―くたびれた。心底くたびれたー
澄明は、どお、と、襲い来る睡魔にかてず、
夕餉もそこそこに自室に引きこもると夜具も延べず
畳につっぷしてしまった
追ってきたかのとも小言の甲斐がない。
寝息を立て始めている姉をほっておこうと思うくせに、
手は押し込みをあけて上掛けを引きずり出している。
こんな調子ではかのとがいなくなる、この先がおもいやられる。
澄明いや、ひのえは、自分ごとはおろか、
父正眼の世話をするどころではない。
母八葉とて、一日中白河の家におられはしない。
それに・・。
かのとも、とつげば子をなそう。
できれば、八葉にてつないにきてほしいのだが、
こんな白河の家人をすておくわけにはいくまい。
かのとの先先の心配までは余分というものだが、
「に、つけても、つくづく・・」
八葉は丈夫な女子である。
風邪のひとつでもこじらせて、白河の賄いにこないなぞ
と云う事がいまだかってない。
この丈夫さゆえに白河の家人は八葉にあまえ、
ひのえにいたってはくどにたとうなぞという考えすら
思いつかないようにみえる。
澄明にすれば、いそいそと賄いに来る八葉に
私がしますなぞといえはしない。
この勘定のちがいをかのと一方から見れば、
つくづく怠惰な姉なのである。
「ひのえ」
しゃくにさわって大声で呼ぼうてみたが、
なしのつぶてというがごとく澄明の寝息は
一定の韻律をきざむばかりである。
「しかたのない」
もそもそと文句をいいながら、上掛けをかけてやりながら
陰陽ごとはこんなに心身ともにくたびれさすものかと思う。
父、正眼がかのとに陰陽事をしこまなかったことを
密かに謝したくもなる。
朝に出かけ、帰ってきたのは夕刻。
楠の裁断はきいていても哀れで胸を刺す。
裁断を下す澄明ならば、もっとつらかろうと
かのともあえて、なにもきかなかった。
が、どう考えても、朝に出た澄明が夕刻になるまで
帰ってこぬかった、は解せない。
強がりの姉のことだ。
弱みは見せまいとどこぞに隠れて思い切り泣いて泣いて、
泣き切ってしまってから、帰ってきたにきまっている。
だからこそ、優しくなんぞしてやりはしない。
いつものように小言三昧をふるまおう。
いつものかのとだったのに、寝入る姉の瞑った瞳をみいる。
泣きはらした痕はなかったようだが、沈んだ心を塞ぐに長けた姉である。
平気なら、さっさとかえってきておろう?
澄明の眦あたりを覗き込んで、かのとはふとためいきをついた。
『誰がこの強情な強がりの姉をおもうてくれるだろう』
いまのところ、この姉の欠所ごと許容するのは
かのとくらいしかおらぬだろう。
仮にこの姉の強情ごと好いてくれる男がいたとしても
「くどのことひとつ、まともにできぬが、
いくら、陰陽事で人を救うてもひのえの良人は救われませぬわ。
良人を救えぬような女子では・・ひのえ・・あなたこそ救われぬ」
姉の幸いもやはり女子としての生きてこそ、
掴みえるものだと思うかのとは、
澄明が妻帯、いや、夫帯というべきか。
男を繕うた澄明の言葉を借りて言えば
妻帯できぬと漏らすことさえしらぬ。
澄明にそう決意させる白峰との運命も
かのとはこれっぽっちもしりはしない。
どこかで女子として生きるを諦めている澄明が、
くどよりも陰陽ごとに心をかたぶけるもむりがないのであるが、
これさえ、かのとにおしはかれるわけがない。
「たまには、おなごらしい格好をしてみたら、どうですか?」
と、かのとがしかってみても、
装うなぞいっこうに興がそそられぬとばかり
化粧っ気一つも見せず、みよがせとばかりに
男の姿をつくり陰陽ごとにかまけている。
あまり責め立てるとたまりかねるのか、
「陰陽事をするが、女子と知れば信をえにくい」
と、男を繕ういいわけもあくまでも陰陽事がさきにたつ。
その陰陽事にかかずらわったあげく、
畳の上にじかに突っ伏して寝入る姉である。
「本当にそれでいいのですか?」
そっと、とうてみたがやはり寝息の軽さだけが辺りにひろがる。
『それでも、きっと、心惹かれる殿御にめぐり合えば、
ひのえも女子。かわりましょうて』
かのとの憤怒を宥める八葉の言葉どおりであることを祈るしかない。
「かえります」
八葉と判造ももう、夕餉の膳の前でかのとをまちわびているであろう。
つつましい夕餉であるがそれを取り囲む家族の憩いがある。
同じ双生でありながら、
姉には得られなかった父母との語らいのひと時が
かのとをみたしてくれる。
こう、考えればひのえも母に甘える子でありたい我侭が
くどにたつを八葉にまかせるのかもしれない。
いつか、ひのえが母になるまで、
その思いは逆転しえないものかもしれない。
『良い人にめぐりあえればよいのですが』
くどもあやうい。
針をもつ手もあやしい。
ひのえのめぐり合う人が
余程忍耐強い男である事を祈るしかないようである。
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