オリンピックはIOCのイベント、それを東京で開催させてやる、というのがオリンピックイベントの仕組みだ。これはオリンピックというイベントが始まった時からのしきたりである。世界の運動競技を通して万国融和を目指す、平和活動の一環として広められた。64年の東京オリンピックは戦犯国の日本が過ちを許されて、先進国の仲間入りを果たした思い出のオリンピックである。
ところがオリンピックは儲かるとばかりに各国でもオリンピックを誘致し、オリンピックバブルを狙って開催国に手を上げる国が続出するようになった。ロサンゼルスから始まった経済効果を狙ったオリンピックのやり方は、サッカーやテニスなどの、もともとは地域内の勝者を決めるリーグ制を全世界に広げて、スポンサーをつけてサーキットする形に進化した。ヨーロッパの商業主義が、すべての競技を世界的な権威のある機関が牛耳るスタイルに発展していった。サッカーではFIFAでありUEFAであり、オリンピックではIOCでありJOCなのである。
IOCのバッハ会長と森が仲良く密談して、あちこちの利権団体にまんべんなく美味しい汁が行き渡るように計算してるのに、小池都知事が横槍を入れたもんだから、野球のような人気のないスポーツは復興という名の元に福島へ追いやって、ボートのような人気スポーツは東京でやりたいとハッキリ言って来たのである。なんだかんだ言っても、オリンピックは西洋人の大事なドル箱なのだ。東京でやるからといって、東京が好きなようにやっていい訳ではない。結局はIOCの意向に逆らえないのであり、お金だけは湯水のように使わされるが、東京や日本の為になるイベント作りは却下されるという事だろう。
もういい加減、この西洋主体のオリンピックというイベントに付き合わされて、土建業者と建築業界とマスコミと旅行関係以外はただの視聴者という一部のみが儲かるイベントに、血税を払うのはやめにしないか。儲かる業者がいたって構わないが、我々の税金で潤うのはやめてもらいたい。IOCも国にたかる体質を改めて、スポーツ本来の競技を楽しむ団体に戻ったほうが、世界のアマチュア・アスリートの為にもなるであろう。
オリンピックは、IOCによって開催権をたらい回しに移す、西洋経済圏の巨大な利権構造である。今回は日本もそのおこぼれを頂戴出来る、ただそれだけだ。日本国民が血税を払って全世界にアピールするほどのことは、期待するほうが間違っている。リオのオリンピックが、大騒ぎした後どうなったかを考えてみたらわかる。誰もブラジルのことなど思い出すこともなく、施設は忘れ去られて経済効果も雲散霧消の体たらくではないのか。
私は断言するが、日本もそうなる。国民の間に根付いていなく競技人口も少なく、常設のスタジアムも専用のものがない競技を、オリンピックだからというだけで新しく施設を作り開催すれば、オリンピック騒ぎが通り過ぎればリオと同じ事になるのだ。今からではもう遅いが、オリンピックは出場団体と寄付金で賄うシステムにすべきであるし、今にそうなるだろう。オリンピックにそんなに金をかける国は、もう東京で最後になるような気がする。国威発揚なんて死語は、昭和と共に消えていったのだ。
ところがオリンピックは儲かるとばかりに各国でもオリンピックを誘致し、オリンピックバブルを狙って開催国に手を上げる国が続出するようになった。ロサンゼルスから始まった経済効果を狙ったオリンピックのやり方は、サッカーやテニスなどの、もともとは地域内の勝者を決めるリーグ制を全世界に広げて、スポンサーをつけてサーキットする形に進化した。ヨーロッパの商業主義が、すべての競技を世界的な権威のある機関が牛耳るスタイルに発展していった。サッカーではFIFAでありUEFAであり、オリンピックではIOCでありJOCなのである。
IOCのバッハ会長と森が仲良く密談して、あちこちの利権団体にまんべんなく美味しい汁が行き渡るように計算してるのに、小池都知事が横槍を入れたもんだから、野球のような人気のないスポーツは復興という名の元に福島へ追いやって、ボートのような人気スポーツは東京でやりたいとハッキリ言って来たのである。なんだかんだ言っても、オリンピックは西洋人の大事なドル箱なのだ。東京でやるからといって、東京が好きなようにやっていい訳ではない。結局はIOCの意向に逆らえないのであり、お金だけは湯水のように使わされるが、東京や日本の為になるイベント作りは却下されるという事だろう。
もういい加減、この西洋主体のオリンピックというイベントに付き合わされて、土建業者と建築業界とマスコミと旅行関係以外はただの視聴者という一部のみが儲かるイベントに、血税を払うのはやめにしないか。儲かる業者がいたって構わないが、我々の税金で潤うのはやめてもらいたい。IOCも国にたかる体質を改めて、スポーツ本来の競技を楽しむ団体に戻ったほうが、世界のアマチュア・アスリートの為にもなるであろう。
オリンピックは、IOCによって開催権をたらい回しに移す、西洋経済圏の巨大な利権構造である。今回は日本もそのおこぼれを頂戴出来る、ただそれだけだ。日本国民が血税を払って全世界にアピールするほどのことは、期待するほうが間違っている。リオのオリンピックが、大騒ぎした後どうなったかを考えてみたらわかる。誰もブラジルのことなど思い出すこともなく、施設は忘れ去られて経済効果も雲散霧消の体たらくではないのか。
私は断言するが、日本もそうなる。国民の間に根付いていなく競技人口も少なく、常設のスタジアムも専用のものがない競技を、オリンピックだからというだけで新しく施設を作り開催すれば、オリンピック騒ぎが通り過ぎればリオと同じ事になるのだ。今からではもう遅いが、オリンピックは出場団体と寄付金で賄うシステムにすべきであるし、今にそうなるだろう。オリンピックにそんなに金をかける国は、もう東京で最後になるような気がする。国威発揚なんて死語は、昭和と共に消えていったのだ。
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