「なんだろう?なにか、良いしらせかね?」
「・・・・・」
「お登勢の縁談相手がわかったのかい?
だったら・・・、
うちで、仕度をしてやらなきゃなるまい?
木蔦屋から、嫁にだしてやろう・・。
そうだな・・。そうなら、お登勢に帰ってくるように
おまえ、ちゃんといったんだろうな?
はああ~~ん。
帰ってくるんだな?そういったんだろう?」
饒舌になる剛三郎の言葉の中に魂胆がある。
筋書き通り・・・。
お登勢を呼び戻して
嫁に出す前に・・・。
棚から転がってくるように話が進んでゆく。
剛三郎は満面の笑みをうかべていた。
「帰ってきやしないよ」
「え?」
「此処には、帰ってこないよ・・・」
「なに、いってるんだ。
子飼いの時からの奉公人が店を飛び出して
あげく、そしらぬ顔で嫁にゆく?
お登勢はそれでいいかもしれないが、
木蔦屋のめんもくがたたないじゃないか?
だけじゃない、世間様にいらぬ憶測をされてしまうだろう?」
「憶測ってのは?
木蔦屋の主人がお登勢に夜這いをしかけたってことかい?」
「え?」
とうとう、事実を口に出したお芳の胸の中の鼓動が大きくなる。
事実をいぬかれたとうろたえるかと思った
剛三郎はお芳の言葉をそのままにうけながしていた。
「そうだよ・・。そんな風な眼でみられちまうだろう?」
「かまやしないよ・・・」
大きく息を吸い込むと
お芳は悲しい覚悟を下に敷きながら
静かに自分を告げていた。
「あたしが、すでに、認めてるんだ。
世間様がおまえさんをどう思おうとかまやしない。
むしろ、あたしが心配するのは
お登勢がお前さんにわるさをされてしまったと
思われてしまうことだ」
「な?なにいってるんだ?何を・・・認めてる?
あん?おまえ・・まさか、俺を・・・うたぐってる?」
「おまえさん・・往生際が肝心だよ。
お登勢は惚れ惚れするほど
見目も気性も本当にいいこだよ。
おまえさんが不埒な気を起すのはわからないでもない。
あたしは、そう思ってる。
だけどね、お登勢の幸せを考えたら
もう、ね、おまえさん・・・。
あきらめてくれなきゃなんないよ。
言ってる事・・わかるよねえ?」
「な?なに、いってるんだよ?
お前?
はあ~~ん。
お登勢にそう聞かされたって事か?
お登勢にそう聞かされて
お前は俺より、お登勢を信じるってことだな?
はっ!
長年連れ添った亭主より
お登勢をしんじるってかあ?
俺もよっぽど、みくびられたもんだ・・」
お芳にとって、一番痛いところを突くと
剛三郎はお芳に畳み込んだ。
「許せねえな。
夫婦の仲をひっかきまわすようなことを・・、
なんで、わざわざ、いいやがる?
何で、お前がそれをまにうける?
お登勢は・・何処にいるんだ?
はっきり白黒つけようじゃないか?
此処に連れてこい・・」
怒気を含んだ声に
お芳の暗澹はいっそう深くなっていった。
こうまでして・・・、
あたしに事実を隠そうとするということは・・・、
剛三郎の本音は別に在る。
お登勢への思いを昇華するまで、
この人は事実をみとめはしない。
お登勢にこの人を近づけちゃいけない。
お登勢・・が危ない。
だが、お芳は自分から
お登勢が近くにいるとさらけてしまったのだ。
昼間の夫婦の食い違いをうめようとするかのように、
剛三郎の手がお芳にのびてきて、
断る理由をみつけられないまま、
お芳は剛三郎の恣意にのまれていった。
感きわまろうかという
そのきわみの最中に
お芳はあえぎの中から、
剛三郎にうったえはじめていた。
「おまえさん・・・誰か・・てかけ・・を・・」
睦言に程遠く悲しい現がお芳を包んでいた。
何度肌をかさねあわせてみても、
生むものがない営みが
夫婦の鎹にはなりえないと知った今・・
剛三郎のむなしさがお芳の肌にまで、染み渡る。
「ねえ・・おまえさん・・おまえさんは・・・
自分の子供がほしいんだよねえ?」
剛三郎の動きが止まり
行灯に灯を灯しなおすために
お芳の側をはなれた。
「馬鹿をいってるんじゃないよ。
俺はどこかの女をお前の代わりにして、
子供をうんでもらおうなんて、
そんな了見はいっさいないぞ」
な・・、ならば・・・。
お登勢への思いはどういう事になるのか?
その疑問の答えを考え出したのは
お芳でなく、
むしろ、剛三郎本人であったと言える。
『俺は・・・お登勢がいい・・
お登勢に俺の子をうませたいんだ・・・・
俺は・・・
お登勢に・・本気で惚れてるんだ・・』
剛三郎の自覚を導き出したとも知らず
お芳もまた、
悲しみをいっそう、深くしていた。
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