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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■立体画像

2014年11月10日 | 旅のおはなし


そんなこんなで神戸関係の資料の整理をしていたら、しばらく忘れていたが、今年ワヤンの公演で神戸に行ったときのものがいろいろ出てきた。
そういえば、鉄人28号に踏まれた脚を引きずりながら関西の世界的建築家TAさん設計の美術館に寄ってみたのであった。建築は案外つまらなかった。むしろ、展覧会にご贔屓のエルネスト・ネトやツェ・スーメイの作品があったので行く気になったわけだが、そうなら大学でインヴィテーション貰えばよかったが、後悔先に立たず。
ネトの作品はネトらしいながら意外と渋かったが、スーメイの「エコー」という作品はよかった。断崖絶壁の緑地の上でただひたすらチェロを弾いて、そのごだまと合体するというだけの映像なのに、なぜか心惹かれるものがある。30分近く観ていただろうか。映像展示というのは、ストーリー性より、淡々と感覚世界にうったえる方がいいかもね。
で、ま、たまたまそのときに買ったハガキが出てきた。ミュージアムショップでいくつか買い物をしたなかのひとつ。3Dのはがき。特に珍しいものというわけではないが、試しにWEB上で再現してみたが、果たして立体に見えるだろうか。もちろん本物は1枚物ですよ。
神戸の大学は、来年も招いてくれることが決まったそうで、感謝。来年はスタソーマ後編、これで一旦完結です。

で、このときは日曜だったので、美術館の後に中華街で神戸名物豚まんと昼からビールで休憩。そう、関西では、わざわざ豚といわない限りは、肉は全部牛なのである。カレーもカツレツもスキヤキも丼もそう。だから肉まんとは言わず、豚まんという。
この習慣の境界線は、関ヶ原から桑名にかけてのエリアだと以前にタモリが言っていた。それは当たっていて、実は、関西(近畿=都の周囲/畿内=都内)とは、関所で守られていた場所なのだ。その東側の関が不破の関だと言われている。いまの関ヶ原にあった。つまり、それより西が関西でそれより東が関東。だから昔から大きな戦もこの境界領域で行われる。うどんやそば、キツネとタヌキもここで入れ替わる。
当然、関があるということはその行き来は自由でないわけで、文化や慣習も途切れてしまう。一見感覚的にみえる文化の差異にはそれなりの歴史的理由があるというわけだ。
でまあ、ビールでいい加減な状態になりつつ、その後、古本屋と中古CD屋で掘り出し物ゲット。本は3冊も買ってしまった。神田なら7~8千円はしそうなものが1,500円くらい。
わざわざ神戸で買わなくてもとおもうでしょ、ネットもあるし。でもネットにないものもあるし、ここで買ったという記憶も残るんです。「地方へ行ったら古本屋に行け」とは故山口昌男先生の教え。20年近く前、まだ先生がお元気だった頃、ネット販売もろくになかった時代、一緒に門司港に行ったときに街をブラブラ雑談しながら古本屋を覗いたときにそう言われた。先生、いまもそれ、守ってますよ。(は)


エルネスト・ネト 「私たちはあの時ちょうどここで立ち止まった」(2002)


ツェ・スーメイ 「エコー」(2003)




