明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

私のプチ哲学(9)私が幸せになるための方法・・・ ⑤ 欲望の分析3=名を残したいという願い

2021-09-10 18:33:40 | 今日の話題

これまで金=物欲・地位=身分の、2つの欲望を分析してきた。今回は最後の「名誉=承認欲求」を考えてみたい。まず、物欲による幸せと地位(=身分)を得ることによる幸せの違いは、物欲が個人の中で完結するのに比べて、地位はそれに相当する「権力」がセットで付いてくることが特徴である。およそ、あらゆる地位・身分は当然「激しい権力闘争」を勝ち抜いた者のみが得ることが出来るご褒美だと言える。金も勿論必要だが、地位は金だけで得られる物ではないからだ。だからそれなりの地位を得た幸福感・満足感は、ただの物欲などよりも「質が高い」と考えられる。つまり大企業のCEOとか銀行の頭取とか省庁の大臣とか、どんな組織であれトップになれる人というのは、社会的評価が非常に高いのである。これは、人生目標としては非常に魅力的だと言えよう。

しかし「私が幸せになる方法」という視点で考えた時、上記2つの欲望のもたらす幸せは「物や地位」に付属している幸せであり、私「自身」が幸せになるのとは違うと感じている。例え私がどんな素晴らしい高級スポーツカーに乗っていたとしても、「凄い車ですねー」って褒めてくれるのは「車」であり、私ではない。例え私が総理大臣になったとしても、人々が頭を下げるのは「肩書」にであって、私ではないのだ。私が幸せになるためには、これらの方法では「まだまだ不足」なのである。

そこで第三の欲望、「名誉」が登場する。曰く、人々から「あの人は素晴らしい人だよ」といわれるような「世間の評価が高い人物」となることである。その究極の形が「歴史に名を残したい=名声欲」という欲望であろう。名声欲というのは余り適切な言い方ではないが、簡単に言えばノーベル賞を取ったり、教科書に載ったりするような、一言で言うならば「偉人」と言ったらいいだろうか、まあ故郷の公園に銅像が立つような人の事である。これはそうそう簡単になれるものじゃないから、逆に「ここぞ」というチャンスに偶然遭遇した時は、「一世一代の大勝負」に出ることだって十分有り得る話である。

例えば戦国の三英傑を例に取れば、秀吉が物欲の人で家康が地位の人だとすると、信長はさしづめ「歴史に名を残した人」と言えるだろう。今までの欲望が現世の満足を追求するものだとすれば、ある意味では自分自身に「永遠の命」を獲得する欲望だとも言える。これが物欲とか地位欲とかと違っているところは、欲望の対象が物でも権力でもなく「歴史の評価」という、言わば抽象的なものに自分の生涯を賭けている点である。例えば手に金も権力も無く、一般に知られてもいなくて何の変哲もない「ごくごく普通の人」だったのが、ある日突然「ノーベル賞候補」に名前が挙がって「時の人」になっちゃうようなもんと思えば良い。本人が無欲であればあるほど一層、その人への「評価」というものは高くなるだろう。勿論本人にして見れば、そういう評価を得たいが為に頑張っているわけでは決してなく、人類に対する「己が使命」を全うせんが為に、常人ならざる努力を重ねてやっと到達した結果だ、と言うだろう。別に褒められたくてやっているんじゃないよ、と言うのが本音かも。

だが、東京オリンピックで金メダルを取った選手のインタビューなどを聞いてみると、金メダル獲得の為に自身の競技人生の「全て」を賭けてきた、と涙ながらに喜びの声を挙げているではないか。じゃあ、もし金メダルはおろか、6位入賞にも入らずに終わったときはどうなっちゃうんだろう?、と思う。選手は一様に参加するだけで十分だと口では言っていても、決して「幸せ」とはいえ無いんだろうな、と私には感じられた。例えオリンピックに出場できた選手にしても、メダルを取って「幸せを掴む」のはホンのごく一部の人でしかない(だから価値があるのだが)。

結果、その他の何千、何万人というスポーツ愛好家の名も無き選手達は皆、夢を追うだけの「幸せとは無縁」の人生を送るのである。それがプロとして金を稼いでいても、例えば数多くのプロテニス選手やツアーを戦うプロゴルフ選手などの内で、「優勝カップ」を掲げられる選手は限られた一部の選手でしか無い。大多数の選手は有名になるという夢を諦めて、生活のための仕事と割り切って人生を送っているのが現状であろう。そういう境遇にいる彼等にとっては、もう幸せは「別の所にある」というのが現実である。つまり結論として「私が幸せになる方法」は、この名誉を得たいという欲望に人生を賭けるというのは「恐ろしくリスキー」ではないだろうか。だって、余りにも成功例が少なすぎるじゃんか(宮下草薙の草薙風に)。

何でも良い、「誰でも」確実に幸せになれる方法、というのは無いものだろうか?

