みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

集中

2012-07-02 15:57:55 | 日記

三歳児なので、長くは続かないが、十分真剣。
三つ子のタマシイ百までも

ゲームやらで育つ三つ子より

おもろい人物になりそうな孫T

もう、十分面白くて、

別名、「小さいオッサン」

だって会話に「ところでー」とか言うんだぜぇい


スペインサッカーは「真理の勝利」だっ!

2012-07-02 11:39:09 | 日記


政治家と違って 正しい結論を出して下さるサッカーの神さま

スペインが勝ち


悪童は身の程を知る



か……



1日の違いでスペインはパフォーマンスを上げて、イタリアは疲労でヘロヘロ

それが勝敗のベースだったが、スペインはスペインサッカーが完熟期の真っ只中にあり、新イタリアサッカー、脱カテナチオはまだまだ発展途上と言うことだ。


勝ち負けにこだわれば、ロナルドの個性を潰してまで前線からボールを追い回せば良かったが、


それでは 面白く



無い。



自分たちの考え方にこだわって 戦い、


負けたら、反省をして、アイデアを練り直し、リハーサルして、再挑戦をする

そして また 競い合い


勝ったら、プロセスを味わい、ブライトが湧いてくるだろう。


自分たちのサッカー哲学は正しかったんだ、と。



スペインサッカーはワールドカップでもユーロでも「パスサッカー」の優位性と合理性を示してくれた。


一定の期間で優劣の決着をつける時には、ベーシックな体力が欠かせないが、

とは言っても、昔のポーランドや北朝鮮、そしてソ連邦の共産主義・軍隊サッカーならいざ知らず、


そんな無骨なサッカーは観客を魅了しない。


ただ、応援する自国民だけが、勝ったら楽しいだけだ。


そういう意味で、スペインサッカーは他国民でも スペインサッカーを堪能出来る。


そして何よりも、パスサッカーは合理的にベーシックな体力を温存出来る。


決勝の悪童・バロテッリは準決勝立役者とは別人のパフォーマンスだった。


つまり、ヘロヘロだった。


バロテッリは今頃、軽口を恥じ、サッカーの神さまに感服し、反省とリベンジを誓っているだろう。



スペインサッカー、参りました。



見ていて楽しく、結果 最強のスペインサッカー哲学。


新イタリアサッカーはまだまだ発展途上のサッカースタイルだとあからさまだった。


もう1日休めたら、もっと均衡していただろうが、やはり スペインサッカーにサッカーの神さまは軍配をあげていただろう。



おめでとうさん!


スペインサッカー

サッカーを通じて知る、哲学の実践。


やってみなくちゃワカラナイ


ではない、



やってみたら やはりそうだと 頷く哲学。



宗派では「聞法、聞法」とか、ご丁寧に、慇懃に「お聴聞」とか言うけれど、人生に生かされてない聞法なんて、教学の受け売りでしかない。



道端の草木や石ころ、カエルの生態からでも真理は学べる。


ましてや、全世界のサッカー愛好者やプチ愛国心が熱狂するユーロやワールドカップから「真理」を学べないハズがない。


だって、「聞法」の「法」とは「真理」の事であり、「真理」から発生するもの、来るものを「如来」と言うんだから。


「如来」の「如」もまた、「真理」のことである。


「あるがごとし」と読んで「如」


真理の具象化が「如来」であって、「如来」の具象化哲学体系とその理解を「法」と言うのだ。


未完成な人間が集まって、国会で作る「ほう」は「人間法」であって「宇宙に通じる」「真理」ではない。


だから、法案作ったり、法案を廃案にしたりするのです。


スペインサッカーをフラフラになりながら観戦しおえたら、サッカー哲学の深みと喜びで じんわり悦びに浸り、仮眠についた。



朝日はスペインサッカーの勝利を慶ぶが如くキラキラしている。


悪童くん、新イタリアサッカーさん、まだまだだね(。・_・。)ノ


でも、面白かったよ、反省して出直してね(^-^)/~~


「パス」は合理的で今ある素材を賢く使えることを証明してくれた。


アホたれ知識人が「スマート」とか「スマートグリッド」とか 欧米かぶれを吹聴せんでも、世界中の人々は「パス」こそ「スマート」で合理的だと こころとアタマで体感したはずだ。