■右並びの不思議

2014年11月07日 | 旅のおはなし


ところで、神戸のエスカレーター、やっぱり右に並んでました。これ、関西の慣例です。郷に入れば郷に従えということでついつい右に並んでしまうけど。
でも、どうしてこうなったか、実はあまり知られていない。
日本はもともと武士の作法(刀を見せない・触れない)以来、左側通行が正式とされた。ちょうど鉄道をイギリスに倣った関係で車も汽車も左側通行。抜く場合は右から抜く。バリも日本と一緒なのでそういう意味では安心。
それに対し、西洋は伝統的に右が多く、エスカレーターも確かに右に並んでいるのを経験したことがある。当然この場合は左から抜く。一説にはナポレオンが左利きだったからそうなったというテレ東的な説も昔からあるが、実際はこれ、馬車と馭者の座り位置と鞭に関係があるらしい。いまの電車の車輪の幅も馬車から来ているというし、案外交通関係は馬車ネタは多い。
ちなみに、飛行機は世界中全部左から乗り降りする。つまり左側通行のならい。これは船の習慣から来ていて、漁船なども含めて船というのは左舷を岸壁につけるのでそうなったようであるが、これにもきっと理由があるはず。トラック競技はなぜ左回りか(心臓の位置関係らしい)とか、右利きと左利きの癖など、最後は人間の身体的理由に帰結するのではないかという気がする。今度調べてみますが。
そしてそれらはきっと、かたちやデザインにも影響している。現代こそ理由のあるかたちは大切、とおもっていますが・・・。
そういえば、映画「タイタニック」は港に停泊する巨大な船のセットを逆向きに作ってしまって、さあたいへん。ほぼできてから気がついたそうだが、仕方ないのでそのまま撮影した、と誰かが言っていた。

で、エスカレーター。関西ももともとは左に並んでいたものを、70年の大坂万博のときに欧米人がたくさん来るから国際標準に合わせよう、という優しい行政指導でそうなったそうである。さすがナショナル・プロジェクト、そこまでやるか。でも、馴れてしまうとそのルーツなんて考えることをしない。すでに関西の人は暗黙の習慣になっている。
ん~、世の中結構そういうことあるね。デズモンド・モリス先生に倣い、今後もいろいろマンウォッチングしてみることにします。でも、やっぱ、なんか変。僕の方が変?(は)

■夜景名所

2014年11月06日 | 旅のおはなし


9ヶ月ぶりに神戸に行った。一通り仕事を終え、ホッと一息、ホテルからの夜景。
でも、この夜景、そんなに感動的? ロマンチックかなぁ? 浜松の14階からの夜景も結構いいけど。
香港とかナポリとか、よく「100万ドルの夜景」とかいうけれど、それは100年前の貨幣価値じゃない? いまでいうなら、1兆円の夜景? でも1兆じゃここまでつくれないから100兆円くらいか。国家予算だね・・・、などと理屈っぽいことを考えながら一服。
さらに理屈っぽくてすみませんが、ついでにいうなら、いろいろ都市はあるのに、函館や長崎などだけがなぜ夜景名所になったか・・・と思考を巡らせてみる。
夜景とは電気の明かりのことである。つまり明治以降の文明開化の名所ということになる。ということは、要は以下の要件を満たした場所ではあるまいか。
1)文明開化=西洋化=近代化をいち早くやった場所
2)都市化が進み、密集した場所
3)眺めのいいフォトジェニックなスポットがある場所
つまり、東京や大坂のような大都市は周囲に高台がない場合が多い。そうなると明治に開港した港(函館・新潟・横浜・神戸・門司+長崎)ということになるが、新潟と横浜は平地が広く高台も密集もないのでバツ。門司は人口が少なく街が小さいのでバツ。残ったのが、函館・神戸、と長崎、ということになる。
もともと天然の良港というのは、平地が少なく山が迫ってそのまま海が深くなっているので良港なのだ。船がつけやすい。なので街には坂が多く平地は狭い。しかも、歴史的に交通の要所だったり、昔から大きな街だったりすれば、人口も多いし、居留地もあればなお都市の近代化は進む。ということで函館・神戸・長崎がまず夜景の名所になった、と推測される。
かつ、異国情緒はロマンチックなイメージを与え、みんながありがたがって夜景を観る、流行歌にもなる、観光客も来る、ということになる。でもね、いまとなっては、東京や大坂の夜景の方がダイナミックよ。ビュースポットたくさんあるし・・・。
バリもね、帰りの飛行機の窓から見ると、昔は真っ暗闇だったけど、最近はデンパサールとかジャラン・ギアニャールとかくっきり明るい。空から街や通りのかたちが見えるようになった。夜景とは違うけど、時代の変遷を感じますね。
ま、いずれにしても国分寺にはあまり関係ない話でした。(は)

