屋敷の戸を叩くと件の女が顔を出した。
政勝を一目見ると
「まあ」
おおきな花がほころぶような笑顔を見せた。
「きてくださったのですね」
「うむ。礼の一つも述べぬはやはりこころぐるしゅうていかぬ」
「まあ」
優しいというか、律儀というか、礼節を重んじるは武士の習いであろうがそれでも、
「姫いさまがよろこびます」
政勝の手を取りかねないほど浮き立つ女の様子がさらに政勝には哀れを覚えさせた。
こんな事位がそなたにも嬉しく思えるほどに。
姫いさまの暮らしはもの寂しいという事になる。
「ぁ、ささ。どうぞ。おはいりください」
女にあないされ屋敷の中に入った政勝はさらに驚く事になる。
来るか、こぬか判りもしない政勝をまっていた。
それほどに日常に無い外の人の来訪をたのしみにしている。
座敷の中は政勝が来る者としてかのような馳走の膳が運び込まれ始めていた。
政勝が主席に座れと促されるだからやはりこの膳は政勝のためのものである。
並ぶ馳走はどこをどう手配したものか。
山女が焼いてある。横の小鉢の中は春に摘み取り一旦干した山菜である。
貴重なものであろうに水に戻され柔らかく煮含まれ膳の上で白和えになっている。
筍も塩に漬け込んだ物を何度塩抜きしなおしたことであろう。
川海老が赤く煮付けられているが、これも朝の内に誰かが川にとりにいったものである。
「いや。これでは、かえって・・」
困ったことになった。
だが、それほどに人のくる事が稀なのであろう。
こうまでに歓待されるとならば、尚程に来てよかったと政勝は思った。
政勝が来ぬとしても、それでも来るかもしれないと膳は用意されていたのであろう。
それほどに待たれていたと言うに政勝は取り立てて話す事が思いつかない。
何を話させて貰って礼に変えようかと考えていると、
「姫いさまは・・・。また一つ産褥をかかえておりましてな」
と、おずおず女が政勝に告げた。
「おって、参りましょうから、どうぞ、お先に」
と、ささを継ぐ手をよせてくる。
「ぁ・・いや主殿がおらぬというに」
「構いませぬ。お待たせする方が却って心苦しい」
「いや・・しかし」
返す言葉の政勝に杯を持たせると女は芳醇なつややかな液体をそそぎこむ。
甘気な匂いが発ち込め酒は上等な部類のものと直ぐわかる。
「ささ、どうぞ」
女の言葉に迷ったがこれ以上断るのも愚とおもえ、政勝は杯をあおった。
「ああ・・・」
確かに上等な酒である。
口の中に甘みが残るとくうううっとのどをすんなりとおる。
いかがですかと問いかけるまなざしの女に政勝は豪放でてらいがない。
「いや、うまい」
素直にきっぱりと美酒を称えると証拠についとてがのびた。
「いける御口でございますな」
嬉しげに女が微笑み政勝の杯が充たされた。
川海老をむしりとる間に猪口が充たされる。
「うまい・・・」
口の中に入った海老は薄い醤油の味だがそれを超えたあまみがある。
「おきにいってくだされましたか?」
山の者にとって川海老など茶飯事の食物でしかないのかもしれない。
だが、政勝には美味である。
「湖の物とは違うの。甘味が芳しいと言うていいか::」
「さようでございますか?」
朝から用意をした苦労が報われる以上に政勝の堪能ぶりが嬉しい。
「いやああ。これはいい。これも旨い」
じゅんさいもきっと朝早くから山の湖か沼にもとめにいったものであろう。
つるりと喉を通るぬめりに舌鼓をうつと、
女が慌ててうごきはじめた。
どうしたものかと見ていると女は立ち上がり、
「姫いさま・・・」
と、襖を開け放った。
「ご苦労」
女主は政勝の歓待を用意したはしためをねぎらい、つづいて、政勝に深く頭をさげた。
「おいそがしい御身であるに」
「いや」
昼過ぎる時刻からささを飲める自分が忙しいとはいえまい。
むしろ、忙しいのは女主のほうであろう。
たっつけの姿のまま湯浴みもできずに、政勝の来訪に礼を述べに来る。
かといって、先に湯浴みでもなさってらっしゃいませは女主を追い出すようにも聴こえかねない。
政勝は
「ごくろうさまでありましたな」
置かれたちょうしを取ると我が酒ではないがと主に酒をすすめた。
「もったのうございます」
どちらが主格か判らぬ有様になったが主は杯を取り政勝の酒を受けた。
「わざ、わざに・・」
「いや」
政勝が礼の為にここに訪れた事を言うが既にこの様子では礼にさえ及ばぬ尽しである。
「かえって・・」
余計に迷惑をかける事になったと政勝は言う。
「いえ・・そんなことはございませぬ・・・
軽く頬を染めた娘は昨日と違って無表情ではない。
