goo blog サービス終了のお知らせ 

 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■神戸の御礼あるいは冬のモエレ沼とお尻の深い関係

2015年02月02日 | 旅のおはなし
先週末、神戸公演ではたくさんの方に来ていただき、ありがとうございました。
ジャワ舞踊もあり、とってもいい雰囲気の会になりました。関係のみなさん、重ねて感謝です。
大坂関係の方もありがとうございました。いま話題の「りんご汁」、とてもおいしかったです。元気が出ますね。




そんな神戸には札幌経由で入った。
今年初の札幌は、極寒の雪の世界だった。
たまたま、友人の展覧会を観にまたもやモエレ沼公園に行った際、少し時間があったので、一緒に行った作家の人が、公園にある雪の山に登りたいと言い出した。
え?雪の中、登るの?・・・足腰に自身がないし、登山なんて明日香の甘樫丘、以来だ。え?それって登山?と言われそうだけど、山は山。
そこにちょうど、ソリのレンタル200円の案内が・・・。じゃ、ソリで頂上から滑ろう、という事態になってしまい、それがこれ。
小さく黒い点のようなものが私です。なんとも25年くらいぶりの滑り、でした。
でも、案外気持ち良かった。これを公演前にメンバーの「こ」ちゃんに見せたら、思いっきりテンション上がります、という回答。そう、ワヤンは一見無駄なテンションが大切なのでした。おかげで、公演もスムーズに。

ソリのコツは、お尻の位置。やや後ろ目にしてバランスを取るのがスムーズな滑りにつながる。そんなことは子供の頃に覚えたが、案外、いまでも忘れないものだ。


札幌まで来てお尻といえば、そう、以前にも紹介したススキノのお尻ガールズバー(まだ行ってないけど)。
健在は健在だったけど、さらに驚いたのは、この店の広告。きっとお尻フェチのオーナーに違いない。
普通のススキノの店は、実際の本人以上の顔写真を載せて、行ってみたら、どこにいるの写真の人は?となってしまうような虚偽ギリギリの広告が一般的だが、この店は、スタッフ全員のお尻があいさつ代わり。お尻の下に、源氏名がそれぞれアルファベットでついている。
へえ、やっぱ話題の店は違うね。お尻も顔ほどに個性をもつ。生物種としての多様性も必要だ。
そうよね、猿だって、発情期は赤いお尻でアピールするわけだし、お尻を隠してしまった文明人たちは、いったい何を持って発情するのだろうか・・・。そこが哲学的お尻の問題だ。
結局、ウインタースポーツもナイトライフもお尻が重要な北の国でした。
でも、ま、こういうネタは、相変わらずメンバーの「こ」ちゃんにはウケが悪い。少し社会免疫の教育が必要だ。(は)






   
   モエレ沼の山を下から見る。すでに数本のシュプール・・・。いい天気でした。

   
   上から見るとこんな感じ。結構急な斜面です。


   

   
   展示はこんな感じ。

   
   モエレ沼のガラスのピラミッドの頂点から垂線を下ろすと、床に小さなガラスの窓がある。
   その窓を垂直に覗くとこれ。
   下に見える作品は、イサムノグチの「世界の中心」という作品だそうです。

■じろえむ

2015年01月22日 | 旅のおはなし


今週、出張で南房総に行った際、地元でも知る人ぞ知るという古民家レストランでランチを食べた。
店名は「じろえむ」という。見た目通り、山奥にあるド民家である。不定休。「じろえむ」とは屋号で、もともとは初代稲葉次郎右衛門から来ているらしい。次郎右衛門どんは、黒潮に乗って紀州から渡って来たという説と南総里見氏の家来という2つの説があるそうだ。

屋号ね。そういえば、うちの実家は「さんじろん」という屋号だった。たぶん初代が三次郎とかいったのだろう。そういう名前ならきっと末っ子の農民だろう。本家でなくてよかった。
近所には、「こうちょろろん」とか「とおのじろん」とか「こうやろん」とか、不可解な屋号がたくさんあった。そう、昔からある家には全部屋号がついていて、僕の親くらいまではみんなそれで呼んでいた。呼んでいたということは、まだ共同体があった、ということだ。
それに、家の人の出来事は個人名で言われることはほとんどない。「こうやろん」は今日は何々してたとか、「とおのじろん」はどこの大学受かったとか、個人の問題もすべて家単位なのだ。
その点、バリはどうだろう・・・? 今度、ダランに聞いてみよう。

