Everyday is a Special Day.

英語、日本のドラマ、日々のあれこれについて熱く語ってます。

思いがけない再会

2007-10-30 14:40:34 | Life in America
いつものように教会のESLに行った。子供をチャイルドケアに預けようとストローラーを押していたら、「Yucca!」と私を呼ぶ誰かの声。
振り向くと、どこかで見た顔。でも誰だか思い出せない。
「あなた、アメリカに帰ってきたのね。てっきり日本にいるものだと思ってた。」と驚きつつ、満面の笑顔で言われて…それでも誰だか思い出せない。
私は子供を預けなくちゃいけなかったので、一旦別れ、思い出そうといろんな友達を思い浮かべたけど、、ダメだ。。
教室に行ってから、こっそり名札を見ると。
ああ~!H!!

彼女と出会ったのは、3年前こちらに来て、初めて行ったコミカレESLだった。
初めてコミカレのESLを取ったんだけど、プレイスメントテストで何故か好成績を収め(日本人はみんなそうらしい)、申し込みが遅く、そのクラスしか残っていなかったのもあり、上級レベルのVocabrary&Readingのクラスを取ったら、周りはかなりのハイレベル。
私以外は在米が長い人ばかり。クラスの大半は移民でこちらに長く住んでいるメキシカンの子供、他にも子供の頃からこちらに住んでいて話すのにはほとんど不自由がないけど、ボキャブラリーがイマイチだから取った、とかいうベトナム人の女の子とか。数人いた韓国人の子たちも、いずれは州立大学にトランスファーしたいという留学生。
私だけ、アメリカに来て一年も経たず、話すのもあんまり、、、聞き取りもあんまり、、、単語だけは受験英語でよく知っていたという。つまりはクラス一のおちこぼれ?
初級レベルじゃないので、先生もある程度英語が理解できる物として授業をすすめるので、すすむスピードも速いし、聞き取るのがかなり大変。宿題もものすごく多くて、全部終わらせるのに朝起きて夜までほとんど宿題と格闘してたり。

加えて、アメリカのちゃんとしたコミカレで勉強するのは初めてで、システムも全然分からないし、英語も分からない、、、キャンパスも住んでいたアパートからはるか遠くで、自分ではフリーウェイを乗り継いで車で行くことができなかったから、毎回夫に送ってもらう始末。何もかも分からない、不安なことだらけで。
さらに、元々心配性で完璧主義のけがある私。そんな状況ながらも、できない生徒と思われたくなくて、自分で自分をきつくしていた部分もある。

自分でこのクラスを選択したにもかかわらず、毎回コミカレに行くのがすごく怖かった。この街は日本人が少ないので、キャンパスの中には日本人なんて一人もいない(探せばたまにはいるのかも?)。授業もそうだし、学校の手続きなんかも全部自分のつたない英語で頑張るしかない。
誰にも頼れない、、、あんなにも不安な気持ちを感じたのは大人になってからはほとんどなかったと思う。
よく、アメリカ人の友達に愚痴って泣きついていたなぁ。。。

そんな時、助けてくれたのHだった。韓国人留学生でナースの資格を取るのが夢だといった彼女。お姉さん夫婦の家に同居の肩身が狭い生活だけど、夢を実現すべく頑張っていた。
私が宿題の答えを聞き損ねたり、テストの受け方(教室でなくテスティングセンターというところでやる)、宿題の内容、、などいつも親切に教えてくれた。
みんな自分の勉強で精一杯で、質問してもろくに答えてくれないのに、Hだけはいつも優しくて、親切だった。
誰にも頼れない中で、彼女だけが心の灯りみたいな。。クラスにいるとほっとした。
授業が終わるといつも一緒に帰るようになり、私は、夫が車で迎えに来てくれるので、それまでの間、一緒にカフェテリアでおしゃべりしたなぁ。夜のクラスだったので、秋から冬に変わる寒くて真っ暗な外を二人で歩いた。その年の冬一番の寒さの日に待ち合わせてランチしたこともあった。
日本に住んでいたという彼女の亡くなったお母さんの思い出話を聞いて、一緒に涙したり、彼女がクラスメイトに人種差別のようなことをされ、泣いていたときは慰めたり。

