つじつまあわせにどうだん躑躅をひとつ買い込んで、
剛三郎は昼も過ぎた刻限に
ぶらぶらと帰って来た。
「おまえさん、昼はどうしなすったんだい?」
と、問い詰めるお芳への答えもいつものごとくで構わない。
そして、
庭に躑躅の鉢を持って行きがてら、
仕立物にかかずらわってるだろうお登勢を
ちょいと、覘いて・・・・。
だが、店先に顔を出した途端
剛三郎の楽しい思案も吹っ飛ぶ
お芳のいきなりの切り口上を浴びせかけられることになる。
「おまえさん、ちょっと、きいてみたいことがあるんですがね」
主人がかえってきたというのに、
おかえりでもなければ、
帳場にすわったまま、
お芳の目つきまで、座っているように見える。
「なんだね・・・いきなり・・・」
お芳のこういう感情むきだしも、剛三郎には慣れたことである。
お芳にいわれる先に
「じゃあ、これをおいて、部屋にいくよ」
と、お芳の話が剛三郎と膝詰めになることも判っている。
裏庭に抜ける廊下を渡りながら
剛三郎はお芳の剣幕の元がなにかを推し量っている。
『お登勢の事がばれるわけがない。
遅く帰って来たのは、いつものことだ。
まあ、せっかちなお芳のことだから、
いつ、お登勢に話をしてくれるのか?
って、事だろうな』
はたして、躑躅を盆栽棚において、水をいっぱいかけて
ゆっくりと夫婦の部屋にはいってゆくと、
お芳が既に待ち受けていて、正座のまま、ぴっちりと背筋を伸ばしていた。
「ん?なんだね?」
触らぬ神に祟りなしではないが、
やけに切り詰まったお芳に下手な言葉をかけないほうがいい。
柳に雪折れなしの柔らかな物腰で剛三郎はお芳の前に座った。
「それがね・・・」
と、先に見せた怒っているかのごとく切り口上が瞬時に崩れて、
お芳が不安気に口ごもる。
「なんだね?きになるじゃないか?」
腰にぶら下げたラオの煙管に手をのばしだす剛三郎である。
それは、言い換えれば
お芳の話をゆっくり聞こうじゃないかという剛三郎の
表れでもある。
煙草盆を剛三郎の前におしだしながら・・・。
「お登勢のことなんだけど・・・」
お登勢のあの涙が気がかりでしかたない。
養子の件は断りたいと申し訳なく思っているお登勢だからなのか?は考えすぎなのかもしれない。
と、うだうだとおもい悩んでいるより
剛三郎がお登勢にはなしたか、どうかを
聞いた方が早いと思ったのである。
「ん?お登勢がどうか、したのかい?」
剛三郎は抜けめがない。
用心深く、お芳の言葉を待ちながら
先に帰って来たお登勢の様子を探る。
二人の口裏あわせが何処で崩れているか、
判りはしない。
崩れていると知らずに、矛盾したことを
喋れば、そこから、全てが崩壊する。
お登勢に触れることもまだだというのに、
お芳に露見して、いらぬ邪魔立てをうけてもつまらない。
「それがね、お登勢が帰ってきてから、妙なんだよ」
「ん?なにが?妙なんだい?」
お芳の言葉に合わせて、相槌を打てば、
お芳は自分の心のままに話し出す。
これも、長い付き合いで判っているいつものお芳である。
「それがね・・・・。ちょっと、叱っただけで、涙ぐんだりするんだ・・・」
「ほお?」
なるほど、と、剛三郎の中ではしたり顔になるものがある。
長年、お登勢を大事に育て、面倒を見てきたのがお芳であり、
傍目から見ても
お芳がお登勢を娘のように思い、
お登勢もまた、そのお芳に敬慕の念を寄せている、と、わかる。
だが、
お登勢はそのお芳を裏切り、剛三郎と
男と女に成ることを選んでいる。
裏での、お登勢の思いは確かに先程、剛三郎に見せたように
剛三郎のものになろうとする従順な女のものでしかないだろう。
