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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

普段よくある事だが、私には関係ないと思っているアノ事?

2017-04-18 21:00:00 | 今日の話題
その男は左手に重そうなビジネスバッグ、右手に髙島屋の大きな紙袋を持って私の左3つ目の便器の前に立った。チャコールグレーのスーツにネクタイの60代の男である。あまり着慣れないスーツを着た田舎のオジサンのような、一見葬式帰りなのかとも思える風采の上がらない印象である。で、用が終わった後ゆっくりとした動作で、出口から出て行った。「あれ?」。私は便器の上の棚に置いたままのビジネスバッグと紙袋を眺めてどうしたんだろうと思っていたら、その男は何事も無かったかのごとくゆっくりとした動作で戻ってきて荷物を取り、慌てず騒がずまた出て行った。一連の動作の間男は全く無表情のままで。まるで当然のルーティンのごとく荷物を持って出て行った、まるで何の問題も無かったかのように、である。目の前にずっと置いてあったカバンと紙袋を、なんで忘れるんだろう?

これが今日の昼に柏駅のトイレで私が目撃した、ちょっとした事件の顛末である。私も用を足して外に出ると、男がゆっくり歩いているのが見えた。この遅い足取り、泳ぐような目の動き。なんとなくポーっとしてフワフワとした態度。間違いない、これは認知症だ!。

認知症だという事を本人も気付いていないのだろう、或いはまだ初期の段階なのかもしれない。彼の将来がどのようなものなのかは知る由もないが、認知症にはなりたくないものである。先日脳梗塞の再発予防で通っている北柏リハビリ病院で脳のCTを撮ったら、私の脳は「年相応ですね」と若い女医さんに言われた。何となく歯に物が挟まったような言い方だったので嫌な感じだったが、まあまあ脳味噌は中身がスカスカにはなってなかったと納得。最近物忘れが時々恐ろしいくらいに起きて、人の名前ばかりか忘れるはずの無い物の名前まで忘れるようになり、ちょっと不安だったのだが一安心した。

だいたい物忘れは誰にでも起こりうるというが、長年机を並べて仕事をしていた同僚の名前を、2年ほど病気で休んでいる間に忘れてしまい2日経っても思い出せなかった時は、真底心が冷えた。この前にはビデオの「HDMIケーブル」が言えず、「あの接続ケーブル」みたいにごまかしてバカにされた。私は元々「あれ何だっけ」とか「あの人誰だっけ」というのが最も嫌いなたちだったのに、である。もちろんスーパーや電器屋に行って物の名前を言えずに困る事は、今の所無い。問題となっている名前は「暫く使ってなくて、元々興味の無い名前」だと思って自分を納得させている。これが私の、今の所の理解である、つまり認めたくないと言う事だろうか。

認知症患者は普段どこにでもいるのかも知れない。2017年が2020年と、時が経つに連れてその人数は加速度的に増えて行く。今に大事な事を忘れて、立ち往生するようなことが私自身の身にも起こって来るやも知れぬ。さあ、どうする?どうする?

私の考えは、もし100個記憶を失ったら、別の新しい100個を覚えればいい。すでに忘れたことを思い出そうとするのではなく、新しく覚えることに時間と労力を使おう、というものです。どうでしょう?

じゃあ、もし自分の家に帰る道がわからなくなったら?Googleの地図に、自宅を登録しておけばいい。自分の記憶が頼りなければ外部のツールを活用すればいいのだ。でもGoogleの使い方を忘れたら?

心配症のあなた、そういう人が一番なりやすいそうですよ、御用心御用心。

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