そのセメスターが終わって、その冬もっとも寒かった日にランチして以来、ずっと会っていなかった。居候の彼女は自分のPCがなくて、お姉さん家のPCを長時間使えずメールでもあまり連絡が取れず、授業と宿題をこなすのに精一杯で時間がなく、私もアメリカ生活に少しずつ慣れて、他の友達に会ったり、いろんなアクティビティに参加したりして忙しくなり。
メールだけはたまに送っていたけど、そのうち音信不通になってしまった。

だから、アメリカに戻ってきたときもメールしなかったのだけど。
ちゃんと私の顔も名前も覚えていてくれたんだ。私は思い出せなかったというのに。。
Hと会って、ここに来た頃の不安な気持ちとか、助けられてすごく嬉しかったこととか、、、忘れていたいろんなことを思い出した。
今思うと、あのクラスでの経験は、不安で辛かったけど、自分を強くする良い経験になったと思う。それもHが助けてくれたから頑張れたんだと思う。

アメリカに来てから、こんなふうに素敵な出会いがたくさんあった。いろんな人に助けられて今の私がいるんだな。以前よりはずっと図太くなった…
私も友達や出会う誰かにとって、「素敵な出会い」と思えるような人間になりたいなぁ。

帰ってきました

2007-10-27 11:38:42 | Life in America
旅行から帰ってきました。「山火事」から行き先が分かったと思いますが、そうです。Los AngelsとSan Diegoに行ってきました。
おりしも、CAの中でも山火事のまっただ中の場所。
出発前日の夜、LA近郊で山火事が発生し、フリーウェイが通行止めになったという記事も読みました。でも、もう飛行機予約しちゃったし、とりあえず行くしかない、ってことで出発しました。
でも、LAの観光地、ハリウッドやビバリーヒルズ、サンタモニカは普段通り。特に変わったところもなく。普通に観光しました。
そして、San Diegoまでのフリーウェイも問題なく、予定通り、San Diegoに着き、サンディエゴ動物園などを観光してきました。

でも、San Diegoまでのフリーウェイのレストエリア(日本のサービスエリアみたいな場所)で、山火事から避難してきた人に会いました。
隣に泊まったのがトラックで、荷台に服や生活用品が山積み。どこかに売りに行くのか?ホームレス?と思ったら、車に乗っていたヒスパニック系の女の子が話しかけてきて、「あなた達、どこから来たの?」と。
のんびり、「ん?○○州だよ」と答えると、彼女は私たちも同じ避難民だと思った模様。彼女たち家族は山火事で家が燃えて、これから避難する途中だそうです。
そして実際、フリーウェイから見える山から煙がもくもく出ているのを見ました。空も煙で曇っていて太陽が濁った色。
San Diego滞在後、LAに戻るとき、同じ場所を通ったら、山が焼け野原になっていてビックリ。

私たちが滞在中、被害規模がどんどん広がって、大きなニュースになっていたのですが、旅行中なので、朝、ホテルの朝食場所でテレビを見るくらい。短い時間だし英語だし、LAだからローカルニュースで大きく取り上げているのだと思ってました。。。でも、ハリケーンカトリーナの時と同じくらい、大変な災害になっているんですよね。知らなかった私たちは幸せだったかも?
帰宅してPCを開けたら、アメリカ人の友達と日本人の友達から「大丈夫?」とメールが。心配してくれてありがとう。

さて、旅行は。
息子が飛行機で騒がないか、とか病気にならないか、とか心配だったのだけど、全然、良い子にしていてくれてほっとしました。飛行機では全くといって良いほど泣かず、静かにして、途中から寝ていました。

行き先をLAにしたのは、赤ちゃん連れということもあります。
急に病気になっても、病院を探しやすいし、お店もたくさんあるから、薬なども調達しやすい。そして、動物園などはトイレにおむつ替えの台があったり、ストローラーでも回りやすくなっていて、子連れには最適。
私たち夫婦は、都会やリゾートより、国立公園とか、自然を見られる場所の方が好みなのですが、今回は子連れというのもあって、行ってみました。
(国立公園やその他の有名観光地は、前回の赴任時に網羅してしまい、行きたいところがほとんどなかったのです。。。前回の赴任で、もう二度とアメリカに住むとは思ってなかったから。)