・・・私の答えは「自分の好奇心をひたすら追求する」ことである。

ザッと今までの説明を整理すると、まず「生きていく」というのがあって、衣食足りて礼節を知るじゃないが、一人前の生活ができるようになるのが最初だった。それから段々と出世もし、お金が自由に使えるようになってくると、徐々に「物欲」が出てくる。家・車・グルメに代表される「リッチな生活」を羨む心理だ。それがある程度満足すると、今度は所謂「ステータス」が欲しくなる。今までは個人的な欲望で満足していれば良かったのだが、これからは社会的な評価が欲しくなり、「富裕層とか支配者層」といった身分・地位が目に入ってくるようになってくる。そして、そこでも幸せを得られなかったスケールの大きな人間は、歴史に名を刻もうと「人生を賭けた大勝負』に打って出ることになる。

だが、これが人間の欲望の全てだろうか。いやいや昔から、自分の好奇心の赴くままにひたすら夢中になって「何かに没頭する」一群の人達がいた。他人の評価などを一切気にせず、またマニアのように他人の持ち物と比較するのでもなく、ただ自分の好奇心をずっと追求し続ける人達である。そこには「競うべき相手」がいるわけじゃ無し、ひたすら自己の世界に完結して「比較する」ことを止めた人達なのだ。自分の欲望を満足させようという時、他人と比較している間は決して満足することは無いだろうと思う。何故なら、人間は一つの欲望が満たされると、次は「もっと上の欲望」を求める習性があるからだ。もっと広い家、もっと偉い役職、もっと多い拍手、である。欲望には限界がない。結局、他人より「もっと上」という比較対照をすることで、ようやく束の間の幸せを感じることが出来る仕組みになっているのだ。

私はこれを「幸せの比較」と呼んでいる。結局、どちらが「より幸せか」を他人と比較している間は、厳密に言えば「幸せ競争」を永遠に続けなければならないのだ。これって、本当は幸せなんだろうか?

最終結論:私が幸せになる方法は何か?、と問われたら、それは自分を他人と比較せず、心にある好奇心をすっと追い続けることに尽きると思う

例えば何かの試合に勝つことではなく、自分の「競技能力」が上がったことに喜びを覚えること。今の自分の能力を正確に知り、それを「事実」として受け入れて、それを少しでも理想に近づけることである。世の中には自分より能力が低い人がいるし、逆にもっと上の人もいる。だが人は人、己は己だ。100mを9秒台で走る人がいて、20秒かかる人もいる(それは私です!)。だがそれが一生を分ける重要な能力となるのは、動物の世界だけであろう。人間はいろいろな能力をいろいろな分野で発揮してきた。さらに言えばそのいろいろな分野においても、能力の差は少なからずある。自分の価値基準を「今の自分」に置けば、人は皆「今より良い自分」を目指せるし、そうであれば誰にでも「幸せになるチャンス」があるではないか。幸せとは「生涯最高の自己ベストを追求し続けること」である。生涯最高自己ベストを目指している人は、理論上「何回も自己ベストを出す」ことが出来る。100人いれば百種類の自己ベストが存在するわけだ。これは「参加者全員」が喜びを共有できる方法でもある。金メダルを目指す人は何百人の人を敗者にして、たった一人の成功者を産むだけ、と知るべし。これでは「一将功なりて万骨枯る」である(古いなぁ)。

結論としては他人の個人的な、多様な「自己ベスト」を、どうやって我々が受け入れ共有・共感できるかである。例えば私が理想と思うラーメンを味わっていたとする。他の人は「それよりコッチのほうが美味い」と思って別のラーメンを食べていたとしよう。どちらのラーメンが「より美味いか」などという比較そのものが、幸せを阻害し、人々を「不幸にしている」根源なのである。比較すべきは私が昨日食べたラーメンと、今食べているラーメンの味なのだ。他人の食べているラーメンではない。もしそのラーメンに興味があれば、明日食べてみればいいだけである。要は「他人の価値観」に優劣を付けないこと。これが人々が幸せになるための一番大事なことだと思う。

最終的に人間は、何かを信じることで幸せになるように出来ているようだ。これは理屈ではなく、事実である。例えそれが何であれ、何らかの「価値観」を信じていれば「人は幸せ」なのではないだろうか。要は何か現実に迷惑が掛からないのであれば、他人の信ずるものを無闇に否定しないことであろう。勿論、本人が騙されている場合は別である。だが、それがどんなに馬鹿げたことであっても、無邪気に夢を追い続ける人を貶してはいけない。それが最低限のマナーである。人それぞれ、幸せになる権利がある。それぞれの自己ベストを追求していこうではないか。

ちなみに私の自己ベストは、古代史の謎解きとゴルフの理想スイングの実現と、そして芸術鑑賞の奥義の追求である。それぞれ理想の形はあるが、一歩一歩それに近づいているという途中経過が「幸せ」なのだ。しかも理想に近づけば近づくほど、それによって得られる喜びは「過去最高」となる!(上手く出来ているなぁ!)。

おまけ:幸せの秘訣

1、法を侵さないこと
2、他人に頼らないで生活できるお金を持つこと
3、自分を他人と比べないこと
4、何かに好奇心を持ち、それに没頭すること

以上である。

これさえ守れれば、もう「幸せ」だと言えるのじゃないかな。後は生きていく上で出会う全ての事に感謝することである。そしてホンのちょっと、夢に向かって探求の旅を続けること。夢は何かと訊ねられたら、「考えること」と答えたい。一生懸命答えを考えながら死んで行けたら、もう最高である・・・


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