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ナガサキ

2010-05-01 | Weblog
先日、長崎行きの話が決まってブックオフのオンラインで
ナガサキ関連の古本を数冊購入しました。
気になった文章があったので、引用します。

岩波ジュニア新書「広島長崎 修学旅行案内」
松元 寛著より

三章 「ナガサキへの旅」から林京子作『祭りの場』引用部分より

そして作品の最後は、その年の10月の「一月おくれの第二学期」の
「追悼会から始まった」「始業式」のつぎのような描写と短い後日譚とで結ばれています。

…医師は無理だと出席を止めたが、私は何としても出席したかった。母につきそわれ追悼会に出た。式場は講堂である。屋根に大穴の開いた講堂である。天井裏の鉄骨がむき出しになり、秋晴れの空が見える。さわやかな秋風が吹きこんでくる。
 崩れた天井板にシャンデリアがさがり、乳白色の飾り玉が風に鳴る。舞台正面の壁に被爆死した先生、生徒の氏名がはってある。びっしり書いた氏名は舞台の隅から隅まで伸び、それが五段ある。一段の巻き紙に何十名書いてあるのか。
お供え物が白布の台にある。庭で実ったゴマ柿、季節はずれの青いいちじく、青いみかん、そしてさつま芋。花は野のコスモスだけの粗末な祭壇。


生き残りの生徒が椅子に坐る。生徒の半数が坊主頭である。それがセーラー服を着て坐る。華やかな黒髪であるべき少女達の頭は、まるで尼さまだ。尼さまの頭はまだいい。生気がある。少女たちの頭はしなびてなえている。生徒が中央に坐り両側に教師と、被爆死した生徒の父親と母親が坐る。
読経が始まった。こぶしを強くにぎった校長が瞑目して身じろぎもしない。モンペ姿の母親が耐えられず、泣き伏した。父親は一様に天井を睨んでいる。
生き残った生徒は、生き残ったのが申し訳ない。母親の嗚咽は私たちの身を刺した。
担任教師が教え子の氏名を呼ぶ。惜しみながら呼ぶ。
講堂には線香の煙がたちこめていた。秋風が吹き込み煙を乱す。
生き残った生徒は爆死した友だちのために、追悼歌をうたった。追悼会に列席した生徒の幾人か、その後死亡した。結婚し子供を生み、ある朝突然原爆症で死んだ友人もいる。私は時々追悼歌を口ずさむ。学徒らの青春の追悼歌である。

春の花 秋の紅葉年ごとに またも匂うべし。みまかりし人はいずこ 呼べど呼べど
再びかえらず。あわれあわれ 我が師よ 我が友 聞けよ今日のみまつり。

アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、見事なセリフがある。
━かくて破壊は終わりました━