LAはめちゃくちゃ都会で、まるで東京みたい。
フリーウェイの渋滞には驚き。片側6車線くらいあるのに、渋滞の連続。車がびっしり。夜は渋滞の車のライトがとても綺麗。
町中は、徒歩で歩いている人が多いし、道沿いに2階建ての家があったりと、私が住んでいる辺りとは全然違って、カルチャーショック。
当然、日本人も多くて、夕食は、吉野家に日系スーパーのお弁当。あー、幸せ。
日本の旅行会社HISやカラオケ屋、ビデオレンタル屋さんもあるし、日系のスーパーは商品が充実。まるで日本のスーパーに来たようで、田舎ものの私たちは、わいわい言いながら、日本のお菓子やら寿司、ペットボトルのお茶やら買いまくってしまいました。

LAならアメリカにいて、さほど不便を感じず日本と同じような生活が送れそう。日本人も多いから、日本人の友達とつるんで、英語はあまり使わない生活もできそう。
ちょっとうらやましくもあるけど、田舎ものの私には、今の街のゆったりした生活の方が好きです。
今の街は、渋滞はあっても朝と夕方の通勤ラッシュのみ、そして限られた区間。日本の渋滞と比べたら、ほんの短時間。
日系スーパーは小さいし一軒しかないので、アメリカ人の行くグロサリーストアでほとんどの買い物を済ませるしかないけど、英語を使う場もあるし、アメリカ人と出会う機会も多く、アメリカらしい生活ができる。
楽しいことや刺激は少ないけど、のんびりしていて、自然に囲まれた生活が出来るし、住んでいる人たちも親切でやさしい。
でも、アメリカのチェーン店はほぼ網羅してるし、欲しい物はほとんど手に入る。何をするにも余裕がある。ありすぎず、足らなさすぎず、ちょうどいい街だな、と思います。
家に帰ってきたら、なんだかほっとしました。

赤ちゃん連れなので、以前のようにはあちこち回れなかったけど、息子との初の旅行、いい思い出になりました。
時間が出来たら、旅行記でも作ろうかな、、と。

理想の人

2007-10-22 15:09:32 | Life in America
youcubeをうろうろ見ていたら、10月31日発売のミスチルニューシングルのPVを発見。
旅立ちの唄
桜井さん、相変わらず素敵すぎる
カッコイイ俳優さんはたくさんいるけど、うーん、やっぱり桜井さんが一番、私の好きな顔だなぁ。笑うとき、目がなくなっちゃうような細くてたれ目のやさしい笑顔が、昔から私の好きなタイプの顔。
大昔好きだった人も目が細くてたれ目だった。

ちなみに夫も目が細くたれ目。でも、当たり前だけど、こんなにかっこよくない。
けれど、夫の弟は初めて見たとき驚いたんだけど、とっても桜井さんに似ているの。周りの人からもよくそう言われるそうだ。そして、弟は夫と違い?とーってもモテていた(笑)
…ってことは、その兄だし、少しは似てるところもあるから、初めて夫に会ったときは顔もタイプだったのかもね。忘れた…

そんな話はさておき、桜井さんの歌声は切ない。。。他の人の曲もみんな自分のカラーにして自分の曲のように歌ってしまう。さすがだわ。
あ~。youtube見て久しぶりにときめいた

…ってこんなことしてる場合ではないのだ。
明日から息子を連れて、初の家族旅行。でも行き先では山火事が発生。。
果たして観光できるのか

Unspoken Understanding

2007-10-22 06:15:21 | Monologue
昨日、久しぶりにアメリカ人の友達(DCに行って戻ってきた)に会いました。
彼はインターナショナルリレーションシップとかに興味があって、よく海外で暮らすことについて話題になります。彼自身もいつか日本で働いてみたいそうだし。
で、「キミはアメリカに住んで、いろんな意味で何か変化があった?」と聞かれました。
アメリカに来たのは3年前。ここでの暮らしもトータルで約3年。
まったく違う国でそれまでの生活をまっさらにリセットし、新しい生活へ。
環境では、多くの変化があり、特に自分の考え方や性格は、すごく変わったと思います。
この間、働いていたときの社内報を見ていて、ふと思ったのが、
「あー、私も数年前はこの会社で10年以上も働いていたんだなぁ。毎日、同じ会社に行って、同僚に会って、同じような暮らしをずっと続けていたんだよな」
会社でこの社内報を眺めていた頃は、まさか自分がアメリカに住むとは思っていなかった。
今は、アメリカで出産して育児して、アメリカ人、そのほかの国の人、ここで出会った日本人、たくさんの友達がいて、外国語で生活している。当時は、考えられなかったよなぁ。

