあの熱心さと同等以上に必死になっているようにみえる。
それが、10回以上、桜の木の下で進駐軍の狂態をみつめつづけた本当の理由?
私がそのときに感じた惨めさや悔しさは、
がんちゃんもおなじだったと思っていた。
ううん、思いたかった。
それが、見事にうらぎられていく。
自分が感じたわびしさや悲しさが誰にも共感されないような
感覚の共有者や仲間がいなくてたった一人孤立して
わびしさや悲しみをうけとめていくしかない孤独感。
共有感をわかちあえる、わかってくれる人だったはずのがんちゃんじゃなかったのか。
偶像がくずれていくのをとどめたかったにすぎないのかな。
これ以上、がんちゃんにがっかりしたくないという思いとうらはらに
はっきり、その実像をつきつめて、がんちゃんはただのあくたれぼうずで
繊細な感情なんかこれっぽっちもないんだとみきわめてしまうべきだともおもう。
『そうだ、そうしよう』
一時期、同じ空間と空気を二人が体験したからとて
同じ感覚と同じ感情を持っているなんて思い込むのは
過剰な期待にすぎない。
がんちゃんという人間を自分の中からほうり捨ててしまう決別の時期なのかもしれない。
と、どこかの少女文学の浪漫になぞらって、私は放課後、がんちゃんのあとをつけていこうと決めていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます