研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

国土と住民

2006-01-18 12:37:28 | Weblog
以前のエントリーで西部テリトリーの州編入の仕組みを解説したことがある。ここで私は一つの重要なことを語らなかった。それは1820年以降の準州の問題の特殊性である。新たに編入される州が、「自由州」であるか「奴隷州」であるかというのが、連邦政治における重大問題であった。つまり、南北戦争までの様々なアメリカ政治の彩りは、この準州がどちらに転がるかをめぐる争いと連動している。ホイッグから共和党の形成も、ジョン・カルフーン、ダニエル・ウエブスターそしてヘンリー・クレイといった、白銀時代をつかさどった人々による華やかな連邦議会政治も、自由州と奴隷州のどちらが連邦政治における優勢を占めるかという競争に絡んだものであった。

壮大なのは、新たなテリトリーに奴隷制反対論者や奴隷制を守ろうとする人々が、政治的理由から移住し、住み着き、多数派工作を行い、それが連邦政治における抗争に連動する。つまり、地方の住民の性格は、そのまま国政にとって重要な問題なのである。それゆえ、国政を考える上で、どの勢力が地方を占拠するかというのは、致命的に重大な問題なのである。

「植民」とは実に生々しい言葉である。第二次大戦以降はプランテーション式の植民地帝国のイメージが強いが、もともとはある国家が、ある地域に文字通り自国の人間をそこに住まわせてしまい、その地域を自国の領域にしてしまう行為である。ロシアなどはこうして国土を作ってきた。たんなる資源開発や略奪のために男性(主に囚人など)が送り込まれることは大昔からあったが、こういうのは長続きしない。本当に進出先の利益をモノにするには、家族単位で定住させてしまうのが良いわけである。北米大陸におけるアングロ・サクソンの勝利はここにあった。共同出資会社を通して、北米大陸に家族ごと移住させてしまう。ちなみにOEDによれば、colonyという言葉が英語に入ったのは1555年ということである。要するにアメリカ大陸への植民事業が開始されたころというわけである。

住民がいる。住んでしまう。これは理論を超越するリアリティである。他の方のブログを読んでいたら、最近の豪雪問題で、「なぜあんなところに住んでいるんだ?」という疑問を呈する人がいた。これは、辺境の住民に対して、そもそもなぜ都市住民の税金を振り込まなければならないんだという疑問の延長上にある。いろいろな回答があり得るのだろうが、こと国家論の観点から言うならば、辺境に住民がいるというのは国家そのものを支える上で重要であるということがいえる。以下極論だが、国家を理論的に考える場合、極点まで突き詰めなければならないので、そのまま書くが、例えば、大雪がふる地域(北海道、北陸、東北)に日本人が誰も住まなくなったらと考えるとどうだろうか?答えは簡単である。中国人や朝鮮人やロシア人が住み着くに決まっている。笑い話ではない。現に、警視庁に東京を追われた外国人犯罪組織は、地方を拠点にし始めている。今や外国人犯罪が着実に増えているのは地方なのである。まして、地方に日本人が減り始めれば、増えるのは外国人である。

外国人が多数を占めれば、当然その地域は独特の政治的主張をはじめることになる。それは当然国政に跳ね返る。こんな不安定要素はないわけで、だから中央政府は、金を払ってでも辺境に同じネイションの人間を多数住まわせ続けなければならない。これはリスク管理の問題である。もちろん私は、極端な仮定をしている。しかし、中央政府が多額の税金を投入してでも辺境に中央を構成するネイションと同じネイションを住まわせなければならない理論的根拠はここにある。その国家のネイションが多数住み着いているというのは、国土を決定するに際して、法を超越する強力なリアリティであり、説得力なのである。だから、北方領土問題にいまひとつ力が入らないのは、このためである。日本人が「実質的」に誰も住んでいないというのはいかにも痛い。

私は北海道のさらに辺境の港町の出身なのだが、北海道など東京の人々にとっては寒くて不便なところだろうが、ロシア人から見れば天国なのである。ましてそこは経済大国日本に属するのである。私はロシア人をよく知っているが、彼らは生活者としてとても日本人の手に負える相手ではない。しかもいったん住み着いたら絶対に帰らない。

私は北方領土の「四島一括返還論」者である。理由は、「四島一括返還」などとてもロシアが受け入れられないからである。つまり、こういう強硬な主張を維持することで、実際には問題が動かないことを希望している。私は鈴木宗雄氏の二島先行返還が絶対に許せないのだが、その理由は、これならうっかり実現してしまうかもしれないからである。しかもロシア人つきで・・・。だって現に住んでいる住民を追い出せるものじゃない。そもそも住民自身が日本に移ることを悪い話ではないと思っているのだから実にやっかいである。領土の半分を放棄した上に、ロシア住民まで抱え込むなど、私はまっぴらである。北方領土返還を成し遂げるという功名心のためであれば、ロシア人まで引き受けかねないのが政治家というものであるから、私は本当に鈴木氏が憎かった。

もちろん、北方領土が更地であれば、かえってきて欲しい。しかし、これにロシア人が一緒にくっついてくるならば、非常に困るのである。だからといって、北方領土に住むロシア人を全員追い出すなど不可能である。しかしながら、先の大戦以降不法占拠された領土の放棄などを簡単に認めるわけにはいかない。こうした矛盾に対する回答が、「四島一括返還論の維持」である。これなら、日本は面目を守りながら、問題を固定することが出来る。