自分の性格の変化として。
以前よりフレンドリーになったと思う。
生まれつきの性格としては引っ込み思案で怖がり、人見知りをする方でした。子供の頃は通信簿に「もっと積極的になりましょう」と毎回書かれていたし。学年があがりクラスが変わるたび、新しい環境に馴染むのに時間がかかり、友達を作るのにも苦労し。
でも、今は初めて会った人でも、気にせず話しかけられるし、誰とでもうまくやっていける方だと思います。いろんな人から「フレンドリー」と言われます。
初めてここに来たときは、無理して笑顔を作って、いろんな人と仲良くしようと頑張ってたんだけど、それがいつの間にか無理せずに自然に出来るようになり、そのまま定着した感じ。
性格を変えるのはなかなか難しいと言うけれど、海外に暮らすとかの大きな変化があると、否応なく自分を変えざるを得ないというか。
以前は「他人が自分をどう思うか」を気にしすぎていたけど、あまり人の心の裏まで考えない人が多いアメリカ人に影響され、私も「どう思われてもいいやー」と思えるようになりました。
これは年をとったせいもあると思う。世の中にはどんなに頑張っていい人になっても、私を嫌いな人は必ずいるだろうし、それはもうどうにも出来ないことだから、良い意味であきらめがよくなったというか。
他人を気にして、やりたいことを我慢する方が勿体ないと思うようになりました。もちろん他人に迷惑をかけない範囲でだけどね。

そこから派生して。
日本人の「暗黙の了解」みたいなのが苦手になってしまいました。
よく、暇なときに、日本の某大手掲示板を見ているのだけど。

「友達と出かけて、自分が車を出したとき、友達が「駐車料金払うよ」と言ってくれました。でも、「いいよ。気にしないで」と答えたら、「ああ、そう」とすぐに引っ込めました。
本当は自分が車を出すことが不満だったし、駐車料金も払ってほしかったので、こちらが言わなくても、相手から気を遣って払って欲しかった。こんな友達とはもうフェードアウトした方がいいでしょうか」

というような悩み相談がありました。
これを読んで、違和感を感じました。そんなに払って欲しいなら、友達が駐車料金を申し出た時に「ありがとう」と受け取れば良かったと思うし、不満に思うことがあるなら、何も言わずフェードアウトする前に、正直に友達に話してみたらいいと思う。だって友達だったんでしょう?

でも、他の人の意見では、「日本人のマナーとしては、駐車料金を払うと言って、「いいよ」と言われても、あともう一回か二回、「ええ、そんな。払わせて」と言うべき」というのがあって。
ああ、日本人のマナーって大変だなぁと思ってしまいました。
よくレストランのレジなどで、おばちゃんたちが「ここは私が払うわ。」「いえいえ、私が」みたいな形式上のもめ事?
相手を思いやって先に行動するのが、日本人の良さかもしれないけど、何も言わないで、勝手に心の中で相手に怒って、そのままフェードアウトしてしまったら、相手もなんだか分からないし、自分も嫌な気持ちが残るだけ。

その点、アメリカは「Yes,No」ははっきりさせる文化なので、楽に感じることもあります。
アメリカ人や他国人の友達に何か頼まれて、それが自分にとって無理だったり、負担になるなら、「ごめんね。無理なの。」と断っても、相手もあっさりしたもので、「そう、わかった」で以上、おしまい。
日本人同士だと、はっきり断れず、曖昧に答えたり、嫌々OKして、後から相手に、こちらの嫌な気持ちを察してよ、と不満に思ったり。他の誰かにそのひとの愚痴をもらしたり。
そういうのが、なんだか面倒になってしまった今日この頃。
心の中で、相手をイヤに思ってしまうくらいなら、最初から断ればいいのになぁって思ってしまう。