ともあれ、この古民家、築300年、実際そこに家族が住んでいる。それから、裏に1,000羽の鶏を「平飼い」といって鶏舎のなかで自由に動き回れるようにして育てている。えさは薬品処理や抗生物質等は一切使用しない有精卵だそうである。毎日800個の卵を産むという。
そりゃたいへんだ。平飼いで800個を回収するだけでもたいへんそうなのに、一日休んだら、1600個を回収しなければならない。もし、一週間バリに行っていたら、5,600個の回収だ。




で、肝心のランチは、百姓屋敷を標榜しているだけあって、いたって田舎料理。一日3組しかとらないうえ、中身は毎日違うそうだ。
実際には、写真のほか、みそ汁、芋と野沢菜の煮炊き、もう卵を産めなくなった鶏のつくね(残酷なようだが無駄がない日本の伝統だ)、山菜のてんぷらに、黒米の餅がついた。要望すれば、TKGが付く(ちなみにTKGとはたまごかけごはんのことですが)。ごはんはもちろん薪の釜炊きの炊きたて。お櫃の布巾にはなぜかバティック(意外といい感じ)。
醤油と砂糖と塩以外は味噌も含めすべて自家製、当然手作り。ご主人自らが運んで来る。

ま、田舎料理というのは、これで十分豪華なもので、先日のイザベラ・バードではないけれど、基本は漬け物や野菜であって、たまご以外のタンパク質にありつけることは滅多にない。魚か鶏肉があれば、超豪華、ということだ。で、ほとんどすべてごはんが進むようにできている。
僕はセーブしてたが、それでもおなかいっぱい。一緒に行った人は、三膳食べていた。気持ちはわかる。
いまの時代ように、何がメインディッシュとか言っている場合ではない。おかずはおかず。メインはごはん。ホントはそれでいいのかも。(は)


■日本奥地紀行(1)

2015年01月08日 | 旅のおはなし


イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読んでみた。なかなか手がつけられなかった本であったが、何度も北海道に行きながら、少しもアイヌを知らなかったので読む気になった。本来は東洋文庫を読むべきなんだろうけど、ま、安易に短縮版にしてみた。が、実に面白かった。
年末にダランの大学のK学長とお会いした際にも偶然にもこの本の話になり、貴重な史料として高い評価をされていた。そういえば学長、新春のNHKで京都の懐石の解析してましたね。

イザベラは、旅行というより探検に近い一人旅で世界を巡り、明治11年に日本を訪れたイギリスの女性である。京都や箱根など欧米人が行きそうなところはトント興味がない。彼女はあえて東北と北海道の誰も行かないような田舎に分け入った。この本は、その行程を日記風にして妹に宛てた手紙をまとめて出版されたものである。
それがまあ、日記というよりラフなフィールドワークに近い。その分、描写はリアルで瑞々しい。と、スケッチがべらぼうにうまい。教科書に出て来るような政治や大都市の話ではなく、知ってそうで全然知らなかった明治の日本のある姿を映し出している。日本の田舎というのはこんなだったんだ、と改めておもう。

行程は、横浜をスタートし、日光(金谷さんも登場)、会津、新潟、山形、秋田、津軽を通って、北海道へとつづく。できるだけ大きな街道は通らず、あえて山道や西洋人の記録にない道を選んで進む。その分苦労はするが、これが彼女のやり方だろう。
同行するのは、通訳兼下働きの伊藤という青年。支払いをピンハネするし、価値観の違うことにはすぐに反発もするが、不満があっても、言われたことはきちんとすべて無難にこなす名傍役?でもある。

