明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(22)コロナ感染をコントロールしよう!

2021-09-08 12:21:57 | ニュース

1、野党戦略の改革案
今まで国会で、野党が何とか自民党を政権の座から引きずり落とそうと、あの手この手で「アラ探し」して来た。しかしそれらが全て「空振り」に終わったのは皆さんご存知の通りだ。何がいけないと言えば、人のアラ探しを目を三角にして大騒ぎしているような人を、国民は決して「いい人」とは思わないという「事実」である。悪事を厳しく追求するのは良いとしても、それで国民から託された「議員の役割が全う出来る」と思ったら大間違いなのだ。彼らの役割は第一に「国民を幸せにする」ことである。自民党のスキャンダルを「いくら追求した」としても、それで国民が幸せになる訳ではない。そこが分かっていないから野党の票が伸びないのだ、と私は解析した。

では、国民を幸せにする方法は何なのか?。勿論、それは「経済を発展させる」ことしかない。グローバル経済の中で、どうしたら日本経済が発展していくのか。それを解決出来る党が「次の政権」を取るべきであろう。細かい下っ端議員の不祥事などは、警察がしっかり捜査してくれれば良いことである。そんなゴシップ雑誌まがいのチンケな事に必死になっている暇があれば、日本の経済の骨組みを何とかするほうが先だろう。ライバルのスキャンダルは「票にはならない」と知るべきだ。不祥事を起こした人間の代わりは、いくらでも自民党の中で賄うことが可能である。大事なのは「経済」なのだ(立憲の枝野は一応補正予算を確保と言ってるが、経済を考えるとは「明確なビジョンと、問題点の具体的な解決策」のことである。彼のは単なるアドバルーンに過ぎない)。

そして並行して、国民の安全と生命を守る「具体的な方法」を模索することである。最近は自宅療養で死亡する事例が多発していることなど、自民党は選挙基盤の一つである「日本医師会」への遠慮がミエミエで、具体的な医療改善を打ち出せないでいる。こういう偏った政権運営は、自民党の「悪性のガン」なのだ。野党は結束して、自民の「富裕層重視という構造的欠陥」にメスを入れ、国民の大多数を占める「労働者層」を明確にメインとした戦略を取るべきである。勿論、自民党の取った政策が国民の利益につながれば、素直に「褒める」ことは大事だと思う。良いことは良いとキチンと褒めること。その上で「間違ったことは厳しく糺していく」真摯な姿勢こそが、次世代の政権を担う「信頼出来る政党」として国民から支持される秘訣だと私は思う。

この「あるべき野党の姿」を、誰が国民に示してくれるのか?・・・まあ、私はそういう人が現れる日を心待ちにしながら、のんびり「残り少ない日々」を過ごしていこうかな、って思っています。

2、コロナ感染の秘密
最初、コロナ対策は「マスク・手洗い・ソーシャルディスタンス』だった。それが今年辺りから「人流が悪い」ということになったのである。果たしてこれは正しいのだろうか。私は最初っから「通勤電車」などでコロナが大爆発しないのを不思議に思っていた。最近のコロナの感染状況をみていると、コロナに感染するかどうかは「本人の免疫力と環境」だと思っている。例えば私など、とっくにドアノブを拭いたりマスクを頻繁に代えたりするのは止めていて、過剰な感染防止は無駄だとさえ思っている。コロナは「危険な空間」を避けるだけで、感染から身を守れると分かったからである。

では、危険な空間って「どういう空間なのか?」というと、それをハッキリと言えないのが辛い所である(なんだよ!)。しかしテレビで映し出される「駅の通勤ラッシュ」は想像以上に「密」だ。私など、あれでよく感染爆発しないな、と思っているぐらい密である。通勤している人達にしてみれば「毎日がヒヤヒヤ」なんだろうと思う。もう「ご愁傷様」としか言いようが無い。だが現実には、通勤電車ではコロナには感染しないようだ(私の元の会社も、まだ感染者ゼロ出そうである)。