会社で働いてたときは、同僚の仕事ぶりに疑問を感じても、周りとの和を大事にし、本人になんて決して言えなかったし、その分、そのフラストレーションを友達と愚痴ったりしてはらしてました。
私もいかにも日本人、だったし、相手にはっきり言えないシチュエーションがあるというのは分かるのだけど。
それでも、相手のことがとことん嫌いになって、自分もストレスを感じてしまうくらいなら、その前に相手に伝えた方が前向きなんじゃないかな、と最近は思います。

相手の言葉を額面どおり受け取っちゃダメで、心の奥まで読まなくちゃいけない。日本のすばらしい文化の1つだけど、ちょっと面倒だ~

…というようなことを友達と話していて。
日本とアメリカのラブストーリーの違いについての話になりました。
私はアメリカのラブストーリーはあまり好きじゃありません。
ハリウッド映画のラブストーリーって、ある日いきなり恋におちて、すぐに両思いになり、急に何か起きてお別れ…みたいなのが多くないですか。
私は二人が恋に落ちるまでの課程とか丁寧に描いた日本のものの方が好き。たとえば、ずっと片思いだったのが少しずつ両思いに変わる、、とか。
…と話したら、片思い=unrequited love(報われない恋)は、アメリカではあまり存在しない、と。
だって、アメリカは「Yes,No」はっきりさせる文化。自分の気持ちも正直に相手にすぐ表現する。だから、「彼が私を好きなのかよく分からない。相手の気持ちが読めない」なんてシチュエーション、起こりにくいんだよね。
日本でそのような「片思い」が発生しやすいのは、今まで書いたように、本当は断りたいのに断れなかったり、好きなのに嫌いなフリしたり、、、という私が面倒くさがってる文化のせい。

そう思うと、「ここは私が!」みたいな日本の面倒くさいやりとりも、風雅で独特なもので、やっぱり素敵だな、と思ったりして???

アメリカ人と和食

2007-10-18 10:09:47 | Life in America
ランゲージエクスチェンジしているCくんが日本語クラスのクラスメイトと一緒に初めて日本料理屋に行くから、と誘われ行ってきました。

Cくんは私が勧めたトンカツを絶賛してました。「このソースおいしい!」
私の知る限り、アメリカ人に受ける日本料理はトンカツ、唐揚げ、天ぷら。肉、脂っこいというのがキーです
もう一人ゲーマーのAちゃんは抹茶アイスを食べるのが初めてだそう。おいしいと言ってくれて一安心。
初めて会った?くんは、お酒好きで、日本酒(熱燗)を頼んで大騒ぎ
「何これ。お酒なのに熱くて持てないよー」
「のどがひりひり熱いー」
Cくんは、「日本風に一気だぜ」といい、おちょこを一息で飲み干し顔が真っ赤っか。おいおい、大丈夫か。。
他の?くんは、魚の天ぷららしき料理を頼み、付け合わせの野菜の天ぷらを箸でつまんで、「これ何の野菜?」
見たところ、オレンジで丸い。多分、スイートポテト(じゃがいも)?そして、隣にはブロッコリの天ぷら。あり得ない
これがホントの日本食じゃありませんから~

アメリカ人は知らない物を食べるのを嫌がる人が多い。食に関してはとても保守的。食べればおいしいのに、見かけがイヤとか、一度食べたらテクスチャー(口当たり)が気持ち悪かったから、とかでもう二度と食べようとしない。
でも、彼らは知らない日本料理にどんどん挑戦してくれて、なんかうれしかった
見かけはイマイチな物も多いけど、アメリカ料理より繊細な味の物が多いから、食べ慣れたら絶対、日本食の方がおいしいと思うなぁ。

当然、私以外はみんなアメリカ人。
若いので、カジュアルで早い英語。ついて行けないところもあったけど、Cくんが訳してくれたり、適当に聞き流したり
ここに来たばかりの頃は、恐れ多くてアメリカ人だけの中で食事なんて出来なかったと思う。英語は上達したか謎だけど、度胸だけはついたなぁと自分で思った。
Cくんとも普段はカフェで数時間会って、日本語英語の分からない点を聞き合うくらいだったので、なんだか以前より親しみが増した。

私は久しぶりにお店で寿司を食べた。いつもはグロサリーストアの寿司ばっかりだったので、おいしかった。
でも、あの量、あの質でチップ込みで$25。たっかーい
いくらさしみなどの食材が高価とはいえ、かなり暴利をむさぼってる気がする。日本食=fancyってイメージだから、値段が高くてもお客がくるんだよね。
あー、日本の寿司が恋しい。