見て、楽しんで、興奮して、学べる哲学「サッカー」

オマケに世界中が観てるしね。



結論。



今ある資源や能力を融通しあう哲学と その実践、それは「パス」


資本家強欲とお抱えシンクタンクが洗脳したがる「スマート思考」と「スマートグリッド」



あきまへんて、基本が強欲から始まってるから。


スマートに浮いたお金を搾取したいだけじゃん



バカバカしい



騙されへんぞ



見え隠れする新たな強欲から始まったユーロ経済。

ヘロヘロで崩壊寸前。簡単明瞭、「真理じゃないから」


それに比べてユーロのサッカーは断然未来を示してくれた。


見える哲学、実践出来る真理を



ユーロサッカーは言う、「パス」ほど合理的で有効な人類哲学はないと。


子供が産まれて、私らが死んでいくのも 実は「パス」

隣国が助け合い、融通しあうのも「パス」


ソーシャルネットワークで情報をやり取りするのも「パス」



コレからの人類はロナルドやバロテッリのスターに導かれるのではなく、才気ある人々がパスしあう事が「勝利」につながる。



そういえば、拙僧、ボールをもったら 4人は抜かないと気が済まなかった 独占フォワードだったなー

協調性皆無

お恥ずかしい

白いガードレール

2012-07-02 01:50:27 | 日記
新しい公共

ボンボンハトポッポがのたまう「新しい公共」ほど おせっかいでイヤな感じのするフレーズは無かった。
しかし昨日、上忍の里で行われた「新しい公共」は 本当に古くて新しい公共だった。

四年前に仏教婦人会のお茶話しから始まった「村内ガードレール磨き」


「村の中にあるガードレールが白くてキレイやったら気持ちいいやんか、なぁー」

「そや、そや、みんなでキレイにしよー」


で、決まった。


総勢70名近く、ある意味総出(高齢老人を除く)で。

ガードレールがキレイで、白くても そんなにメリットは無い。


闇夜に白く浮かび上がるのはガードレールの大切な役割だが、キレイである必然性は無い。


でも、キレイであると気持ちいいのは事実である。

市から言われてもいないし、県なんて壊れない限り縁がない。国土交通省は作りっぱなしだし。


税金で設置されたものを、新たな税金で補修やケアをするのでもなく、里人の考えと気持ちで できる限りケアする。

善意とは違う。


もっと素直で普通の気持ちと考えだ。


もともと「公共」って こういう事じゃん。


朝早く起きて、みんなでタワシ持って、ブラシでゴシゴシ。

昼前には グッチョリ汗をかいて、利き手は肩も上がらないほどだ。


僧侶の基本も、朝食前の 洗顔・歯磨き・掃除から始まり 読経に移る。


その中でも掃除は大切。
キレイであることは 気持ちいい。

気持ちいい環境で、仏さまと向かいあい 読経するのと そうでないのとは 何かが違う。


目的やミッションだけではない。


その目的に着手するまでのプロローグ(掃除)も また目的の一部である。


里を語り、里の小さな政治を始める前に先ずはプロローグ。


そして、孫Tも何もワカラズ参加。


拙僧も含めて大の大人が汗水たらして ワイワイ言いながらドンドン ガードレールを磨いていく。


ドンドン、キレイに、白くなっていく。


孫Tは 損得も善意も関係なく 大人たちの汗だくだけど楽しそうな姿をみて、自分からガードレールを磨き出した


もちろん力も三歳児だし、根気も三歳児。


しかし、この三歳児は 公共のために みんなが汗だくになることの意味を 感じたハズだ。


言葉ではなく、大人の本気や公共を幼子が感じることから未来の「新たな公共」の始まりだ。


税金を上げたり、税金の使い道で云々する前に


国会議員の皆さん、損得ばかりの大人の皆さん。


公共のために、楽しく、気持ちよく 汗だくになったこと ありますか?


庶民の気持ちの解らない無粋な小宮山女史に生レバー禁止て言われたくない。(オヤジが東大総長だった事をハナにかける鼻持ちならないオバサン)

ましてや、総理大臣に成るまで 非難されるまでお母さんから小遣いもらっていたハトポッポ。アナタは公共の意味を言葉でしか知らない人。身の程を知りなさい。


公共とは、損得を超えたところにある、みんなに取って大切な気持ちであり、具現化だ。

公共を税金で賄うには限界がある。


全てを公務員的に、公共投資的にして来た ギリシャが最たる悪例。


白くなったガードレールが物語る「新たな公共」


こんなコトからしか、未来は変わっていかない。


橋下徹さんのツッパリを応援するだけでなく、地に足つけた行動が行く末を左右する。


拙僧が知らないだけで、全国のあちこちで、損得を超えた「大切で気持ちいいこと」をやっていたり、始まっていたりするんだろうな きっと。


それも本当の国力の大事な部分だ。


そこいらのチンピラ格付け会社の格付けなんか クソ食らえ だ。ぜぇい。