読んだ読んだ♪どうなってゆくの~!!小枝~って叫びながら・・・w
投稿者:reichon917
作品へのコメントに多く反応している憂生でございまする。
構想はできあがってるのですが、
設定が自然にうけいれてもらうために、
いろいろと、心理追従をしているのですが、
これが、なかなか。
小枝の状況をかんがえると、
コレは、複雑です。
わずかな時の中で恋を燃焼するしかない
小枝を描いてゆこうとしたとき、
性描写もそれなりに必要でしょう。
が、その場面ばかりが繰り返されると内容がえぐくなるし、
かといって、
与えられた性がどんなものであったか、わからないと、小枝の感情反応も現実味がない。
小枝のこの先のひとつの決断?に、
あわれさをにじませてもいけない。
あくまでも、
小枝の恋が見事にさきあがったと納得してもらうためにも、今の場面がネタしこみ?
う~~。正直、むつかしいです。
で、また、開き直ります。
なんとか、良いもの?をかこうとするから、
もがく。
わいてくるままに、
かいてみませう。
小枝・・
時代物調で書き上げた、作品ですが、
主人公が自分の境遇にたいし、「観方をかえてうけとめたら・・」
と、いう、空に架かる橋での、一部分のテーゼを中心軸にもってきた作品です。
父親、幸太は
「そも昔から、不浄な思いでできたものは流す。
神代の昔、イザナギ・イザナミもそうした。
男にもてあそばれて、出来た子などありがたがっているな」
と、いう言葉をかけますが、
この言葉をかける幸太の苦しさ。
小枝が「めしい」でなければではない。
自分が貧乏じゃなけりゃ・・・・。
この幸太の思いごと、掬いとる小枝の受け止め方。
考え方。
人生、生きていく中、いろいろ、あるとおもうわけですが、
なさけない・みじめだ・など負の感情も
見方を変えれば、違うものになる。
憂生日記に書いたかと思いますが、
歯医者にいって、座ることもできない状況のなか、
「これが、自分でよかった」
と、おもったことがあるのです。
この話しのうしろに昭和天皇がいます。
来賓を迎えての食事の時、
料理長が一本爪楊枝をぬきわすれてしまう。
それが、昭和天皇のところにいっていたわけです。
あとで、料理長は天皇によびだされるわけです。
さぞや、叱られる。もうしわけないことをしたと
天皇陛下の前にたつと、
「爪楊枝を抜き忘れたのは一本だけですか?」
「はい。一本だけです」
続けてお詫びを申し上げようとした時、
「ああ。良かった」
と、昭和天皇がいったそうです。
他の人の所にいってなかった。
私のところでよかった。
本来ならそれでさえ、おこってもよいことであるのに、
「良かった」にする。
この考えは少女パレアナにも通じるところがあり、
「どういう風によかったにしようか」
と、いう憂生の考え方にかなり影響をあたえるものでしたが、
昭和天皇の逸話をしるころに、
師からひとつの命題をいただきました。
「喜べば、喜びが、喜びをつれて、喜びにやってくる」
喜びという言葉をたとえば、憎しみにかえてもわかりやすい言葉だと思います。
この言葉を頂き、どんなことにでも、
絶対「良かった」にできる見方はある。
そこへたどりつけるようにならなければいけない。
一種、悟りににた境地かもしれません。
ですが、「無」になるのでなく
普通の人生の生き方の中で
悟り?ににた境地になるということは、
「有って、有ってこそ」
もてあそばれたという憎しみは
喜べる見方により
形をかえて、やはり「有る」わけです。
憎しみをなくすという「無」でなく
有りながら
違うものに昇華していく。
こういう生き方をえがいてみたいと、小枝を書いてみました。
小枝に寄せて
持論でおしきるのも、なんですが、
憂生の物語には懇切丁寧なほうにはいる、性表現が介在します。
悪童丸の中で、政勝とかのとのシーンも、かなり、丁寧に描いています。
このシーンで、どこに重みをいれたかったかというと、
実はとうぶん、あとにでてくる
「ご丁寧にかのとと采女を並び比べたりした」
という、政勝の悔恨?部分に対してです。
単純に言葉だけでは、「並びくらべた」に箔がつかないということと、
後にでてくる科白のために、このシーンをかいたのだととってつけた感をもたせないためにも、そのシーンにのめりこませ(?)る独立したシーンにしたてあげる必要がありました。
この一連のシーンは、じつは、第6話への布石にもなっています。
かほどにかのとに執心する、政勝をえがいておくことも、
物語の中で、暗黙の理解を敷く作業です。
このパターンが多いため、憂生の作品の性表現においては、
「物語に必要なシーン」として、理解され、