だが、
一歩、表に返せば、そのことは
女将さんにすまないといった、お登勢の心そのもの。
お芳を前にすれば、
お登勢はそのすまなさにいっそう、こうべをたれるしかなくなる。
『こりゃあ、お登勢にとっちゃあ、地獄のようなものだな・・・。
だったら、いっそ、別宅をかまえちまうか・・・』
だが、今は剛三郎の企てを先に考えている場合ではない。
お芳の言い分を聞かねば成らない。
「お登勢にといつめても、仕立物があるからとにげちまうし・・・。
あの調子じゃ、何も言おうとしないだろう。
だからね、おまえさん・・・。
なにか、心当たりがないかい?」
お芳にすれば、養子の件を話したのかどうかを尋ねたのであるが、
剛三郎の方は、何処まではなしても、お登勢にさしさわりがないか、
多少成り、糸目が見えた。
お登勢さえ、剛三郎のものであるのなら、
むしろ、外に出した方が、都合が良い。
だからお登勢を外に出やすいようにするためにも、
養子の件は、なかった事にしたが良いと剛三郎は判断した。
「そうか・・・やっぱり・・・そうか・・・」
と、剛三郎は神妙な顔を繕う。
「そうかって?・・・おまえさん?」
やはり、剛三郎はお登勢にはなしていたんだ。
そして、お登勢はその話を断ったに違いない。
「実はな、朝の話をお登勢にはなしたんだ。
話したんだけど、
お登勢は云といってくれなかったんだ・・・。
俺はお登勢に無理強いもしたくないし、
まあ、この話は聞かなかった事にしてくれってな・・・」
剛三郎の話は部分的には嘘ではない。
確かに、聞かなかったことにしてある。
だから、
お登勢が自分の口から
お芳に何も言わなかったのもつじつまを合わせられる。
だが、はっきりと事実を告げられたお芳の顔色が薄くくぐもった。
『ああ・・・そうなのかい・・・』
お登勢が、よもや、断ってくるとは思わなかった。
そして、お芳がそう思っているからこそ、
剛三郎もどう事実を告げていいか、
重い気分を引きずって
帰ってくる足もにぶったということだろう。
だが、帰ってきてみれば、
お登勢が白状したも同然だったということだ。
「で、なんで・・・断る、なのか、きいてみてくれたのかい?」
「う・・・うん」
それこそが、一番、お登勢が言いたくないのだろう。
だからこそ、お登勢から、お芳にはっきりいわなかったのだろう。
「それがな・・・。
はっきり、いわないんだよ。
まあ、俺が・・・。俺が、だよ。
俺が思うにな・・・」
あくまでも、剛三郎の類推でしかないと念をおして
「たぶんな。
お登勢には好いた男がいるんじゃないのかな。
だけど、此処に養子にはいれば、
その男と添い遂げられなくなる。
だからといって、お前の気持ちを考えると
店の身代まで預けようというお前に、
男の方が大事ですから、とは、いえなかったんじゃないのかねえ」
「あ・・」
店大事で、お登勢にそんな相手が居るかもしれないと、
気にかけてやれなかったお芳である。
「ああ・・。そうだったねえ。
いくら、子飼いからの奉公人といったって、
人の気持ちまでこっちの勝手にはなりゃしないよねえ」
とは、いったものの・・・。
「だけど、それだったら、そうだといってくれりゃあ、
よさそうなもんじゃないかい?
もしも、なんだったら、夫婦養子にとるってことだって・・・」
と、諦め悪くお登勢をせめだすお芳になってしまう。
「だから・・・。
それは、俺のあて推量で、本当の所は判らないって、いってるだろう?
まあ、それでも、お前の言い分を考えてみるとな、
お登勢の好いた男が、例えばどこかの大店の後継ぎだったりしたら、
どうだい?
