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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ゴーン・ショック(前編)

2018-11-23 21:24:54 | ニュース
ゴーン・ショックは単なる有価証券報告書虚偽記載といった微罪ではなく、フランスのマクロン大統領が企んだルノーによる日産・三菱の子会社化を「日本政府が阻止した」事件という線が浮上してきている。問題は、その理由だ。マクロンは支持率が落ちているから、支持率回復の起爆剤として日産を取り込もうという計画だという。日産と三菱がルノーの傘下に入れば、世界有数の自動車企業が「フランス」に生まれる。さらに日産がルノー化すれば、フランス人の雇用も確保できると一石二鳥だ。元経済畑の役人の考えそうなことである。

実際の事件の進展はワイドショーに任せておいて、私はこの問題を「グローバリズムと日本主義」の戦いと読み解いて見た。企業の利益を追求するリアリストと、自国の利益を優先するイデアリストの戦いである。一見するとグローバリストの方が公平な競争原理で動いているように見えるが、実はそんなに簡単な話ではないという考察を今回じっくりと前編・後編に分けて書いてみたい。

先ず、日本主義の視点から

1 日本主義の立場は、国または民族を基本とする感情から出発した「愛国友愛」の理論である。それは自国の拡大を目的とした国単位のライバル関係の中で、他国と競争し他国よりも優位に立つことで「自国民の幸せを願う」旧石器時代から連綿と続く「生物学的家族観に根ざした」自然発生的感情である。例えば一つの仕事を考えた時、ノルウェー人やケニア人や中国人よりも「日本人」を雇いたい。仮にその仕事の成績が余り利益に影響が無いとすれば、雇用は絶対日本人の方が良い、というか「日本の仕事」である。他国に渡す理由がないのだ。また少ししか違わないのであれば、やっぱり日本人を雇いたい。得られた利益は上場企業の場合「株主」に取られてしまうが、それも出来るだけ日本の株主であってほしいと願っている。だって外国人に利益を持って行かれるとなると、誰のために働いているか分からなくなってしまうではないか。やっぱり稼いだお金は「日本人同士の間で回して」初めて国が大きくなるのである。それを社長や筆頭株主が外国人では、まるで日本人が奴隷にされ働かされ搾り取られているみたいで、気分が悪い。取引先もイラン人やベネズエラ人と組むよりは、日本人の方が気心も知れているし、場の空気を読んで動いてくれるので、楽である。出来れば、日本人が一つにまとまって優秀な製品を作り出し、それで「世界制覇する」というのが理想である。だからトヨタには頑張ってほしい・・・。つまり以上のような「日本人同士で世界を相手に戦う」という考え方を日本主義と言うことにする。

2 しかし同じ業界でしのぎを削る相手が日本人の場合は良いが、それが外資系企業のライバルだった場合はどうなるのか。ということはつまり、資本が外国で社長は日本人の雇われ社長というのが一般的なスタイルである。今はボーダーレスの時代だから経営母体は外国資本に握られている場合もあり得るのである。だが社長以下の社員は日本人で、日本に大半の利益が落ちるわけだし、税金も日本に払うということになると一応、形の上では日本の会社ということになるのじゃないだろうか。利益は外国に持っていかれるとしても、会社として業界のルールを守り、業界の仁義や人間関係を大事にする点では、日本企業と何ら変わるところは無いのである。外資ということであれば、日本も海外に出ていって現地の企業とライバル関係になったり提携したりと、同じように利益を「日本に持ってくる」訳だから「お互い様」である。100の外資系が日本に支社を持つなら、日本は150の海外支社を作ればいい。世界経済は商品を輸出もするが現地企業として進出することで「複雑に競争している」のであるから、やはり本質は「国対国の勝負」である。

3 だが、経営権を保有株のパーセンテージで外国に握られていることで、新製品開発や加工技術の優秀な人材とか、製品の製造工場などの雇用そのものを外国に取られることもあり得る、となると、果たしてこれは日本企業と言えるのだろうか。今までは外資が入ってきても「企業の独立性や経営方針」はあくまで「日本」のままであった。それが今度は外国の企業の子会社になって、ひたすら親会社の為に犠牲にならなければならないとしたら、これは「日本の負け」ではないだろうか。そんな事になるくらいなら、あっさり倒産した方がマシではある。フランスのルノーが日産と三菱を子会社のように顎で「こき使って」利益をごっそり持っていく上に、雇用もフランス人を大量に雇うとなるともう、日産・三菱は「日本の企業」だとは言えないではないか。名前は日本だが「実態はフランス企業に奉仕する子会社」である。売上も利益も日産のほうが大きいのに、「会長がゴーン」だから何でも良いようにやられてしまったのだ。フランスのマクロンに「法律」まで作って「乗っ取られて」しまったのは、一重に「日産経営陣が人情やしがらみに囚われて、必要な改善策を断行しなかった」からである。自業自得なのだ。

何故、提携する時に「対等の関係」を死守しなかったのか(幕末に黒船が来て日米修好条約を蒸す場されたように、ドサクサに紛れて不平等条約を結んでしまったようなものである)。すべては「日産経営陣のダメさ」に原因がある。例えば企業経営が上手く行かない時、リストラや納入業者の削減等のコストカットを冷徹に断行することが必要なのだが、心情的に出来るだけ日本人の雇用を確保したいと思っているので(日本主義)、簡単に「最善の策」を実行できない。その為に無駄な経費が増大して全体利益を圧迫してしまう。結局は経営者にとっても労働者にとっても悪い状態から脱却できず、会社の業績が悪化して倒産となる。日産も同じような事態に陥って「にっちもさっちも行かなくなった時に」ゴーンが快刀乱麻で改革をやってのけたのだから、カリスマ経営者の称号が奉られたのである。これは優しい日本人では、とても出来ない荒業だったろうと思われる。結局はフランスのルノーと提携し、結果としては「取られてしまった」のである(まだ取られていないギリギリのところである、という人もいる)。ゴーンのやったことは「単に業者の再編とコストカット」でしかない(ホントはもっとあるだろうが)。それが日本人には出来なかったから、外人がやったのだ。再度言う、自業自得である。つまり、日本主義の欠点は「ダメな人間を放置してしまう風土」にあったのだ。

後編ではグローバリズムの視点ではどうなのか、を書いてみたい。

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