感染するのは「マスク無し・換気の悪い所・長時間」の人だけである(私の勝手な想像です)。しかも免疫力が平均より「落ちている』人だと思う。免疫力自体は調べられないので運任せだが、「マスク・換気・短時間」を守れば、ほぼコロナを防ぐことが出来る(と私は思っている)。これを守れば「人流云々」など度外視して、活発に外出しようではないか。自粛で青息吐息の飲食店で酒類提供するのだって、アクリル板と換気で十分行けると私は思っている。それより心配なのは、このコロナ自粛のお蔭で「すっかり生命力が落ちてしまった」ことなのだ。今日、定期検診で北柏まで電車に乗ったが、ちょっと街中に出歩くことで「生活のリズム」が回転し始めたように思う。それに活動的になることは結果的に免疫力がアップし、コロナ対策にもなるから一石二鳥だろう。やっぱり人間は外に出て、親しい友達と楽しく会話しなくちゃいけない(おっと、私はまず友達作りから始める必要がありそうだけど)。

3、経済改革は意識改革
まずは日本人の「労働意識の改革」から始めたい。自分の勤める会社が儲からないと、自分の給料は上がらない・・・という考えが、既に「古い考え」ではないだろうか。会社が儲からない場合はなぜ儲からないのかを「自分の頭で考え」て、それで解決しない場合は「儲かっている会社に転職」するくらいの意識が必要だ(実際は難しいだろうが、意識を持つことが大事である)。それでようやく「主体的に仕事と関われる環境」が出来上がる、という意識なのではないだろうか。労働が主体的でないと、「使われているだけ」で喜びにはならない。まず労働を「自分の喜び」として考えることである。そしてそこから「社会の構造」を考えることにつながっていく。

例えば住民が10人しかいない村があるとする。そこでお弁当を売るとしようか。値段は1000円である。10人に1000円ずつだから、売上は1万円だ。だがもう一軒弁当屋が出店して、2軒でそれぞれ10個の弁当を並べたとする。そうすると売れるのは5個ずつになって5000円しか売れず、5000円分は廃棄しなければならない(設定をごくごく単純にしている)。当然、社員の給料も半分しか出せないことになる。これが「市場原理」を採用している自由主義経済の欠点である。本当は、10個しか売れない市場には弁当屋は1軒で十分なのだ。そこへ2軒が出て無用な競争をしたから、売上も給料も半減したのである。実際は弁当の中身の豪華さとか味の優劣とか、または手っ取り早く「値段の安さ」で相手を打ち負かした店が、10人の市場を総取りして負けた方は倒産する(もし1個500円で10個総取りしたとしても、合計5000円にしかならない)。そしてこれは競争の終着点ではなくて、グローバル化が進んで供給過剰の状態になっている現状では、常に外国からどんどん安い品が入ってきて国内産業はバタバタ倒れるということになる。産業の空洞化だ。

これは「自由主義経済」の根本的な欠点である。これが昔の共産主義下で行われた「計画経済」であれば、必要な弁当の量(=10個)を供給するには1軒の弁当屋が10個つくるだけで足りるはずだ。では、何故共産主義は倒れたのか?。それは労働者の意識が「主体的」ではなかったからだ、と私は考えている。資本主義の下では根本的には、会社が利益を追求すれば、社員の労働は単なる手段にまで落ちていく。手段としての労働で働かされていては、「美味しい弁当」を作ろうという意欲は「沸かない」のである。結局、人々は資本主義の自由主義経済を受け入れ、無駄な競争をし、無用な廃棄を繰り返し、倒産と失職者を出しながらも、多様な商品に溢れた「過剰経済」を享受している。これが本当に正しい姿なんだろうか?

答えは人々の心の中にあると思う。沢山売って沢山廃棄し、薄利多売で富裕層の仲間入りを果たす人は、大勢の中の「ごくひと握り」ではないだろうか。残りの大多数は「低所得の下層階級労働者」に落ちていく。これでは「最大多数に最大幸福を!」という民主主義の理想には、到底「程遠い」と言わざるを得ない。無闇に利益だけを求めず「主体的に労働する意識」を大事にすることだけが、この問題を解決出来るんじゃないか。つまり先程の弁当屋の例で言えば、美味しい弁当を作ろうという主体的な意識で労働することにより、10個作って1000円で売ることが出来て廃棄もゼロで万々歳となるのだ。

これは単なる理想に過ぎないと言うのは勝手だが、富裕層を羨む心理そのものが、すなわち低所得者を増やしている原因だ、ということに「そろそろ気付いて」も良い頃である。意識を変えれば生活も変わる。まず、今度の選挙で「富裕層優遇政党」である自民党から、政権を我々「労働者の手」に取り戻すことから始めようではないか。


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