で、この旅、まず、どこへ行っても悩まされるのは、蚤と蚊である。彼女が旅をしたのが夏の時期ということもあり、湿気とともに、それらはどこへ行っても大量に存在し、どこへ行っても家じゅう蚤と蚊地獄のごとき描写である。
だから専用のハンモックのようなものを携帯していて、なんとかそこに寝るのである。彼女の手足は、相当に腫れ上がっていたものとおもわれる。
また、描写されている山間の日本人は、ほとんど貧しく裸同然で、ひどい皮膚病に悩まされいる。彼女に言わせれば、その原因は、風呂に入らないことと着替えをしないこと、らしい。と、当時の日本人男性は、みな痩せていて胸が窪んでいたようである。そういえば、昭和でもおじさんたちのなかにはそういう人がたくさんいた気がする。
食べ物といえば、きゅうりと漬け物、たまに卵や塩漬けの魚が手に入ればかなり運がいい。宿や家によってはご飯は質が悪く食べれたものではないそうだ。

もうひとつ共通点は、どこの村でも子供をこれほど大切にする民族はいない、ということだ。子供たちはどんな田舎でも、礼儀正しく、大人しいそうで、5歳にもなれば弟や妹を背負ってあやしているという。相変わらず皮膚は無惨な状態らしいが、躾や礼節、勤勉かつ教育の高さに驚いていた。
そういえば、いまでも日本は子供中心の考え方がある。子供のいる家はどこも子供空間になっているし、親子連れの行くレストランやショッピングセンターなども子供向けにできている。女性は母親になった瞬間から、名前で呼ばれることはなくなり、何々ちゃんのお母さんとかいうし、夫からもおかあさんと呼ばれてしまう。
昔は、子供も子供でがんばって背伸びをし、早く大人になろうしていたが、高度成長期以降豊かになった日本人は、できるだけ大人になる時期を遅らせようとする。池波正太郎に言わせれば「ヤング」という言葉が出て来たときに卒倒しそうになったそうである。子供という概念と社会的な扱い方は、もちろん民族的な文化は前提としても、再考する余地があるのかもしれない。

でまあ、それから、彼女が神経を減らしたのは、どの村でも家でもプライベートという概念はなく、壁越しに、または障子の穴から始終覗かれ通しということ。おそらく東北の人にとっては、西洋人、とくに女性は見たこともなかった珍客で、一生の自慢話にしたいところだったことだろう。
そうやって調教のない駄馬に振り落とされても、長雨に苦労しようと、疲労困憊して濁流を渡っても、彼女が見た東北の山々や里の自然の清々しい美しさは、「荒んだ心に一輪の花をさかせる清涼飲料のようなもの」だ。彼女自身も含めて心打たれるものがある。
それと、大きな町、新潟や庄内は、えらく豊かできちんとしていたということ。明治10年頃の日本の地方は貧しかったと教わったが、実際はそうでもなかったらしい。

で、いよいよ北海道へ。アイヌの里、村、家は、最も独自で、想像以上にリアルに書かれている。そう、アイヌというのは、文字を持たなかったせいで、かつての詳細な記述はどこにもないのである。だからアイヌ関係の資料というのは、和人側からの記述がほとんどらしい。そういう意味で、ここに書かれていることは中立的でリアルなのである。
その内容はまた次回。(は)


■県美と聖堂

2014年12月24日 | 旅のおはなし
今年最後の広島。運良く数時間の余裕ができたので、冬戯れた気候ではあったけど、県立美術館と前から一度行きたかった村野藤吾設計の世界平和記念聖堂に行ってみた。



県美はちょうど日本を代表するインダストリアルデザイナーK.E.さんの展覧会とマツダのカーデザインの展示をやっていた。KEさんの両親は福山出身のため、広島とは縁が深いらしい。お父さんが坊さんで、一時は跡を継ぐことも考えていたらしい。
芸大の学生の頃、担当教授だった小池岩太郎のもとでGKを発足したので、それ以来工業デザインの道を突き進んむことになる。GKとはGroup of Koikeの略である。最も有名なのは、キッコーマンの卓上しょうゆ瓶だろう。ヤマハの仕事はたくさんしていた。夢のある仕事もたくさんあった。
だけど、会場でビデオインタビューが流れていたが、相変わらず何を言っているんだかさっぱりわからない。万事説得力がないのだ。

ともあれ、最後のブースは、道具曼荼羅というやや無理のあるステージがあって、でも、そのアプローチは手間ひまかかっていた。たぶんどこかの学生がつくったのだろう。両端が蓮池のイミテーションで、真ん中の延段が凝っていて、歩くと足跡がLEDで光る仕組みである。時々腕型のマシーンがゴングを叩いて場内に響き渡っていた。