アメリカの若者

2007-10-15 12:16:56 | Life in America
息子はいまだに夜中に起きるので、毎日寝不足。早く寝ればいいんだろうけど、せっかく息子が寝た後は、ゆっくり家事や自分のことをしたくてつい夜更かし。そのせいか、よく立ちくらみがするのよね。食事もゆっくり取れず、栄養が偏ってるのもいけないのかも。

でも、夫が子供を見てくれる土日は、唯一一週間で一人で出かけられるときなので、つい土日にも予定を入れてしまいます。今日は久しぶりに日本語勉強中の大学生Cくんに会ってきました。
彼はまだ若く、いかにもアメリカの若者!って感じ。見かけはトム・クルーズ似のなかなかのハンサム。私からするとちょっと濃すぎる顔だけど
先週受けた、学校の日本語テスト、かなり良い成績だったんだって。ちょっと興奮気味で嬉しそうに話していて、オバチャンは「良かったね~」と微笑ましく思いました。
来年の夏にある音楽関係のイベントに3ヶ月間参加したいので、今お金を貯めているんだって。また、親と同居はしてるけれど、学費やお小遣いは自分ですべて払っているそう。だから、ダンスの先生をしながら、コミュニティカレッジに通い、夜はブロックバスターでアルバイト。昨日も夜中の2時間に帰宅したそうだ。
一日10時間働いているって
若くて夢があるから、頑張れるんだよね。いいなぁ。
アメリカに来てから、こんなふうに自分の夢のために頑張ってる人にたくさん出会った。そのたび、私も頑張ろう、って良い刺激をもらってる。
日本の一般的大学生というと、大概は親に学費を払ってもらって、授業は卒業のための単位がもらえるくらい最低限出席。あとはコンパにサークルに趣味に…って感じだよね。
でも、アメリカはIndependentを良しとする国、高校卒業すると、「あとは自分の力で生活しなさい」という家庭が多い。同じ街に親が住んでいても、一人暮らしして自立する子も多い。親に頼ってるのは恥ずかしいことって思うみたい。
奨学金を取得したり(そのために頑張って勉強する)アルバイトを掛け持ちしたり…そのせいか、日本の同じ年の子たちより、考え方がしっかりしていて、未来を見据えている人が多い気がする。

私なんて、育児しかしてなくて、夫が働いて家計を稼いできてくれるんだから、彼より楽かも???
育児の合間に将来のために何か勉強でもするべきかもねぇ。。とまた改めて思った。
でも、なかなかやる気が起きないんだけど

わらびもち with 黒みつ

2007-10-12 10:30:57 | Life in America
アメリカ人のお友達の家に遊びに行くので、日本のデザートを持って行こうということで、わらびもちを作ってみた。
…ってか、「作る」という言葉を使うのもおこがましいほど簡単でした。

材料は、韓国系グロサリーストアで買ったわらびもち粉、黒糖
わらびもちは鍋に粉を入れ、砂糖と水を加え、かき混ぜながら煮るだけ。固まったら、氷水にスプーンで落とし入れてハイ、でっきあがり
黒みつは、黒糖、グラニュー糖少し、水を入れてやっぱり鍋で煮るだけ。煮詰めすぎると固まってしまうので少し注意が必要だけど、これまた簡単。

でも、これがまたおいしーのですアメリカのシュガーフロスティングべたべたのケーキなんかよりはもちろん、自分で作るチーズケーキやシフォンケーキなどの洋風ケーキより、うまい
ケーキは分量をきっちり量ってよくかき混ぜて、手間がかかるわりにふくらまなかったり失敗もおおいけど、わらびもちは誰でもできるそして材料費もめちゃ安い。
わらびもち粉$1.99
黒糖$1.49
なり。

私は黒みつが大好きで、以前からどこに売ってるんだろう、、と日系スーパーをうろうろ見ていたけど見つからず。
ネットで検索したら、黒糖と水をただ煮詰めればできると知った。
簡単に出来る物だから、わざわざ販売してないのね。
自分で作ったのは、良質の黒糖を使ってる日本の和菓子やさんのよりは味は落ちるだろうけど、こだわらない私には全然OK

あ~、しばらく黒みつデザートにはまりそう。次は白玉粉にしようかな。うふっ

Flat tire...