お前の言うように、夫婦養子って、わけにはいくまい?」
これも暗に剛三郎は自分を例えてみたてている。
「本当の所はわからないが、
お登勢には言うに言えないわけがあっての事だろうと思う」
確かに言うに言えないわけがある。
大店の後継ぎである剛三郎と
この先深い仲になるから、
養子になど、はいれません。
などと、ましてや、とうの剛三郎の女房に言えるわけがない。
剛三郎にすればお登勢の気持ちは手に取るようにわかる。
が、やはり、得心できないのが、お芳である。
「だったらさ、それでも、そういってくれりゃあいいじゃないか。
そうならば、そちらの大店にふさわしいくらいの仕度をこしらえて、
此処から、嫁にだしてやってもいいんだ」
いかにも、お芳の言い分を聞けばもっともらしくは聞こえる。
「お芳。ひょっとして、お登勢はそういえば
お前が仕度くらい調えてやるといいだすのが、わかっていたのかもしれないじゃないか?」
剛三郎の示唆をお芳は確かにそうだと思えた。
お登勢のことだからそれが、申し訳なくて
一層、押し黙ったのかもしれない。
「なあ、こちらが良くしてやろうと、思えば思うほど、
お登勢には、いっそう、気ずつなくて、しかたがないってことも、
有るんだって事も考えてやらなきゃいけないんじゃないか?」
一事が万事、剛三郎の言う通りである。
「だったら・・・・。
おまえさん。
あたしはお登勢にどうしてやるのがいいんだろうねえ」
いくらか、悲し気にうつむいたのは、
やはり、お芳がお登勢を奉公人以上の気持ちで思うせいである。
「普通の奉公人と同じように考えてやればいいんじゃないのかねえ?
誰かといい仲になって所帯をもちたいっていうんなら、
そうさせてやりゃあいいじゃないか?
いつまでも、「木蔦屋のお登勢」で、
いさせちゃあいけないんじゃないかい?」
そうかもしれない。
そうなのかもしれない。
いつの間にかお登勢を
自分のものにしてしまっていたお芳になっていた。
ふと、その時、その昔、女衒の清次郎に言った言葉が
お芳の胸によみがえってきていた。
―あたしはね、そうやって、ひたむきにいきてゆこうとする人間の事には、いくらでも、助きをしてあげたいとおもう。
どうだろうね。
あたしのほうから、この子を預からせてもらえないかと
いわせてもらいたいんだけどね―
そうだった。
あたしは預からせて貰ってるんだ。
助きをしてあげたい。
それだけが、あたしがお登勢にしてあげられることじゃないか。
いつのまにか・・・欲の皮がつっぱらかっちまったよお。
くすりと、自分を笑うと
お芳は剛三郎に
「そうだね」
と、うなづいて見せた。
うなづいたお芳に
剛三郎は此処が機会となにげない口調で楔をうっておいた。
「あんまり、無理強いするとお登勢が此処に居られなくなってしまって、でていってしまうかもしれないからね。
もう、何もいわず、
お登勢のしたいようにさせてやればいいじゃないのかね」
そうだ。
それを理由に、お登勢は此処を出てゆくことになる。
そして、剛三郎はお登勢が出てゆく先をこしらえてやらねばならない。
事の筋書きが面白いようにうごいてゆく。
まぶたの中にお登勢の白いうなじが浮ぶ。
今度こその逢瀬のときにゆっくり、お登勢に
算段を聞かせてやろう。
もう、家も借りてあるんだよとお登勢を喜ばせてやろう。
剛三郎の内にお芳には、あまりに悲しすぎる算用が有るとも知らず
剛三郎に話してよかったと
剛三郎を頼りにするお芳に
多少の後ろめたさを感じながら、
いうべき事を言い終わったと剛三郎は立ち上がった。
たちあがりざまに、
「まあ、ちょっと、俺からお登勢に
この話はなかった事になったからって
いいに行くよ」
と、剛三郎は部屋を出て行った。
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