全自動腕振り型ゴングマシーン。




それから、マツダのモデリングカーは初めて観た。これ、フルサイズクレイモデル。つまり粘土でつくったもの。削り出すのはたいへんね。
でも、最近の日本の自動車メーカーのデザインではマツダが一番いい、と感じています。みなさん、がんばってくださ~い。ついでに、水素カーもお願いしますね~。
水素カーには実は2種類あって、トヨタやホンダが発表しているタイプは、水素を原料として発電して走る電気自動車で、マツダが取り組んでいたのは、ガソリンに代えて水素そのものを燃料として水を出して走る車である。水素がなくなったらガソリンでも走る。これがホントの水素カー、だとおもうけど。
石油業界は世界中いろいろ圧力もあって、容易に物事進まないらしい・・・。





で、いよいよ村野藤吾センセー作の聖堂。モダンデザインというには装飾的だけど、先生にしては地味で厳かな空間。もうすぐクリスマス。世間ではノーベル賞の青色LEDの電飾で華やかに埋め尽くされているが、ここはそういうものとは無縁のようだ。
入った途端、いきなりパイプオルガンの賛美歌が鳴りだした。えっ、なぜ?・・・劇的過ぎる。まるで何かに導かれたような神聖な感じ。どうもちょうどミサの練習を始めたところらしかった。パイプオルガンは広島ではここしかないらしい。
この教会自体は明治からあるらしいが、1945年8月6日の原爆で焼失してしまい、これを期に原爆犠牲者を弔うことと世界平和を祈念するために聖堂が建てられることになったんだそうである。だからいまは正式名称を「世界平和記念聖堂」という。1950年8月6日に着工し、4年後の8月6日に竣工するという離れ業を成し遂げたことでも知られている。
カソリックなので、再婚の結婚式はやらないそうだ。厳密だね。

1981年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が来日した際、ここを訪れ、スピーチをしたそうである。
 戦争は人間のしわざです。
 戦争は人間の生命の破壊です。
 戦争は死です。
 過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです。
 ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。
 ヒロシマを考えることは、平和に対して責任をとることです。

明日はクリスマス。毎年、ここのミサには平和を祈って多くの人が集まるらしい。(は)

■小樽と余市

2014年12月12日 | 旅のおはなし


札幌から車で30分ほどで小樽に着く。その日はオフということで、小樽と余市に寄ってみた。
小樽は運河とレンガ倉庫街、あと寿司が有名だが、今回はご贔屓の山の上のパン屋さんエグヴィヴに寄ってみた。
このお店、ご夫婦二人で切り盛りしていて、無口なご主人がパンを焼き、奥さんが子育てと店番とパッケージやディスプレイのデザインをやっている。店の看板も奥さんの手書き。う~、センスがいいとはこういう人のことをいうんですね、きっと。
奥さんは偶然にも昔、うちのかみさんが蜜蝋のつくり方を教えて以来の仲。パンがまた絶品。札幌近郊の人でこのパン屋を知らない人はいないらしい。
それにしても、パン屋のご主人というのは、どうしてそう無口なんでしょうね?
店は、山沿いの崖っぷちに建っている一軒家。写真のような眼下に日本海を臨む眺めのいい場所。実に気持ちがいい。素晴らしいライフスタイルの人たちです。


エグヴィヴのアプローチ


店のサイン




その後、余市のニッカ工場に寄った。えらい人の数。さずがは朝ドラの効果はてきめん。
工場の一部は実際稼働していて、ウイスキーをつくっている。その他、ウイスキーに関する歴史や装置の展示があったり、マッサンとリタが実際に暮らした家も保存され、公開されている。最後は、ウイスキーの試飲とお土産コーナーで終了、というお決まりのコース。ま、それだけです。
途中、札幌オリンピックで活躍した笠谷幸雄の大きな壁面写真が印象的だった。そういえば、笠谷はニッカでしたね。