2007-10-11 12:43:25 | Life in America
息子の風邪も治ったし、さぁ張り切って今日も教会のESLに行くぞ~
早起きして準備万端、車で出発したところ…
フリーウェイを走行中、ぱんっという音が。
いや~な予感
フリーウェイを降りて信号で止まり、走り出したらなんか車がガコガコする。
あ~やっぱり。
すぐに横にあったお店の駐車場に入り、停めて見てみると、思った通り前輪の左側がパンクしてました
息子も車に乗ってるし、自分でスペアタイヤを付けられないので、夫に電話。
私はただフツーに走ってただけで不可抗力だと思うんだけど、夫は不機嫌。私を責めないでよ~。

実はアメリカでのパンクはこれで2度目。
だから、夫も慣れた物でさっさと処置してくれました。そして、私も「ああ、またか」と慌てず騒がず冷静。
日本だったら、パンクなんて一生に一度あるかないか、、だよね。

人生初のパンクは前回アメリカに住んでいたとき。まだアメリカに来て、数ヶ月が経ったばかりで、かなり焦った。
その日もESLに行く途中で、車を走行中、大きな穴があったのに気付かずそこにはまってしまい、速攻でパンク。
今回も同じような時間帯、同じ方向、、うー。何で私ばっかりアメリカで2度もパンクを経験しないといけないんだぁ~
ついてないかも。

アメリカは余程の都会のど真ん中にでも住んでない限り、車は必須。どこに行くにも車で、かなりの距離数走る。
たくさんの車が走るせいで道路の舗装は荒れていて、路面の状態が悪い。
そして、この街はかなーり暑いので、タイヤの摩耗も激しい。
…というようなことが、パンクが多発の理由だと思われるけど、なんかついてないよな。

なので、家に帰って、息子の昼寝中せっせとクロススティッチをした。
育児で家にいることが多くなったので、最近クラフト熱に目覚めた私。前回アメリカに来たとき、日本から暇な時にやろうと思って持ってきた手芸キットをほとんど仕上げてしまった。3年もずっと段ボールの中で眠ってたのに(笑)
子供の頃はフェルトでマスコットを作ったりするのが好きで、見かけによらず手先が器用だとよく言われたんだよね。家庭科の成績も良かった。
単純作業の繰り返しのクロススティッチは、何も考えずにひたすらチクチク縫っていると、何故かストレス解消になる。少しずつできあがっていくのも達成感があるし。
子供が出来て、新しい趣味を発見した気分。

「The Giving Tree」

2007-10-06 13:11:05 | Review
昨日より多少マシにはなったとはいえ、今日も不機嫌な息子。家にいるよりお散歩した方が飽きずに周りをきょろきょろしておとなしくしてくれるので、今日も近くのTJ-Maxまで歩いていきました。久しぶり(…といっても15日ぶりくらいか?)だったので、新商品が入荷していて、掘り出し物もいくつか。
で、ずっと欲しかった絵本「The Giving Tree」を発見したので、買いました。

この絵本は、30年以上前に出版され、とても有名で絵本のベストセラーです。
翻訳版「おおきな木」を子供の頃にどこかで読んだことがあります。表紙の緑がきれいだったことが印象的。
でも、欲しいと思ったのは子供が生まれて、絵本を買うことが1つの趣味になってから。初めて読んだ時は、「ふーん。可哀想な木。」くらいで大した感想はなく、そのまますっかり忘れていました。

改めて読んでみると。
簡単な短い文章、白黒の絵、とてもシンプルな絵本です。
だからこそ、読んだ人がそれぞれ違う感想を持つことができる本。
自然破壊への戒め、とも取れるし、親子の愛、とも、キリスト教の無償の愛、とも取れる。
多分、読んだ人一人一人、受ける印象が違うと思います。
私はただ単に、「愛すること」についての絵本だと思いました。与えて与えて、ひたすら与え続けて、でも何一つ見返りは求めない。
普通に見たら、木はとても不幸なのだけど、本人はとてもとても幸せだった。
誰かを愛すること、って、相手が何かしてくれることを期待したりせず、ただ相手を愛する、その気持ちだけで幸せになれるんだな、と。
それだけで十分、幸せで、愛せる誰かに出会えたら、それだけでとても幸せなことなんだと。

