十日を過ぐる頃。使者が来た。
思った通り三条からの勢姫との婚儀の申込みであった。
主膳の腹は当に定まっていた。このまま勢姫を鬼の陵辱に晒しておくぐらいなら、三条の元に嫁がせた方が良いに決っている。
婚姻の因を結べば悪童丸ももう、勢姫の元に現れる事は叶わなくなる。
揺るがせない産土神の神前での契りを立てれば守護を得られる。
主膳は惟、一つの気懸りを振り払うと墨書をしたため始めた。
若し、勢姫が悪童丸の子を孕んでいたら産土の神は子の護り神でもある。悪童丸の因を封じ込める事は、おろか、父親か夫君かどちらに守護を与えることになるかさえ判らない。つまり、子を孕んでいれば契りは無かったに等しい事になる。
が、哀れな親は一縷の望みに掛けて見るしかない。
婚姻の儀を承知する由を書くと一刻も早く勢姫を娶る様に書こうにもその由縁をどうするか、主膳は考えあぐねて、筆を置いた。
澄明が渋い顔で告げて来た言葉を主膳はもう一度考えていた。
「此度の事、私の法力でも叶わぬやもしれませぬ」
苦しげな顔でそういう澄明に主膳はかける言葉が無かった。
海老名から聞き及んで夜の帳が落ちるのを待って主膳自から、勢姫の部屋に入り鬼を成敗してやろうとした。
睦言を交わす密やかな声に耳を塞ぎたくなるのを堪えながら機会を見計らった。
刀のこいくちを切り八幡大菩薩に守護を祈った。
が、「やっ」と切り込もうとした筈の主膳の体が金縛りにあったように身じろぎ一つも出来なかった。あまつさえ、身震いが起きるとぞおおおおとする寒気に襲われこめかみから頬が引き攣る様であった。
その後どうなったのか主膳にも判らない。
気がつくと布団に寝ていた。ひどい、おこりを起こして廊下で気を失っていた主膳を見つけた海老名が主膳を起こすとその身体を支えながら部屋に連れ戻ったのだと言うのだが自分の足で歩いた記憶さえ主膳には無かった。
そんな、ていたらくであったから、鬼の妖気の凄まじさを主膳自から感じ取っていた。
己の手におえる物でないと判る故に主膳も澄明を呼んだのである。
が、その澄明にも成す術が無いようであった。
そうなるとますます、三条の婚儀の申込みだけが頼みの綱であった。
かなえの非業の死を悲しむ余り、かなえに生き写しの勢姫を手放しかねていた親の愚かさを詫びると供に、今更ながら、己の歳を食んだのに気が付くと同胞がすでに孫を抱いているのがひどく、羨ましくなった。
親の我が侭で勢を留め置いておきながら今度はじじいの我が侭を言いたくなった。と、面白おかしく書きしたためると、ゆえに、婚儀も急がれよと付け足した。
この書がとどくと、
「弥生の雛の飾りに一人座りたる雄雛の横が淋しくなるのでそちらの勢姫を飾りたく候。雄雛こと時守重富」と、洒落た返答が届けられた。
「弥生か」
主膳はもう一度、澄明を呼び寄せた。
「退治せよとは言わぬ。わしも、無理やも知れぬことは、うすうす承知しておった。澄明、勢の婚儀が相整う弥生雛の日までなんとか、悪童丸を、近づけぬように、それが、無理ならば、勢が悪童丸の胤を宿さぬようにできぬか?それならば、できよう?」
「・・・・」
主膳殿、この因縁は、余りに深すぎる。子を成さねば、それで切れる因縁ではありませぬ。そう言いたい言葉を澄明は飲み込んだ。
どう言う因縁なのだと聞かれた時、それに澄明は答える事が出来ない。
「判りました。が、、悪童丸の妖力が並の物でないことだけは」
「判っておる。ここ五か月。それを乗り切れば・・・」
「判っております。産土様の差配でございましょう?」
「うむ、澄明。わしをひどい男だと思うか?」
「はい。なれど、親なれば、私もそうしましょう」
主膳の元を下がると、澄明はじっと考え込んだ。
『成す術がない』
何度、考えても澄明の頭の中には同じ答えが返ってくる。
政勝にも、主膳にも言えぬ理を澄明一人がだかえこんでいる。
いや、判っているのは海老名も勢姫も同じであるのだが一方は子を孕ませぬようにせねばならず、おそらく、勢姫は今生の別れを思うてむしろ子を孕みたいと思っている事であろう。
海老名が物の道理は判っていても、勢姫の心根にほだされるのは、自明のことである。
印を張れば、間違いなく、悪童丸が姫を攫って衣居の山に連れ去るのは目に見えている。
政勝に告げたように姫が鬼であるのなら、結界を張った所で洞門に鬼の入る隙間が出来ている。
その上何処で習い覚えたのか、悪童丸の術の腕は澄明を勝るとも劣らぬ物である。
解呪の法に長けているのも間違いはない。
嫌な予感がして送り込んだ式神さえも、逃げる隙を与えずくじり殺している。
『成る様に成るしかない』
そう、思うのだが、余りにも主膳が憐れである。
元を正せば、悪童丸の父の光来童子に端を発している。
親子で同じ因縁を繰り返し、主膳を苦しめ、そして、知らずの内に主膳もかなえの父と同じ過ちを侵そうとしている。
『絶ち切らねばならぬ』
それならば出来る事である。
因縁を通り、それを通り越す。その変転の方が容易くもあり、勢姫にとっても一番の解決になる。勢姫が人であらば、鬼を討つのも容易い。
が、姫が、鬼であるなら、鬼として生きるも人として生きるもどちらを選んでも条理である。条理であるならば、鬼を討つ理が成り立たなくなる。
が、それを主膳に明かす事などできよう筈が無かった。
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