■モエレ沼公園

2014年11月04日 | 旅のおはなし


札幌もよく出張に行くが、イサム・ノグチの遺作モエレ沼公園に行ったのは今年が初めて。広島も札幌もイサム・ノグチには何か縁がある。岐阜でも提灯の展覧会を構成したことがあった。
で、この公園、以前にその模型は見たことがあったけれど、現物はともかく広大、壮大、だだっ広い。第二駐車場に車を停めたら、小山を迂回して、目的のピラミッドまで約1.2km。ちょっとしたウォーキング。夏の暑い日だったにもかかわらず、同行した某社女性常務はスーツにハイヒールだった。Tシャツの僕としては見てる方が辛いところ。でまあ、ついついアイスクリームを食べながらのどかに休憩。ああ、北海道なのに・・・これも地球温暖化か。
北海道はこういう公園より、実は森の方がピンと来る。勝手な印象ではあろうが、ニセコ辺りの白樺、トドマツやエドマツやミズナラなどの延々と続く林の方がよく似合う気がする。

とまれ、今年は国際芸術祭初年なのでこのモエレ沼に真鍋大度さんのインスタレーションと坂本龍一さんのフォレスト・シンフォニーを体験しに行ったわけだけど、両方デジタルな世界だけれど、どこかゆる~い感じとキーンとした緊張感のある感覚世界だった。
眞鍋さん(名刺がシールになっていた)は、モエレ沼と市内の大通り公園をつなぎ、それぞれ出した電磁波をさまざまな複雑な線にして見せるというもの。観客が自由に周波数を変えることができるいわゆるインタラクティヴアート。触りまくりました。坂本さん(ご病気が回復しますように)は、樹木から直接測定したパルスを一定のルールで音程に変え、それぞれ音色をつけて「音」にするというもの。そういえばまだ生きていた陸前高田の一本松のパルス測定もしていたけど、今回はなかった。坂本さん主宰の「モアツリー」(世界に樹木を植える運動)の展示もあった。今回のテーマは「都市と自然」ということなので、それを基調とした展示になっているということ。
ま、「見えないものの可聴化」・「聞こえないものの可視化」のかたちとしては貴重な試みですかね。究極は両方波ですし。
そう、すべての電磁波のなかで、目に見えるのは、380~780nm(ナノメーター)の波長のみ。波長が長ければ赤外線、波長が短ければ紫外線になる。聴こえる(可聴域)のは、すべての振動数のなかで一般的に20~2万Hz(ヘルツ)くらいまでとされている。犬は6万Hzくらいまで聴こえるというから、エースが聴いている世界は我々とはまるで違うことになる。自然界には、我々が普段感じない音や電磁波が飛び交っているわけですね。そういえば、ビートルズのサージェント・ペパーのエンディングのブランクには、犬にしか聴こえない音が入っているというから、ビートルズを全部聴いているという人もエースにはかなわないことになる。(は)


■スープカレーと豚丼

2014年10月31日 | 旅のおはなし


北海道の名物というと、最近は豚丼とスープカレーがよく挙げられる。豚丼は十勝と帯広に発祥があるらしい。どうも大正から昭和初期から食べられているらしいが、最近になって話題となってきた。空港はもちろん、東京にも店がある。スープカレーは、NACの大泉洋が東京で広めたのでかなりポピュラーになった。
とはいえ、実は食べたことがなかったのだが、最近両方食べてみた。豚丼は甘辛。カロリー高そう。スープカレーは店によってかなり違うし、具によっても無限のバリエーションという感じ。定番は辛口のチキンと野菜。納豆を入れる人もいる。
今回は、これ。ソフトシェルシュリンプのカレー。ソフトシェルクラブは食べたことあったけど、エビは初めて。見た目は豪快だけど、頭からカリカリ食べられて結構美味。
スープカレーの食べ方は、カレーをごはんにかけるのではなく、ごはんをスプーンに取って、スープ状のカレーに浸して食べるのが正式。聞くところによると、どうもルーツは、スリランカのカレーらしい。そういう店があったんでしょうね。最初はきっとイモくらいしか入っていなかったところに、北海道らしくいろいろ素揚げのトッピングを加えていっていまのかたちになったとおもわれる。食べ馴れてみると意外とまた食べたくなるものです。

