

ダランの住む浜松の公認キャラクター「家康くん」の前は、やっぱり「ウナギイヌ」だったらしい。
先日の話のつづきじゃないけれど、じゃ、大津ならナマズだろうか、ということで、「鯰猫(ナマズネコ)」というのを描いてみたが、はたしてどうだろう・・・?
これは、ネコのお父さんが、東海道を旅していたら、大津でナマズのお母さんと恋に落ち、産まれたもの。ネコなのに、地震を予知できる、ということで、いまや関東でもひっぱりだこ?

ナマズネコ。赤塚先生、ごめんなさい。

そういえば、今年2月。神戸公演の帰り、ダランとダランの学生のKと立ち寄ったのが、大津のSAであった。
正面が琵琶湖。左に見えるのが比叡山か。
歴史の教科書に出てきそうな舞台であった場所を目の前にするとなんとも不思議。
実は、滋賀県は、まだ足を踏み入れたことがない。
まあ、禅とか魚とか恋とか言っているうちにおもいだしたが、岡本かの子のごくごく短い小説に「鯉魚(りぎょ)」という短編がある。

岡本かの子は、ご存知岡本太郎のお母さんである。はじめは歌人として活動していたが、一時精神の病も患ってから、仏教に救いを求めるようになっていった作家である。そのせいで、晩年は、仏教に関連する小説が多い。
話は違うけど、岡本太郎は、破天荒な芸術家の印象がある人が多いとおもうけど、実は、かなりの文才があって、写真などは実に素晴らしい作品群である。これもかの子の血筋だろうか。

岡本かの子。モガだ。



で、この「鯉魚」、物語としては、やはり先日来の臨済禅の寺に「臨川寺」というところがって、「梵鐘は清波を潜って翠巒に響く」という詩境の場所。

臨川寺門(京都)。

周囲を流れる保津川。
室町時代、禅寺ということもあり、食事のときは生飯(さば)という施餓鬼の飯(悪道に苦しむ餓鬼に施すこと)を取分けておき、それを川に投げるという習慣があった。
その担当であった沙弥(出家した修行中の若者)の昭青年は、ある日、川へ行くと、うずくまって倒れている早百合姫という美しい娘に出会う。
娘はもともと細川方の下野守教春(しもつけのかみのりはる)の一人娘であったが、応仁の乱で両親ともはぐれ、何も食べるものがなく、川に身を投げて死のうとも考えていたという境遇。さめざめ泣くばかり。
昭沙弥は、生飯を差し出し、その場は助けるものの、路頭に迷う人の多い時代、修行中の寺で世話するわけにもいかず、やうなく近くの苫屋の船にかくまうことにする。
毎日、飯を運ぶうち、それは十八と十七の青年と乙女。秘密で会ううちに恋が芽生えるのも当然。寺の僧達の間でも、どうも最近昭沙弥の様子がおかしい。魚も寄りつかなくなったという噂が流れる。
あるとき、早百合姫が、とんと行水もしていないので、清らかな川で汗を流したい、寂しいから一緒に入ってほしい、という。
もともと修行の身であり、これは難題。葛藤もあった昭沙弥も躊躇するが・・・、若気の至り、輝くばかりの若い二人の恋。案の定、それを寺の僧達に見つかってしまう。
僧達は、昭沙弥を捕まえ、住持である三要のもとに引き出すが、話を聞いた三要は、「一緒にいたのは確かにおなごか、鯉魚(りぎょ)と間違えたのではないか」といい、「わしは見とらんのでわからんから、これは、昭公と大衆と法戦をして、そのうえで裁くとしよう」ということになった。
自分はいいが、早百合姫まで罪に問われることになってはと必至の昭沙弥。法戦の相手は強者大衆大勢、こちらは一人、もし少しでも問答に詰まったら姫を救うことはできない。
問答の声は次第に高鳴るなかで、昭沙弥は、ただひたすら「鯉魚(りぎょ)」とだけ答えつづける。
「仏子、仏域を穢すときいかに」
「鯉魚」
「そもさんか、出頭、没溺火抗深裏」
「鯉魚」
「ほとんど腐肉蠅を来す」
「鯉魚」
・・・・・・・
これではまったく問答にならないが、昭沙弥の死にものぐるいの迫力は次第に他を圧倒していく。鯉魚、鯉魚と答えているうちに、不思議にも鯉魚という万有の片割れにも天地の全理が宿っていることに気がついていく。逆に大衆は黙っていく・・・。
そこで三要は「昭公がいま別の生涯あるを知ったのは、長い間、生飯を施した鯉魚の功徳の報いだ。」と法戦を終わらせる。
昭青年はこれを機に落髪して僧になり以降、鯉魚庵を開いて、将来名器の噂が高い。一方の早百合姫も道に志のある身となって、舞いの才を発揮して都の名だたる白拍子となって、生涯、鯉魚庵の檀越となった。
以降、間違いがあってはいけないということで、生飯は住持の老体の作務となった。
う~ん、禅機はどこにあるかわからない。
でも、これで僕も誰に何を質問されても怖くない。血液型を訊かれたら「新潟」と答え、答えようのないことを訊かれたら、ひたすら「鯰猫(ねんびょう)」と答えることにしよう。
シュールだ。でも、そこにはきっと、万物の理、生命の不思議、イメージの複合、精神の高揚、禅とナンセンス、いろんな時代のいろんな事情がからみあっている気がしてくる。
裁判ならきっと執行猶予がつくに違いない。(は)