「お武家さまはどちらから?」
政勝の旅の用事を終えた事は判っているが、用事がなんであったかを聞かぬは武家筋の暗黙の了解のことではある。
いずれの姫であったか、無造作に括った髪であるのにあでやかな気品がある。
婚を禁じた木之本の主とても、さてはいかにか惜しかろうと思うたおやかさがある。
「某は・・・長浜から・・・」
主はやぶさかでないとみえて、小首をかしげた。
「琵琶の海をもう少し南に下がったところが長浜です」
「まあ。それでは竹生島がじきに見える所ですか?」
裏山の尾根に上ると微かに島がみえるという。
それが竹生島ときいているという。
「そうですか」
琵琶の海は眼下にみえれど、その水にふれたこともないという。
「この山の中から出た事がないとおおせられる?」
「はい」
「おさなきころから?」
「はい」
一体、どういう咎をかせられているというのであろう。
血筋を絶えさすに命を取り果てるは哀れとの救いにしろ、流刑の方がましかもしれない。
「それでも、山家の暮らしも季節の移ろいは同じでしょう?風情が御座います。長浜は如何です?」
それとなく女主が己の身の上から話をそらせてゆきたいのだと感じると政勝は長浜の時の移ろいをおもいうかべていた。
「そうですなあ・・」
政勝の頭に浮かぶ風景がある。
時は春。
春は宵。
生暖かく湿気を含んだ風が爛漫の桜をちらす。
風に乗った花びらが朧に霞む月に照らされる銀鱗の湖に舞い踊る。
有情無常。
まさしく言葉どおりの風景がよみがえる。
「琵琶の海に春が来ます。爛漫の桜より散り急ぐ花が哀れでうつくしい・・・」
政勝は己の胸の中の風景を語り始めた。
「まあ・・。めにうかぶようです。薄桃色の花びらが惜しげもなく湖面をあやどる。あなたは湖面に船をさしのべたのでしょうか?」
あなたといわれるに政勝はてらいがあった。
「某は政勝といいます。あるじどのは?」
初めて個別の名を名乗りあってない事に気が付くと女は
「采女・・・采女ともうします・・」
「うねめ・・?」
「はい」
女のほほがそっと染まるようであったが政勝は気が付きもしなかった。
が、女は個別の名を尋ねられ己と言う女を意識された事にほほを染めていた。
「私は船も出さず岸辺で舞い散る花びらが湖に落ち銀鱗の波を薄桃色に染めるのをみつめつづけるだけでしたが・・・圧巻でした・・・」
「さぞかし・・・」
綺麗でしょうねと女は言わずほうううとためいきをついた。
心のそこでの哀れみがせめても女を喜ぶ顔にして見せたいと必死の政勝であった。
「秋の奥琵琶湖も絶景です。もみじが色づき湖が色を映しだし::」
「まあ・・・」
政勝の一言でさえ女は驚嘆してみせる。
「みてみたいものです・・・」
己には無理であると判っている故に政勝にとってありふれた風景さえ羨ましく美しい。
「あ・・あ」
女の身の上にとって酷い事でもあるのだと気が付いた政勝は外の話をこれ以上話し続けるのが気の毒になってきた。
政勝は杯をあおり、間を取り繕うかのように
「この酒は?」
と、突然のように話を変えた。
「地の酒です。おくちにあいましたでしょうか?」
「いや・・本当にうまい・・」
嘘ではない。つい手が伸びる芳醇なさけである。
甘い酒は政勝の五体を快くしびれさせてゆく。
軽い酔いに眠気が催してきて政勝は何度も目をみひらいた。
「おつかれのようでしたら・・」
女は政勝の酔いを察すると女にそっと、床を伸べるように指図した。
「いや・・そんなことはない・・ないが・・」
確かに微かな酩酊がある。
女の哀れより、礼を返すことより快い酔いが政勝を捕らえだしていた。
政勝がいても立ってもおられぬ睡魔に部屋を出るのは寸刻後のことである。
寝間に付き添う女に
「いや・・すまぬ・・あいすまぬ」
何度か詫びながら廊下をあるいた。
「長旅でおつかれだったのでしょう。そこにお酒が入ればむりなかりましょう」
眠気を追い払えなくなった政勝の弁解を替わりて喋ると女が部屋の前で立ち止まった。
開け放たれたふすまの向こうに柔らかな夜具がしかれてあった。
政勝は躊躇する事もなく布団の上に寝転がる。
子供のような政勝の所作にくすりとわらう女の耳に早くも軽いねいきがきこえはじめていた。
「ゆくりとおやすみくださいませ」
既に掛けられた声にこたえられる政勝ではない。
邪気のない寝顔をもう一度見直し女は政勝の身体を押して上掛けを掛け直し部屋の外に出て行った。
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