それにしても日本人はカレーが好きである。まずは家のカレー(これはインドではなくイギリスがルーツなので小麦を使う)、レストランやホテルのカレー(ぜいたくな素材をふんだんに使ったある意味洋食の粋)、各国のカレー(本格的なものは80年代に広まった)、で、最近はご当地カレー(サザエカレーなどがお薦めだけど)。
かのダランも某カレーショップによく行くという話だったが、最近は浮気して、とんこつラーメンになっているらしい。しかも替え玉2つまで無料の店で替え玉攻撃。ライスはなんとかがまん。いかんですな、カロリー高いし。
まあいいけど、スープカレー、とリあえず、ビールかな・・・、ごめんなさい、昼だけど。午後の仕事はちゃんとやりますから。(は)

■原爆ドーム

2014年10月30日 | 旅のおはなし


ご存知原爆ドーム。原爆は、このドームの150m東、600m上空で爆裂した。中にいた人は全員即死。地表温度は3,000度を越えたという。だから熱死というより、溶けたという方が正しいかもしれない。
この建物は当時物産陳列館として竣工し、後に広島県産業奨励館として左右に両翼を広げたかたちをしていた。チェコ人建築家の設計になっているが、実際は参考にしただけという説もある(数年前、プラハで原型となった建物を見たことがある)。
と、紋切り型の説明を見た後、周囲をぐるっと歩いてみた。ところどころで合掌したり、写真を撮ったり、ガイドの説明を聞いたり、ボッとただ眺めている人がいる。どこかのどかだけどジリ~とする空気。蝉の声。ただ見上げていると、ここはどこ?いまはいつ?・・・またまた暑くなってきた。蝉の声。空からパラパラ何かが降って来る。何だろう。葉っぱか、ちりか、死の灰か。
そのすぐ近くに船着き場があり、宮島まで高速船が出ていて賑わっている。そういえば、ここも日本三景に挙げられる宮島・厳島神社も世界遺産。一つの県で二つ以上の世界遺産があるのは広島だけだそうだが。遺産にもいろいろあるわけで。

バリでも一昨年初の世界遺産が登録されましたね。正式には、「バリ州の文化的景観:バリ・ヒンドゥー教の哲学トリ・ヒタ・カルナを基にした独自の灌漑水利システム・スバックによって維持される水田地域の文化的景観」ということで、バトゥカウ、ペクリサン川流域、バトゥール寺院、バトゥール湖、タマン・アユン寺院がまとめて登録された、んだそうだ。結構長い理由。そういえば中学生の頃、なぜかよく長いものを覚えていた。独禁法は正式には「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」だとか、イギリスの正式名称は「ユナイテッド・キングダム・オブ・グレートブリテン・アンド・ノーザンアイルランド」だとか、そういうくだらないことだが・・・案外忘れないものだ。
で、トリ・ヒタ・カルナ。スタソーマにも出てきますね。みなさん覚えていますか? そう、世界の調和のことです。トリはトライアングル、神と人間、人間と人間、人間と環境、その調和が保たれることで世界は平和に満たされる・・・。「科学は新しいほど自然に近く、教えとは古いほど真理に近い」というが、考えさせられますね。ダランも捨てたもんじゃない。(は)

