今日、ネットのダイヤモンド・オンラインというところで、ノンフィクションライターの窪田順生さんが書いている「東京大空襲で地下鉄への避難が禁じられた理由、コロナ医療崩壊に通じる日本の悪習」という記事を読んだ。ちょっと長めの記事だったが、一気に読んで驚いた。日本人って、こんな民族だったんだ、と。
昔、なんかの本で、太平洋戦争の末期、東京本土決戦を想定した作戦を練っていて、部下に「道路に避難する国民が溢れていて、戦車が通れないんですが・・・」と質問された上官が言い放った言葉が、「構わん!、轢いていけ!」だった、というのを読んだ記憶がある(確か山本七平だったかと思うが)。
日本人は最も大事なものが自分の命じゃなく、会ったこともない「天皇だ」と教えられて育った民族である。本土決戦という最後の戦いに臨んで彼等軍人が考えていた事は、国民一人ひとりの生命財産ではなく、「国体」という、平たく言えば天皇という名前に象徴された「抽象的な神秘的存在」なのであった。国民は、それに「奉仕するもの」でしかなかったのである。これは2022年の現在においても、その本質は全く変わっていない。
窪田順生さんは当時ロンドンでも50日もの間ドイツの大規模空襲を受けたが、地下鉄に市民が避難したために「死者は5万人以下」で住済んだと書いている。ちなみに東京大空襲の時は「最初の爆撃で10万人以上」が死んでいた。これは偏に日本という国が、国民をどう考えていたか、の違いである。日本人は国民を第一に守るべき存在とは考えていない。その本性が、政府のコロナ対策にも現れていると窪田順生さんは言う。
「戦争の記憶を語り継げ」なんて悠長なことを言っている場合ではない。今こそ我々の社会が77年前と同じ破滅の道を歩んでいる事実を直視するべきだ・・・窪田順生さんの叫びである。
久々にこういう、真面目な「まともな意見」を読んだ気がする。皆さんの意見は色々あるだろう。だが、まずはこの記事を読んでみて、それから考えても遅くはない。「日本人のメンタリティ」とは何だろうか?。私は、私が日本人であるためには、いま一度真剣に「国民の命の大切さ」というものを考え直す必要がある、と思っている。
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