もし北方領土がロシア人つきで返還などされたら、間違いなくその領域は日本で最貧困地域になるわけだが、彼らが黙って貧乏に暮らしてくれるはずもない。絶対に断じて間違いなく、政治的主張を展開することになる。北方領土選出の国会議員はその主張を中央で展開することになる。もちろん小選挙区制導入以来少々苦しんでいる某宗教政党がこれを放置するはずもない。そんな不安定要素なんか抱え込んではいけない。

話が脱線したが、中央政府が辺境住民の生活にある程度の金を出すのは当然である。中央を構成するネイションと同じネイションを辺境に住まわせるのは、国土防衛の手段だからである。北海道や沖縄に日本国民が多数を占めることは、中央の政治を円滑にする条件の一つなのである。それゆえ、辺境に赴任する医師や教師に僻地手当がでるのである。辺境の住民は、個人的にはそれぞれの事情で辺境に住んでいるわけだが、マクロに見れば、辺境で生存することを通して、国土防衛に貢献しているのである。

2 コメント

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北海道ですか. (M.N.生)
2006-01-19 13:22:04
 あー、オッカムさんは北海道のご出身ですか.私は京都生まれの京都育ちなもんで辺境(失礼.いい意味で使ってます)の精神には疎いんですが、北海道といえばアメリカと何かしら共通のものがあるというイメージはありますよ.まあ、これはクラーク先生のイメージが強すぎるのかも.でも、内村鑑三や新渡戸稲造のアメリカへの思い入れは北海道の体験を抜きにしては無かったと思います.そして、内村、新渡戸の精神的教え子から日本のアメリカ研究の初期の先生方が出たんじゃないかと想像しているんですが.(東大アメリカ講座初代の高木先生はどうなんでしょうか)

 話がそれましたが、アメリカの拡大の背景に奴隷制の問題が横たわっているというのは、重要な指摘ですね.実際、ルイジアナ買収、オレゴン熱、メキシコ戦争、カリフォルニア争奪と、南部と北部の政治家が入り乱れて領土獲得競争をやりましたですね.面白いのは、南部の政治家の中に、メキシコからカリブ海地域をすべて合衆国にして大奴隷州連合を作ろうという動きがあったようですね.これに対抗して北部では、英国領アメリカ(カナダのこと)を併合して、大自由州連合を作ろうという動きがあったとか.こうみるとポーク大統領(南部)がさっさと英国と妥協してオレゴン北部を英国に与えたのも機先を制したという意味では理解できますね.そのおかげでカナダが出来たのですから.その替わりにメキシコと戦争が出来て南部を太平洋まで拡大した.奴隷制の影が常に見えますね.

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Unknown (オッカム)
2006-01-20 00:11:53
辺境という言葉は好きですね。何かロマンチックな感じがします。最果てと同時に異民族との出会いの場でもありますしね。



もともと「北海道」というのに私は非常な文化的劣等感を感じていたんです。今でもそうかな。というのは、私は大学で古典文学が勉強したかったんですよ。日本史と古文が得意学科でしたし。ところが、京都に旅行したとき、何かひどい疎外感を感じたんです。風景が私の心象風景とあまりに違ったんですね。実は青函トンネルで青森に入った瞬間に内心愕然としてたんですよ。自分の育った環境とあまりに違うので。この辺は説明が難しいですね・・・。「こりゃ、いくら古文を勉強しても、京都で昼寝している奴にかなわない」と思っちゃったんですよねえ。



今は、「辺境育ち」というのはけっこうお気に入りのアイデンティティですね。風速30メートルのブリザードも、入ったら即死する冬のオホーツク海の風景も、確かに自分を構成している要素なんですよねえ。そういえば、明治初期にお雇い外国人が日本に来てましたけど、北海道だけはアメリカ人が主流だったんですよね。北海道の農場や郊外の風景は、マサチューセッツに似ているんです。思えば、東大にヘボン講座(アメリカ政治外交史講座)を作り、高木八尺先生を見出したのは新渡戸稲造なんですよね。ご縁だなあ。内村鑑三は好きすぎて(なぜか会いたくはないんですが)言葉になりません。高木先生については、一晩中語れそうです。よくもまあ、あれほどの学徳兼ね備えた人物がいたもんですね。いずれ本エントリーで書こうかと思いました。



確かに、M.N.生さんの指摘した奴隷制のもたらしたダイナミズムというのは、あまり語られなかった視点かもしれませんね。奴隷制というとどうしても道徳の文脈で語られるか、綿花経済の文脈で語られるわけですが、国家形成の文脈は無視できるはずがないんですよね。そういえばヘンリー・アダムズの『合衆国史』には、マディソン政権期にすでにニューイングランドのフェデラリストが連邦離脱をしてカナダを併合して合衆国を作り直そうとしたという記述がありますね。「ニュー・イングランド・フェデラリストの陰謀」と彼は書いていましたが。真偽は今もって明確ではないんですが。つまり、かなり早い段階から、奴隷制はそうとうな緊張をもたらしていたんですね。



歴史の推進力としての奴隷制というのは、非常に面白い課題だと思いますね。

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