「御社の」
孝道はときに瑠墺をそう呼ぶ。
宮中の中庭。
えんじゅの木の根方に静かに眠る菩提に手を合わせた孝道は
御社の瑠墺もまた、孝道と同じに手を合わせ終わるのを待った。
「崩御もひたかくしで弔廟に祭る事もかなわぬ。我らは公に悼むことさえできず、いつまでえんじゅの根方を薫王の褥にしておくつもりでいるのか?」
腹の底に薫王に殉ずる決意を忍ばせた男は静かにではあるが、引きを許さぬ
口調で御社の瑠墺に問いかける。
「もう、しばし」
崩御をあからさまにすれば、孝道は共に渤国にせめいる同士を集結し始める。
孝道と居並ぶ重臣の名の下一糸報いなからばと志を同じにする者があっという間に集まり、和国は戦火に飲まれる。
結果亡国をはやめるだけである。
だが、亡国の兆しが和国に大きな皹を入れ始めている事を知っている
孝道はわが命を消滅させるなぞ、既に惜しむきもない。
「どう・・しばしだという」
この先じりじりと決起を伸ばしてみた所で何がかわるという?
孝道の皮肉な問いかけに御社の瑠墺は不意に空を見上げた。
中庭は御社の瑠墺の頭上に抜けるような青空を四角くきりとっている。
「・・・・」
御社の瑠墺の行動は何を言いたいのか。
天意をみはからっているという謎賭けなのだろうか。
「今はみえませんが、星の様相があの時と随分かわっております」
あの時と云うのは君主、薫王の崩御の時をさす。
「大きな星が落ちた後、天空は新しい星が代頭しようとせめぎあいをくりかえすものです」
今まで巨星の影で目立たぬ光を輝かせていただけの星が急に光りだす。
「それで?」
孝道はせせら笑いを隠す。
「量王の星を追い落とす新星があらわれたとでもいうか?だとしても
結句和国の運命はかわりはすまい?」
大国ドーランと渤国にはさまれた和国に、たとえどんな星がうまれようと
いずれはどちらかの国に飲まれる。
海洋術が発展した今大洋の護りはあてになるものでなくなり、今までのように和国は自国だけの政の上に胡坐をかいていられなくなった。
たとえ今、和国が存続出来ても、いずれのち、早いうちに和国は消滅する。
是を知っている孝道は御社の瑠墺の読みを笑いたくなる。
「そんなことよりも・・・」
孝道は己の死に場所を探したいだけだった。
和国の運命の終焉を己の命の終焉の中に囲みとりたかった。
「おもしろいことがおきております」
御社の瑠墺は孝道の思いにきがつかぬふりで、孝道の機先をせいした。
「おもしろいこと?」
はからずも孝道は御社の瑠墺の足掻きを聴いてやるつもりになった。
「ええ。是を観てから死んでもおそくなかりましょう」
「ほう?」
生き長らえて見る価値があることとはいかなることであろう。
孝道は自分を引き止めようとする御社の瑠墺の口述を死に土産にするくらいの気で耳を傾けだした。
「各地に間者を狩ろうと自ら結社しだした志士集団があるのはご存知ですか?」
孝道も聴いた事がある。応とうなづくと
「外地の者が、拠点にするのが港南の都です」
名前の通り大きな港がある、入り江が深く、水深も深い。大きな船が寄港できる和国唯一屈指の貿易港である。
「この間者が降り立つ前線とも言える港南に特に多くの志士蓮があつまっているのですが・・・」
孝道は首をかしげた。
そんな事を知ってどうなる今だと思ったが、一先ず御社の瑠墺の話を最後まで聞いてみようと思った。
「この志士蓮の中枢になる男が有馬兵頭と云うのですが、この男がもう直ぐ此処にやってきます」
それらをも仲間に引き入れて開戦せよとでもいいたいか?
「ふん?」
と、孝道はあざけ笑った。
突如現われた志士なぞを当てにする気はない。
ましてや志士蓮は和国の活路を切り開こうという輩である。
孝道が死に場所を求める決起とはもともとの質が違う。
孝道が志士蓮と共謀する事は志士蓮には犬死をかせるにひとしい。
だが、御社の瑠墺は孝道の笑いを聞きとがめもせず、
「この有馬が渤国の間者をつれてきております」
捕虜、虜囚というところだろうか。
だが渤国の間者の口が堅いのも孝道とて熟知の事である。
無理矢理口をわらそうとすれば死もいとわず量王への忠誠に殉じる間者の生きざまこそが孝道に渤国にはむかってみても勝ち目がないと悟らせてもいた。
「この間者は女子です」
女子供まで量王に命を託す。ますます、和国では勝てない結束を思い知らされる孝道はついとその場を去ろうとした。
「この女子は量王の正妃になる宿命を持ってうまれてきているのですが・・・」
御社の瑠墺の言葉に孝道は立ち上がろうと力を込めた膝をゆるめた。
「正妃になる女子が間者につかわれるというか?」
孝道が立ち上がるのを止め耳を傾けだす姿に御社の瑠墺はにこりと微笑んだ。
「私もおかしなことだと思いました」
ゆえに、瑠墺は改めて星をみつめなおすことになったという。
「量王の横には星読みがはべっているのですが、どうやら、これがおなごなのです」
「なるほど」
量王の星読みは己の座を護るために正妃の宿命を持つ女子を間者にしたてあげ、和国においやったということであろう。
星読みが自分の領分を弁えず、量王の寵愛を独占したくなったとしても、これも女子のもろさであり、量王がいかに、うかつに星読みに女を求めたかということである。
「女には脆い男でしかないということか」
破竹の勢いで四国を掌握していった量王にも弱点があるとみえる。
孝道は愉快そうな含み笑いでいくばくか独り言めかしながら瑠墺にたずねた。
「傾国の美女となるか?」
御社の瑠墺は孝道に答えず、逆にたずねかえした。
「孝道さまはどう、おもわれます?」
「その間者とやらをみてみたいものだな」
宿命と云う物が、星読みひとつの謀反で簡単に覆されるものだとは思えない。
間者の運命がどうかわってゆくのか。大河の中に咲き得る華か?