■平和記念公園2

2014年10月30日 | 旅のおはなし


無事公園ができて間もない1956年、ここで、原子力の平和利用博覧会が開催された。これは、54年の第五福竜丸被爆事件で反核一色になりつつあった日本の世論の向きを変えるため、アイゼンハワーの命令で動いた情報戦略のひとつであることがいまでは判明している。要するに、「反核はまずい、アメリカが悪者になってしまうから、核は人類の豊かな未来に貢献するものだ、もっと核を利用して、核経済を進めよう」と、いいイメージを植え付けたかったということである。
そのせいで、展示資料館の展示物は一旦撤去され、その後も一時、原爆被害から始まり最後は平和利用で希望をもって終わる式に展示内容が変更された。当時はアメリカ人からみると「これではまるで我々は非道な悪者ではないか、我々はこれ以上戦争を引き延ばして犠牲者を出さないために原爆を落としたのだ、そういう展示でよいのか」という一方的な意見さえあったというからそうなったんだろう。いまではそれはなくなり純粋に原爆の悲惨さを示すものに戻っている。
当時、核技術の導入には、アメリカの意向があり、日本ではのちに総理になったN氏とメディア王S氏が中心に推進された。すでにその先の利権が渦巻いている。湯川博士以下の物理学者は、基礎研究こそ大切だと主張したが、原発実践に急いだ経済界とは相容れず、退いている。日本被団協の代表は、第二回原水爆禁止世界大会で平和利用を認めるような発言をしたことを生涯悔いていた。
それにしてもまあ、それを無神経に広島でやってまでそれを周知したかったのだろうか。おかげさまで、60年代から70年の大坂万博までは科学万能の輝ける未来像が何も知らない多くの子供たちを魅了した。いまからおもえば、鉄腕アトムすら怪しいものだ。そういうせいか、なぜかアトムは好きになれなかった。パーマンの方がよほどアナーキーだ。
でもね、いまの広島、タクシーに乗ったりすると、運転手さんは「市長もね、平和もいいけど、儲からないからダメだ」と言っていた。世界もね、イスラム国やガザ地区もあっても、それでも中央線は走ってる(よく止まるけど)、いせやや新中華は繁盛している・・・。理想と目の前の出来事の間で、人は誰しも行ったり来たり。
1956年当時のバリは、50年にインドネシア共和国に編入され、政府の影響下から保守系と共産の対立が激化した頃。サヌールでは魔術対決があり、たしか63年には、そうした人間の行いに対し、アグン山が噴火したと聞いている。そろそろ富士山もやばいんじゃない?(は)

■広島平和記念公園1

2014年10月29日 | 旅のおはなし


広島ネタが多くてすみませんが、今年のお盆頃の夏の暑~い一日も広島にいました。バリとは違う重い暑さの日。朝少し時間があったので、散歩がてら広島平和記念公園に行きました。随分と広島には通ってますが、ここへ来たのは都合3回目。最初は記念館の資料にしばらく立ち直れず。二回目はイサムノグチの橋を見学ついでに休憩。でもそのときは修学旅行生でぐちゃ混み。騒がしい生徒と眠そうでやる気なさそうな生徒の二極状態。そういえば、ボランティアで原爆の説明をしているお爺さんガイドに、生徒が「うざい」と言って問題になりましたね。でもね、生徒諸君、後でこの公園体験が効いてくるのよ、日本人としては。
そして今回は、少し時間があったので、ぐるっと一周。慰霊碑の前で合掌。今回は夏休みのせいか学生は少なく、子供連れ、カップル、観光客。なかでも欧米人が多いのに驚いた。4割くらいがそうだった気がする。いまや広島はhiroshimaなのです。みんなが平和を願うなら、いいことです。
そもそもこの公園、イサムノグチの計画案が採用の予定でしたが、たった一人の議員が「アメリカの血が入っている人間の設計はそぐわない」とわけのわからないことを言い出して、日本人建築家KT案が採用になったもの。それはそれでいまのものも昭和の名作のひとつにはなりましたが、政治、感情、体面・・・のためにいつも芸術は虐げられるのです。
「原爆の子の像」のところでは、夏休みで帰省でもしてたんでしょうか、おばあさんがお孫さんにこの像の説明をしていました。2才で被爆して12才で白血病で亡くなった子供の同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子供たちのために」と全国に呼びかけできた慰霊碑です。最後は世界中から支援が集まりできた。内側には湯川秀樹博士から寄贈の銅鐸がありました。
米国のすべてが悪いわけではないけれど、やっぱり単純に好きにはなれない何かがありますね。とりあえず、コーラとあそこのハンバーガーは食べないことにしています。トゥムラワとナシヨンレンじゃなくて、ナシゴレン食べればいいでしょ。
ともかく暑い。原爆当日も暑かったでしょう。頭がくらくらする。咽せる・・・。(は)


