「は~~い。お薬。う~~ん。熱もはかってもらっておこうかな」
毎度同じ時間に同じ科白。
ときおり、非番になるんだろう、違う看護師が顔をだすこともあったけど、
僕はこの人が一番気楽だった。
「それから~~~駐車場におとうさんの車がとまったよ」
僕が父さんと話をしようとしているのをみすかしたかのように、
心の準備をしておけと看護師につげられた気がした。
看護師が体温計をうけとると、
「おし、異常なし」と体温をノートにかきこんでいた。
ドアのむこうから、ひたひたとスリッパの音がちかづいてきて、
僕は大きく深呼吸した。
看護師といれかわり、父さんがはいってきた。
父さんは部屋の隅にかたずけられた椅子を引っ張り出して座った。
「もうちょっとだな」
もう少しで家に帰ってくる。
父さんが会社の帰りに、家とは反対方向にすきっぱらをかかえたまま
車を走らせる用事も無くなる。
「とうさん・・ありがとう」
僕のいったことに父さんが笑い出した。
「なんだ?妙にしおらしいじゃないか」
僕はその言葉を糸口にする。そのチャンスを逃さなかった。
「うん・・・。他でもないんだけどね・・」
「うん?」
父さんはまっすぐ、僕を見た。
「ちょっと、相談があるんだ」
父さんが少し、考え込んだのは自分の中に思い当たるものがないか、見渡すためだったのだろう。
「なんだろう?進路?」
ううん。僕は首を振る。
「うん・・・まあ、きこうか」
父さんが僕のもっと近くに椅子を寄せてきた。
「あの・・母さんのことなんだけど・・」
「ん?母さんがどうした?」
父さんの言う母さんは今の母さんのことだ。
「あの・・その母さんのことじゃなくて、僕の本当の・・」
父さんの瞳がまっすぐ何かをみつめ、固まり、とまっていた。
そして、手を組み合わせて、握り締めて、そこに小さなため息をいれた。
「気がついてたのか・・」
「うん」
「輸血で?」
父さんは輸血タンクにかきこまれた血液型のせいだと思っていた。
「ううん・・・もっと、前から・・。
輸血の時にきがついたのは、やっぱりそうだったのかって・・」
父さんはふうと大きな息をはく。
「そうか・・・。変わった様子がないから、てっきり、きがついていないんだと思ってた・・。だけど、母さんとお前が血が繋がっていなくたって・・」
父さんのいいたいことを察すると僕は父さんの言葉をさえぎった。
「判ってる。今の母さんは僕の母さんだよ。僕が相談したいのは、そんなことじゃないんだ」
椅子に座ったまま、父さんは背をのばした。
「輸血してくれたのは、母さんなのかな?」
父さんはすこし、考えていた。
なにか、思うところがあるんだろうけど、
先に僕の質問に答えることにしたようだった。
「ああ、そうだ・・」
短い答えは肯定だった。
「じゃあ、母さんはこの近くにすんでるってことだよね?」
すこし、瞳が動く。
適切な答えをさがしているようにも、
僕がなにをきりだそうとしているかを量っているようにもみえた。
「そのとおりだ」
短い答えは僕の質問に答えるためだけのものだった。
父さんは自分から母さんにかかわる情報を話そうとしなかった。
「うん・・・。じゃあ・・今、かあさんはどうしてるの?」
僕の質問はイエスかノーで答えられるものじゃない。
「どういう意味だろうか?」
「どういう意味って?」
「たとえば、どんな仕事をしているかとか・・」
「それは、つまり、かあさんが働いてるってこと?」
それだけじゃ、母さんが独りなのか、家族がいるのか、わからない。
「母さんは、再婚しているのかな?家族がいるのかな?」
父さんは一瞬、ほんの一瞬、かすかに首をかしげた。
かすかすぎたけど、僕の言葉の中の「事実」が違うんだと思えた。
「いや、独りでいる」
恐れていた事実があっさりと肯定された。
僕はどこかで、かあさんが家族に囲まれ幸せな暮らしをしていてほしいと思っていたんだ。それは、とりもなおさず、僕が父さんと今の母さんの子供のままでいられるということになる。
「そう・・・」
「そうだ・・」
父さんはやっぱり、何もいおうとしない。
母さんが独りなら、僕が母さんのところに行ってあげれる唯一の人間なんだけど、父さんはそんな考えを僕がもつとは、思わないのか?
それとも、子供を品物みたいに渡すようなことを口にしたくなかったのか?
それとも、母さんは僕の輸血には、駆けつけてくれたけど、本当は僕をうとんでいる?
「あの・・」
「ん?」
「あの・・・。父さんは僕が母さんと暮らしたいといったら、怒る?」
父さんはうつむいた。
僕はそう聞き出せば、答えが引き出されると思っていた。
「あのな・・。母さんが独りでいるのは、父さんもずっと、きにかかっていた。おまえが、そういってくれるなら、父さんも嬉しい」
やっぱり・・・。
父さんは母さんをまだ、愛してるんだ。
「じゃあ、僕がそうしても、かまわない?」
言いながら、僕はなおさら、こんなに母さんのことをきにかける父さんをおいて、なぜ、母さんがでていってしまったのか、気になった。
看護師がいっていた、知らない方が良いことを、母さんに尋ねることになる前に僕は父さんの口から母さんが出て行った理由を聞いておきたかった。
母さんにそれを言わせるのは酷だとも、
僕が母さんを責めてるようにも聞こえるだろうとも思った。
「おまえが、それが良いとおもうなら、かまわない」
父さんの許可はおりたけど、
肝心のかあさんが、なんというだろう?
思う一方で母さんの返事もきかないうちから、
僕は母さんと暮らし始める自分を思う。
そのときに、わいてくるのは、きっと、やっぱり、母さんが出て行った理由だと思う。聞くに聞けず、勝手な類推や不安が湧き上がる。
揉め事やわだかまりの種をつぶすためにも、やっぱり、僕はとうさんに
たずねておこうと思った。
「父さん・・こんなこと聞くのは、良くないって、おもうんだけど・・」
父さんは話せばよいって、うなづいて僕をみた。
あとから、思えば、父さんは、僕が母さんの話をしだした時に
なにもかも、決心していたのだと思う。
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