ニッカはもともと、故あって、マッサンが起こした大日本果汁というジュースの製造販売の社名から来ている。頭の音を取って、ニッカウヰスキーというわけである。展示された資料をみると、摂津酒造(現宝酒造)、寿屋(現サントリー)、ニッカウヰスキーと理想のウイスキーづくりを目指して奮闘した人生だったようですね。大株主が株の散逸を懸念してアサヒビールに一括譲渡したため、いまではアサヒビールの傘下になっていますが。

僕も80年代以降、家ではずっとニッカです。店で飲むときはほとんどショットですが、唯一、浜松のバー14階でボトルキープしています。


右に見えるのが、マッサンとリタの家


蒸留中




ま、それより、近くの道の駅で売っていた近隣のダチョウ牧場産ダチョウの卵を発見。大きい。鶏の卵30個分だそうです。隣に小さく写っているのが、鶏の卵。これ、目玉焼きにしたら、食べきれないね。
それなら、もし、恐竜の卵があったら、きっとダチョウの卵100個分とかいうんだろうな。ということは、鶏の卵300個分。ウズラなら1500個分だ。上には上があるものです。(は)

■つららの朝

2014年12月08日 | 旅のおはなし


土曜に渋谷でワヤンを終えてから打上もパスして北へ向かう夜航便で札幌へ。千歳はマイナス7度、寒い。飛行機も電車も空いている。身体はまだワヤンの興奮状態で環境は極寒の大地。夢とうつつの重なり合い。なんともアンバランス。
無い物ねだりで、こういう終わった日こそなぜかグンデルを練習したくなる。おかしなものである。しょうがないので録音を聴きながら車窓を過ぎ行く北の町の薄暗い灯りをひとり、ボーっと眺めてみる。今年何回ワヤンあっただろう・・・今年何回札幌に来ただろう。
今晩はどうせみんなはモツ鍋食って盛り上がっているわけだから、僕も好きなものを食ってしまおう、と、ひとり夜食。それもいいような、でもトホホである。

翌朝、カーテンを開けると一面の雪化粧。昨晩は降っていなかったのに、いつの間にか10cmほどの雪が積もっていた。しんしんとした静かな早朝は気持ちが張る。
朝食を摂りにレストランへ行くと、その中庭にあったのが、この「氷柱」。2m近くあるとおもう。
「つらら」とは、つらつら、つくづく、コツコツとよくよく辛抱強く重ねることから来ていると昔聞いたことがある。それにしても、こんな大きなものは久々に見た。約3日間の所業らしい。やっぱり冬だ。寒いね。
今日は冬の茶会。でもまだなんだか昨日のワヤンからの環境の変化にまるでついていけないけど・・・。今日もいろんな人と会うんだろうな・・・。ま、仕事、仕事。

みなさん、お疲れさまでした。また来てくださった方には感謝。
光塾が終わると、もう本格的な冬の到来ですね。(は)




なんと、これ幻のサケ「鮭児」。時シラズは何度か食べたがこれは初めて食べた。美味。
この季節、網走・知床周辺で採れる特殊な若い鮭で、1万匹に1匹しかいないそうです。北海道ならでは、か。
写真ないけど、その他、真だち(白子)とか、雄の本ししゃもなど日本酒で。これがいい。


茶会は最後にスタッフがみんなでお菓子とお茶をいただく。
今回は、クリスマスツリ-風金団と、札幌ではほとんど手に入らないらしい、めじかみたいな旭川銘菓(名前は失念)。
食べ物ネタが多くてすみません。カロリー控えますね。

■上海蟹(上海4)

2014年11月21日 | 旅のおはなし


この時期、上海といれば、これ。そう、上海蟹。
名前は上海蟹とはいうけれど、実際は、上海から100kmほど内陸に入った蘇州の陽澄湖に生息しているものをいう。以前に一度だけ行ったことがある。あまりきれいな水だった記憶がないが・・・。
もちろんいまではいろんなところにいるらしいが、陽澄湖産が正式上海蟹、ということである。ま、関サバのようなもので、捕れた場所がブランドということだろう。
そのため、陽澄湖の蟹は、小さいうちに爪にメダルのようなものをはめ、正統性の保証をしているらしい。中国ですからね、偽上海蟹はたくさんいて、観光客相手に高値で売られている、という話しでした。
ここは上海の下町の老舗。絶対信用できる、のだそうだ。