官能小説などよまない人でさえ、読んでくださることがありました。
そして、今回の小枝もまた、同じですが、
短い時の間に恋を燃焼させるというパターンに
性表現は必須であり、
最後まで読んでくださった人には
絶対「性」が必要だったことは納得していただいていると思います。
(じゃないと、ああいうラストがなりたちません)
二人が逢うことイコールシーンでしかない苦しい設定のなかで、
どこまで、小枝が文治をうけとめきっていくか。
へたにかけば、やわなアダルト・・いや、エロシーンにしかならないし、
現実味のないシーンにしたくはないし・・。
紅というモチーフをつかうことで、シーンの過激さをおさえながら、
他の場面でも文章表現には、憂生のできる限りで、繊細さを
加味することにつとめました。
采をつむシーンや目の見えない小枝が温度で人の気配を感じ取る。
幸太の悲しみ。
「目さえみえりゃあ、小枝は三国一の花嫁になれる」
「おっかさんにみせてやりたかった」
小枝をもつ状況をさらに刻み付けるということで、
幸太が小枝の恋をみのがしてやれずにおけなかった心情への暗黙了解など、
作者本人がかたりだせば、きりがない「仕込み」がそちこちにしきつめられています。
この世に生まれた、この作品を。
僕も読ませてもらえて、とても幸せです~♪(^O^)//レガち
走り気味でおわらせてしまった。
文治と、ともに暮らせる幸せは
こなかったけど、
小枝という『女」の人生は
文治という男によって、
実をつけた。
ハッピーエンドだといってもいいでしょう?
そういえば、女性は結婚すると
女房という言い方もされます。
女の房が、いっぱいついている。
葡萄の実のように。
恋人という房。
女という房。友達という房。
母という房。
いろんな房・・・。
小枝は、妻という房をつけれなかったけれど、
ちゃんと、女房になっていますよね・・・?
ね?
そう、おもいませんか?/憂生
終わってしまいましたか・・・。
うん、間違いなくハッピーエンドだ。
強いね、小枝は。
この強さ、母の強さというやつなのかなぁ。
子供を産んだことがある人、子供を育てたことがある人、育てている人はエライと、心の底から思うのです。
憧れて止まない強さだなぁ。/churara
ああ。そうか。こういうラストだったんだ。。。
何だかいいな。文治とは会えなくても子供が残る。営みはそういう「意味」があったんだ、きっと。
子供が目の代わりを・・・って言うの読んで、はっ!としたよ。
すごいなぁ、そうかぁ。小枝は一気に弱々しいめしいの少女から強い母になったんだね、守るものと未来を手に入れたんだなぁ・・・しみじみ。/レイ
小枝終わってしまったんだね。
お疲れさま。もう、次に行ってる所が憂生らしいなぁ~~(≧▽≦)
守られるものと守ってやるもの、守るべきもの、1つ1つが重なり合ってステキな物語になったね^^
小枝は「大切なもの」は何か。
って、その時 にその瞬間ごとに教えてくれたように思うよ。
ありがとう。。。/みゅ~
やっぱウイッチの作品って引き込まれるね。。!
小枝の母になるという、その力が湧き出てくるあたりなんて。。!
でもでも幸太の考えかたが素晴しいよ!
あんなふうに小枝を理解できるなんて、すごい信頼関係。。
すっかり感心してしまったのですー(o゚◇゚)ノあぃ/ぶっこ
小枝が子を産めるラストで嬉しかった^^
生を繋いでゆく生なのですね。
思わずその出産に立会いたくなるような…
私自身コレを読んだ時点で、小枝の『友達という房』になっていたのかもしれません♪
またまた、いい作品読ませてくれてありがとうございました^^/風海
いつも、いつも、読んでくれてありがとう。
憂生の文章って、
歯抜けで丁寧に説明できてないのに、
いつも、皆、書かれている以上のものを
受け止めてくれます。
そして、思い返してみると、
やっぱり、これは、皆自分の人生を
しっかり歩んできているからなんだと思うのです。
自分の人生の中で辛い別れもあっただろうし、
人に言わずそっと、思いを送って見守ったこともあっただろうし、その逆もあっただろう・・・etc。
そんな一人一人の人生経験が
憂生の作品をより以上に受け止めさせてしまうんだろうな。
辛いことがあったからこそ人に優しくなれる。
こんな言葉があるけど、
作中の人物にさえ思いをはせてゆける。
作品の出来、不出来にしばらく、悩んでた憂生ですが、読む人の幅にドンと甘えて、今までどおり書かせてもらおうと思い直しています。
ありがとう。/憂生
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