■空飛ぶイクラと浜松祭り

2014年10月26日 | 旅のおはなし


北海道といえば、カニ、うに、いくら、ほっけ、ししゃもなどの海産物のほか、ジンギスカンや畜産物。本当はジャガイモやトウモロコシやトマトなどの穀物や野菜の方が豊富でおいしいんですが。ところで、たまに行く羅臼の漁師が始めたという店は羅臼から直接入れる良質な素材を安く提供している。数年前、初めて行った頃はまだ予約なしでも入れたが、いまでは予約なしでは到底入れない人気店になった、らしい。
定番の締めは、いくら丼です。これ、ご飯の上にお玉でこぼれる直前までいくらをかけてくれる。一玉かけるごとに「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声を景気良く出す。リズムはまるで浜松祭りと一緒。頭のなかは浜松のイメージで、視覚からは北海道。これ、実は結構変な感覚です。掛け声よろしく、かなり勢いよくお玉を回すので、あまり早すぎて、いくらが空を飛んでいるような写真が撮れてしまいました。なんだか不思議。

でも、この呪文のようなヨイショという言葉はどこから来たんでしょうね。たぶん、語源は不明でも、全国で使われているということは、リズムが日本人に合うんでしょうかね。息を合わせやすいというか。共同作業の一体感というか、そいうことに都合がいいわけです。最近の若者はゲームのせいで無呼吸が多いそうですが、呼吸しないと息も合わせられないし、共同作業もできないということになります。グンデルも息を合わせること、という境地に行くにはどう呼吸すればいいか・・・。そう考えているといくら丼も喉を通りません。(は)


■サロン・ド・アルジュナ

2014年10月15日 | 旅のおはなし

先週また広島に行ってきた。そろそろカキのシーズン。よくカキであたった人はカキを食べないというが、私は例外である。ただ最近は焼きガキの方が好きで、生はあまり食べない。ちなみにホテルはカキを絶対出さないし、ホテルマンはカキ禁止である。理由はいつか必ずアタルから。そうなったら営業もままならないわけで。
ともあれ、カキを食べるときは、街に出る。広島一の歓楽街、「流れ川通り」。昼間はし~んとして1軒の店も空いてないのに、夜になるとどこからともなくやってきたたくさんのおっさんたちでいきなり賑わう街である。その「流れ川通り」にこの看板が長らくかけられている。周囲には、風俗系斡旋所などがたくさんあり(僕には関係ないけれど)、けっして健康的な街ではないが、健康な人が健康でない街で健康のために癒されたい?ともかくそういう人の夜な夜な集う場所である。
東京の人にとって広島は、映画の影響で、どうも「仁義なき」街のような印象をもっている人が多いが、この辺はかつては実際そういう関係の人たちが多くいた街でもある。
「この店ね、映画で金子信雄さんがやった役のモデルになった人がよく来てたんよ」的な話はよく聞く。
「へえ、怖いっすね」
「怖くはないよ、怒らせなきゃ」
「・・・・・」とつい周りを見回してしまう。

アルジュナの店、どんな店かはわからない。きっとパラダイスな店なんだろう。
某ダランに言わせると、このアルジュナはバリの北の方の特徴がある、という話。そんな専門的な見方をする人は広島にはいないだろうが、それにしても、ワヤンの人形、アルジュナを採用したところがただ者ではない。(H)