ブログにはいつも、バリかガムランかワヤンやグループ関係のこととかダランのことなどを絡めるという縛りを自らに課していたが、今回はどうしても関連あることにつながらない・・・国分寺の新中華のメニューにあったかなぁ?
それにしても、睨みのきいた顔。目がロンパリなのは、もしかして睨みではなく、見得をきっているのだろうか・・・。ああ、そんなことを考えだすとなんとも食べにくい・・・、無益な殺生はいけないが、生命というのは他の生命をいただくことでしか生きれない絶対的宿命がある。それに、これはすでに殺生済み。スタソーマさま、すみません。
ということで、縛りクリア・・・?

そういえば日本を出る前に、かみさんから「いま、季節だからといって上海蟹とか食べないでね。貝と蟹ミソは毒素が凝縮しているからね」と言われていたが、まあ、出されたものはしょうがない。相手にも悪いし。今日はたっぷり仕事したし。
食べ方を教わったところ、しごく簡単に身がとれる。裏技はまた今度。ここは念には念を入れて、ビールではなく、8年物の紹興酒で消毒しつつ、酢醤油のようなものをつけて、試食。う~ん、やっぱり濃厚、でした。

というわけで、今日は上海4連発にしたけれど、ここでまたしばらくブログはお休み。
再来週、光塾でお会いしましょう。では、再会(サイチェン)。(は)


店は庶民的な下町風の街にあった。

■高い!(上海3)

2014年11月21日 | 旅のおはなし


で、今回の投宿は、この浦東のグランドハイアットだった。720×号室とあったので何も考えず7階に行こうとしたら、ボタンがない・・・そう、72階でした。NYのエンパイアステートビル86階には行ったことがあったが、泊まったというならこれが最上高になる。なんだか地に足がつかない。当たり前か。と、まあ、当然外気も直接は入らないので、眺めは開放的だけど密閉感はある。
とりあえず、なんとかは高いところに上りたがるというので、最上階のバーに行ってみたが、チャージが3,000円といわれたので、なにげなく、眺めだけちょっとみに来ただけだから、ふ~ん、そう、などとごまかして部屋に戻る。
朝食を食べにいったら、5,000円也。げっ、とおもい、ルームサービスをみると、チャーハン2,500円。ミニバーは見る気もしない。建物も高いけど、すべてが高い、のでした。ま、当たり前だけど。
でも、こういうの、どうなんでしょうね。アジアだし。人間の手で物資を持ち上げている山小屋とか、白馬山荘だってこんなにしない。

天空の城はいずれ夢に終わる。人間は地を離れて生きることはできない、と宮崎駿は言った。部屋からの眺めも、いいような、もう馴れてきたような・・・。
昭和50年代の名建築、増沢恂や清家清の実験的住宅は縁の下すら造らなかった。地面とほぼ同レベル。外部からの風が抜け、庭との一体感をつくるためである。
眺めといっても高いだけが価値ではない。これだったら、神戸はともかくいまや浜松の14階の方がよほど落着くね。もっというなら、我が家からの眺めも捨てたもんじゃない。5階だけど。
メーテルリンクは正しかった、のかもね。(は)


部屋からのビュー。下の方で朝モヤが出ていた。

■三つの塔(上海2)

2014年11月21日 | 旅のおはなし


上海の浦東(プードン)地区は、90年代以降開発された新しい金融ビジネス街である。そこの象徴になっているのが、TV塔とこの三つの超高層ビル。
ともかくよくつくるね。一時期、近未来のビジョンとかいわれていたけれど、もうそれが現実になっている。人間の馴れとか感覚もおそろしいものだ。