自分が親になった今、木はお母さんで、少年は息子なのかな、という見方もできます。私はこんなふうに無償の愛を捧げることができるのかどうか。
でも、愛する息子に出会えたことだけで、幸せなんだよな、と思いました。

多分、次に読んだら、また違う感じ方をするかも。子供用の絵本だけど、大人になってからも何度も読める、とても深い本です。

忍耐…

2007-10-05 13:58:19 | Kids
息子も無事6ヶ月になりました。6ヶ月検診では問題なし、で一安心でしたが、現在、風邪を引いていて、咳がひどいのです。
小さい身体でゴホゴホゴホとても辛そうで可哀想なのだけど…
赤ちゃんは言葉が話せないし、自分が風邪を引いていて、それはおとなしくしていればそのうちに治る物だということも、当然分かりません。
だから、不快な気持ちは、唯一の手段泣くことでしか表現できません。
分かってるんだけど…
一日、機嫌が悪くて、グズグズ泣き、涙をハンカチで拭いただけでぎゃーーーーーー火がついたように泣きます。
高めの位置で立て抱っこしてうろうろ歩き回ると、直に泣きやむのだけど、まさかずーっと立ってるのは体力的に辛い。
で、そーっと座ろうとするとまたぎゃぁぁぁーーー
仕方なく立って歩き回り、、今度はお座りの状態で椅子に座らせようとするとまた、ぎゃぁぁぁぁぁぁあ
これを何度繰り返したか。。。
で、根本的にお腹が空いてるから機嫌が悪いので、ミルクを飲ませようとすると、のどが痛むのか途中でぎゃーーー
そしてまた抱っこして歩き回り、落ち着いてきたからまたミルクを、、、と思うと、ぎゃーーーーーミルクを見ただけで拒否。
それを何度か繰り返しどうにかミルクの飲ませても、今度は眠くて機嫌が悪い。泣いてばかりいるから疲れてすぐに眠くなるし、大声を張り上げてのどだって痛くなる。
そんな感じで、今日は機嫌の悪い息子をなだめるのに何時間費やしたか。。

一昨日の夜は、咳のせいで1時間置きに泣きました。そのたび、ミルクあげたり、抱っこして寝かしつけたり。さぁ、寝付いた、私も寝よう、と眠りに落ちると、またぎゃーーーー
これは拷問か
いつだか、拷問の一種で、罪人をずっと眠らせない拷問があると聞いたことがあります。うとうとしかけると、そこで水を掛けたり、顔を叩いて眠らせない。まるでそれみたい。。。

あまりにも疲れてうんざりして、赤ちゃんから離れた場所で「うるさーい」とまた言ってしまいました。
以前はそんな自分に自己嫌悪を感じたけど、最近はそのくらい言うだけで済むなら、まぁいいか、と。。
私だってただの人間だし、お母さんになったばかりのビギナーだし、ねを上げたくなるときだってあるさ。

自分の思い通りにならない一人の人間を育てるって本当に大変。
この年になって、まさに忍耐力を試されてる気分。はっきり言ってこんなに忍耐を試されたことは、社会人になって10数年、、、一度もなかったような気がします。
働いていたときも辛いことはあったけど、会社から帰宅すれば自由時間も持てるし、仕事で頑張れば、給料という目に見えるリターンがある。
でも、育児は朝から晩まで。夜だって休めない。そして、頑張ってもその成果はすぐには目に見えにくい。いつかは息子が私に感謝してくれる日が来るかもしれないし、息子が良い子に成長してくれればそれがリターンになるけど、それが分かるのはまだずっと先。
あ~。育児は育自、って本当です。

…と、これから子供を持つ人にネガティブな意見を書いてしまった。
でも、泣き叫ぶ息子にうんざりしても、一瞬機嫌が直って、ニッコリ笑う笑顔を見ると、それまでの気持ちがふっとんで、「なんてカワイイのまぁいいか~。」と思えるのは、すごい。赤ちゃんってその笑顔が生き抜くための唯一無二の武器なのね。

明日はどうしても行きたい予定があったのに、敢えなくキャンセルしました。
早く息子の風邪が治ってほしい~。