一人、己の発した言葉を聞くと、かのとは静かに頭を垂れた。
命を断たれた者への鎮魂を呟くとかのとは社を後にした。
誰もすむ者のなくなる社殿の新しさがひどく目に痛かった。
ひのえの腹より、ま白な小さな蛇の姿が現れると八葉は白銅を呼んだ。
産まれたばかりの子蛇は、もう、小さな赤い舌を出して
外の空気を嗅ぎ取る様にひららと蠢かした。
己の生を確かめる様にずうううとくねるとするりと身体を動かしてみた。
そしてじっと、動きを止めた。
やがて鎌首を擡げて上を見ると
その赤い目が白銅の姿を捉えた。
白銅の手に持った草薙の剣で、ひのえは
白胴がここに現れた理由を悟ると、
「白銅。どうぞ。見逃がしてやって下さりませ」
と、大声で叫んだ。
その声に子蛇はひのえを振向いた。
じいいと、ひのえを見ていた小さな頭が
もう、一度白銅の方に向けられると、
軽く頭が上に上げられそのまま白銅を見詰めていた。
「ひのえ。こうせねば、来世の御前は蛇ぞ。白峰の物ぞ」
「え?」
絶句するひのえから、目を離して子蛇を見ると
変らず白銅を見詰めている。
「赦せ」
白銅が剣を握り直した。
ひのえの前で命を絶つのも、
断たれるも忍びなかろうと思うと白銅の手が、
剣を振り下ろせずにいる。
子蛇はちろろと舌を出すと軽く首を振った。
子蛇ながらもう、あふりを上げる法は心得ている。
白銅の左手(ゆんて)も右手(うて)も痺れだした。
しまったと思ったがもう、遅い。
束をもつ手がだらしなく力を無くすと、
白銅の手からするりと剣が落ちた。
すると、くるくると舞い落ち来る
その剣の下に子蛇がするすると体を滑らして行った。
「あ」
と、いう間もなく子蛇の体が二つに引き切られた。
「え?」
「ああ!」
「御前?」
白銅が呟く、後ろからざざざざと音が聞こえると白峰の姿が現れた。
目敏く子蛇の無残な姿を見付けると
「よりひもが無い」
白峰はうろたえた。
白峰の子の白蛇は、
白銅の落とした草薙の剣で
その胴を見事に断ち割られている。
聖、神の刀である。
どんなに唱えてもその胴が頭と繋がる事は無かった。
白峰の見る前で白蛇の尾の先が小刻みに震えるとその命が果てた。
「おのれ」
よりひもが無ければ、
ひのえの魂を孕んで産み落とさせる者が居ないのは
当然の事ながら次世の身体は、
すでにひのえを孕ますその白蛇に与えていた。
老いさらばえた白峰の身体は、その時を迎えどうと崩れ落ちた。
それでも子蛇をよりひもにしようにも
その体も命を潰えて静かに横たわっている。
実体の無い者が身を移し変える
只、一つの伝手であるよりひもになり得る白蛇も敢無く命を断たれた。
「何故?何故に其に手をかけられる?何故に草薙の剣を持てる?」
正しき理も大儀もなく剣を扱える事も、
千年の成就を崩す事も出来る訳が無い。
「なにゆえ」
「俺はひのえの夫であり、ひのえは俺の妻だ」
白銅が言い放つと、白峰の顔が驚愕の色に変り
眼がわなわなと震えた。
「おのれ、正眼。いつのまに理(ことわり)を与えよったか。
どうせ、どうせ、己の知恵ではあるまい。判っておるわ。
黒龍めだろう。奴め、この時を待っておったな。
この一隅の機会を。さほどに、わしにひのえを渡したくないか」
白峰の目が刺す様に鋭く恐ろしい物になっている。
「お、おのれ、ようも、その、命断ちおったな」
「御前に、子を断ったと、恨まれる無いわ」
「なに?抜けぬけと・・・」
「憐れに七生七度、その身を捕りて、やっと、生を与うるも、
ひのえの来世を孕ますが為の道具ではないか。
己の何処に親の情があろう」
「・・・・」
「御前。その子がわしを見た目。どんな目か知っておるか?」
「し、知らぬ」
「己の生でひのえを蛇神に変えてくれるなと言うておったわ」
「嘘だ」
「白峰。城が崩れるのも外からの攻めではない。
内の守りが弱うて崩れる。
御前が、子の事を仇にしたが、内の弱さよ」
「・・・・」
「白峰。わしは討ち迷うた。
ひのえの来世が掛っているというのに、その子が憐れでな」
「・・・・」
「剣が落ちる所に流れ来るようにして
自ら、その子が滑り込んで行ったのだ」
「自ら?嘘だ」
「嘘ではありませぬ」
ひのえの声が高く通る様に響いた。
「あの子は、私を救うためにあえて刀身の下に身を晒したのです」
「自ら!?救う為?・・・ひ、ひのえ?」
うめく様に呟きながら、白峰はひのえに
ついと手を伸ばすがひのえを掴む事が出来なかった。
「この身、幻になりておったのに気が付かぬとは・・・」
美しい白峰の身体は、もう現の物ではなかった。
「おおおおうう」
白峰の姿がふっと消えると哀しげな声だけが響いた。
「さらばじゃ。未来永劫、逢う事も叶わぬ事になってしまった。
来世こそ、わしの物だったに・・・・。ひのえ、さらばじゃ」
ひのえは白峰が消えた辺りにじっと目を据えていた。
白銅は白紙に白蛇の死骸を包み込むと懐に入れた。
「後で、塚を立ててやろう」
白銅がひのえを振り向くと、ひのえの瞳から一雫の涙が落ちた。
「白峰・・・・」
『夫であった事には間違いはない』
千年に渡る白峰の情念の炎から解き放れた時
初めてひのえの中で静かに白峰の名を呼べた。
白銅はひのえの肩を抱くと
「よう、わしを信じてくれたの。ひのえ。わしが夫で、不服はないの?」
と、尋ねた。
ひのえは黙っていたが、ややすると臍を固めたのだろう。
「いや、家業が忙しゅうなるなと思いまして」
と、返した。
白銅はその答えを聞くと、ほっと胸を撫で下ろした。
「良いではないか。夫婦陰陽道も面白かろう?」
白銅はひのえの口元が小さく綻ぶのを見ると、
ついと先に歩いてひのえを呼んだ。
「早く、帰って父上に祝言の日を決めてもらわねばなるまい?」
白銅が手招きする。
その胸を目指してひのえは足を早めた。
(終)
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