で、写真右が最初に建てられたビジネスセンターで、上階がグランドハイアットホテルになっている。できた当初は話題騒然。このアールデコのようなロボットのような凝ったデザインが近未来の象徴であった。
それを高さで抜いたのが左の「上海金融中心」、英語でいえば、シャンハイ・ファイナンシャル・センター(カタカナだけど)、これが日本のMビルである。世界の金融を舞台に金が金を生む式のビジネスで大儲けしている人たちが入っている。上部の四角い穴の部分は展望スペースで、計画当初は円であったが(かつて日本で模型をみたことがあった)、それが日本を感じさせるという理由で四角になった。この日はたまたま晴れていたが、一年でどれくらいモヤのない日があるんだろう・・・。地元では「开瓶器」、つまり栓抜きというあだ名がついているが、むしろ、スケールアウトした超巨大な千歳飴の袋のようだ。
そして、さらにその高さを抜いたのが、中央のビル。まだ建設中だが、すでにMビルを上回った高さになっている。このビル、スパイラル状にフォルムが捻られているので、見る角度によってやや形状が違う。何かミミズ系の動物だか植物が背伸びしているようなかたち。スカイツリーもそういう設計になっているが、こういうのもデコンの延長というのだろうか。コールハウスの影響はこんなところまで来ているのか。で、まあ、基礎のフーチングだけで30mの厚さがあるという。へえ、そうね、よく倒れないよね。

これがもしバリだったら、これを上回る巨大なヤシの木が必要である。幹の太さはたぶん直径100mくらいになるのではないだろうか・・・。(は)


浦東の遊歩道から。中央のタワーがTV塔。東方明珠電視塔というらしい。


近隣の建物から三つのビルをみる。


左の川沿い、奥の方が外灘(ワイタン)バンドエリア。19世紀から20世紀前半の金融・ビジネス街。

■共産主義か資本主義か(上海1)

2014年11月20日 | 旅のおはなし


1年ぶりに上海。また風景が変わるようなビルがいくつか建っていた。日系企業が少し撤退したり、不動産投資のブームは過ぎたようだが、相変わらず景気は上々という雰囲気。

夕食前の空いた時間に、「新天地」に案内された。以前に来たときより南側のエリアがまた増築され、店舗や施設がさらに広がりつつある。
ここはかつてのフランス租界の一部だった場所で、往時のシャレた建物がそのまま残っているところを改装して、雰囲気のあるレストランやバーやショップが集積している。内装やデザインもしっかり造り込んだ格好のデートスポットを提供していて、上海人カップル、観光客、欧米人が多い人気エリアである。なので、それなりに何でも高い。
上海は、女性優位というか、女性尊重の習慣があって、男は、デートではすべて提供しなければならないし、プレゼントも豪華、いつもこうゆう場所に連れて来れるような人でないとモテないのである。
また、プロポーズする際には、事前に家を持っていることが常識だそうだ。かつては結婚してからも男性が食事を用意し、家事の多くをやっていたそうで、いつも優しくしていないと嫁は来ない。だからいまでも富裕層は、キッチンはあるけれど、けっして奥様は食事を作ったりという手の汚れる作業はしない。そうお飾りの高級輸入キッチンだったりする。本当のキッチンはその奥にあって、そういうのはすべてお手伝いさんがやるのである。お手伝いさんだって女性だけれど、そういう人はたいがい田舎から出てきた人だったりする。
階級社会ではないけれど、経済的には階層ははっきり分かれている。中国はお金持ちになることがすべての価値観の上にある。ともかくいかにしたら儲かるか、ほぼそれしか考えていない人が多い。上海のような沿岸部の都市と内陸部の農村の経済格差は10倍以上。沖縄のタクシーは安い、とか喜んでいる場合ではない。
あれ、共産主義ってそういうこと? 大いなる矛盾と現実主義、これもアジアの虎の実態。そういうお金持ちになるような知識人も「菜根潭」くらいは読んだ経験はあるだろうが、哲学と現実は違う、ということだろう。
やっぱ、我々のワヤングループのように老若男女の差なく、富は均等分配しないとね。富って何だっけ?
そう、幸福とは何か。ずっと関心の向かなかったことに最近少し気になることが出始めている・・・。

で、実はこの新天地の隣の建物(写真右側/左側は新天地の入口の門)は、1921年に記念すべき第一回共産党大会が開かれた歴史建造物である。毛沢東も演説した。つまりここで中国共産党は産声をあげたのである。
なのでここ、新天地といういまや資本主義というか自由主義経済のひとつの現れのような場所と、共産主義の歴史的メモリアルな場所が隣り合っている、ということになる。
いま、日々、知ってか知らずか、そうしたことに無関心に、色とりどりの洋服に着飾った上海の若者たちや観光客がロマンチックな夜を行き交っている。(は)