量王の正妃になるべく女子を見て見るも一興ではあったが、孝道はいそはらへの道を歩むときめている。
どんな華かみてみるだけだなと孝道は思った。
「私には、宿命を変える事はできませぬが、個人の運命は本人の思い如何でかわりえるものだとおもっております」
「ふ?すると、量王の星読みこそが渤国をほろぼすこともあるというか?」
「ええ。のぞまぬことで、あるでしょうが」
孝道は唸った。
「つまり・・・」
「ええ。有馬が連れてくる間者は、渤国と和国の明暗を覆しうるかもしれない存在ということです」
孝道は言いかけた言葉を飲み込んだが御社の瑠墺の言う事への理解と肯定を指し示すために口にしだした。
「いっそ、それならその間者を始末してしまえと思ったが、それでは、星読みの思う壺であり、宿命が潰えた時その星読みこそが正妃の宿命をつかさどるともかぎらぬわけだな?」
「そのとおりです。量王の正妃と云う宿命を抱えた女子がいてこそ、星読みは量王の運命を己が手で揺るがせる存在にもなりえるのです」
「ふむ」
「事実、空の上では量王の星に蔭星がしのびよっております」
「ふむ?」
星の事になると孝道もうなづくばかりである。
「本来、正妃が座す場所に蔭星が近寄れたのも、星読みが量王から正妃をとおざけたせい・・・」
おし黙った御社の瑠墺に孝道もまた、くちをつぐんだ。
『その蔭星が、誰であるかわからぬ瑠墺ではあるまい』
量王の命を狙う男は他にもいるだろうと思いながら、我が手でこそ、量王を始末したいと考える孝道は御社の瑠墺が明かさぬ蔭星の主の名こそが我が名と思った。
「おききにならないのですか・・?」
御社の瑠墺も孝道が蔭星の主をきいてくるものとおもっていた。
「だれにせよ。量王を軋ませる存在があるというなら、決起の時期を待とう。すべては、御社の、お前にまかせよう」
今度こそ立ち上がった孝道に御社の瑠墺は深く礼を返し孝道が園庭を去るを見送った。
中庭に降り立つ階に足を乗せたとき孝道は瑠墺を振り返った
「その間者とやらが着いたら、しらせてくれ」
と、わらい、
「このむさい年寄りでさえも、一国の妃、量王の正妃なるものがいかほどのものか。男として、きにかかる」
まだ、まだ、生きる事に執着があるようだなと自分に頷いた孝道は
長らく欲を漱いでおらぬわと一人つぶやいた。
孝道を見送った瑠墺は、再び空を仰いだ。
夜に姿を見せる星は、人の人生の知らざる部分を語る。
孝道に語らなかった蔭星の持ち主が瑠墺を尋ねてくる中の誰かである事はわかっている。
量王の星に影を落とす事が出来る存在は量王の正妃をえるべくして現われたに過ぎない。
ところが、これが、量王の星に影を落す。
と、ならば、考えうる事は量王の光芒も今が限度ということである。
あとは、この正妃が持つ元々の宿命に量王の星がてらされてゆく事で盛華をきわめてゆくと読める。
つまり、渤国の栄華は正妃の宿命に支えられる物であり、真の渤国の王は正妃であるといって過言でない。
その正妃を掠め取ろうという星は量王の星に立ちはだかるしかない。
是が蔭星である。
この蔭星を量王の星の前に登場させたのは孝道にも言ったとおり量王の星読みであり、いまや星読みは己が作った大きな誤算を抱かえもがきくるしんでいるというところだろう。
だが、量王ほどの運気の強い男がかくもあっさりと自分を護る正妃の存在を
遠ざけさせられることになったのか、星読みが正妃の実の姉であることまでは、嗅ぎ取れぬまま、男と女の情縁が運気まで左右する事に御社の瑠墺は白眉をひねった。
そして、蔭星を持つ男がいまや男と女の情理で正妃の宿命を変えている事も
御社の瑠墺には不思議に思えた。
男と女の宿命が、身体一つの結びでかくも変転をきざせるものかと思うほどに妻をもたぬ男は執着の闇をも知らず、闇からぬけでる光明をもとむるにも無縁すぎた。
結句、命の始まりが男と女の情理がうみだす技なれば、この世の全てのいきとしいけるものの法則は男と女の情理に帰結する。
『在るがままの自然の情を求めているだけに過ぎないのかもしれない』
その横に煩わしい宿命が就いて廻る。正妃にすれば、国の存亡などより壱個の女として愛され生きてゆきたいだけなのかもしれない。
「あたら、星なぞ、読めるばかりに人の感情にうとくなるか」
口の中で笑うと御社の瑠墺はやってくる有馬達を迎える支度を整えるためにも自宅にもどることにした。
孝道と同じ。確かに御社の瑠墺も量王の正妃の宿命を持つ女子を見てみたかった。
そして、その宿命ごと量王から女子を奪う蔭星の主にはもっと惹かれる物があった。
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