先週、父が亡くなりました。
昨年末に骨折で入院して2ヶ月余り、、、家にいたときから持病のせいでかなり弱っていて、不安はあったものの、まさかそのまま亡くなってしまうなんて。
なんだか亡くなった実感があまりないんです。
葬儀のとき、入口の横に掲げられた父の名前がまるで冗談みたいで。笑ってる遺影も、私が選んだのに、どっきりカメラのいたずらみたいな感覚。
家に帰って動かない父を見たとき、棺に花を入れてあげたとき、お骨を骨壺に入れたとき、泣きまくったのだけど…
お通夜、告別式と済んだ今、余りにも忙しかったのが終わり、ほっとしたせいか、あんなに泣くことはほとんど亡くなりました。
薄情な娘かな、私。
骨折後に手術して、最近はようやく車いすに乗せてもらい談話室で話せるようになってきたのに、最期は肺炎にかかり、人工呼吸器をつけられて、数日後昏睡状態になり、その翌日、急に亡くなってしまいました。
主治医は危篤とも何もいってなかったので、その日も母と普通にお見舞いに行き、ICUの扉の前で、面会できるのを待っていたら、いきなり「病状が急変して」と看護師に呼ばれ、中に入ったときには、心拍を表示する画面の心拍のところが「0」になっていて、まるでドラマのようでした。
さけんで泣いて、一緒にいた子供も怖かったようで、ずっと泣かせてしまって…きっとトラウマになるだろうな。
死んだ後、悲しくて泣いて。どうして、そんなに辛いのか、考えてみました。そうして整理しないと、泣いてばかりで死を受け入れられなくなりそうだったから。
そして、分かったのは、ありきたりな答え。「死」って究極の別れ、なんだな、ってこと。
世界のどこを探しても、父はもういない。もう二度と、姿を見ることも、話すことも、叶わない。どんなに願っても、絶対に叶わない。
もう会えないんです。
私が生まれてから当たり前にそばにいた父。100%、子供を許してくれる親という存在。42年の長き間、親しんだひとにもう、会うことは出来ないなんて、なんて悲しいことでしょう。
でも、死より辛かったのは、人工呼吸器になって、ICUで寝ていたときかもしれません。
口から呼吸をさせるための器具を喉の奥まで入れるのですが、かなり痛みや違和感があるため、それを薄れさせるために鎮静剤を使うそうです。
だから、人工呼吸器をしている間は、意識はもうろうとしていて、寝ているような状態。話すことはできません。
時折苦しそうにするあえぐ父。日に日に弱っていく姿。
ICUにお見舞いに行くのが本当に辛くて。病院に近づくにつれて、ドキドキして、ドアの前でドアを開けてもらうため、インターホンを押すときは、胸が押しつぶされるような気分だった。
いろんな器具をつけて苦しそうに寝ている父が可哀想で可哀想で。
手を握ると、腕には何かの器具をつけたときの跡なのか内出血がいっぱいで、痛々しくて、手は2倍くらいにむくんでいて。
病院から帰っても、今も父があの姿で苦しんでるのかと思うと、辛くて、子供の前で号泣して驚かせてしまったこともありました。
父は長年糖尿病だったり、背中をおかしくしてから歩くのが不自由になったりで、ここ数年は家にいることが多く、少しずつ弱っているのを私も感じていました。
骨折で入院する前も救急車で運ばれることが多くて、毎日心配で、母に父のことを聞くのが怖かった。
最近は身体のあちこちが痛んだらしく、「痛い、気持ちが悪い」と言うことが多くなり、食欲もなくて。趣味の山歩きや旅行にも行けなくなり、笑った顔を見ることも少なくなっていました。
痛くて辛そうな父を見るのが何より悲しかったから、たとえ会えなくなっても、あらゆる痛みから解放されて、天国で自分の足で歩いているのなら、その方が良かったな、って。
そう思うと、哀しみも薄れる気がするのです。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
生涯を旅に捧げた芭蕉の辞世の句。
昏睡状態に陥って、なんの反応も見せない父を見ながら、「旅行に行く夢でも見ているのかな」って思った。
旅行が大好きだったから。
2ヶ月間、病院にいて、何度も病院に行ったので、ふとお見舞いに行ってしまいそうな気分。
読書好きで、頼まれてamazonで注文した本を渡した翌日、体調が悪くなったので読み切れなかったことでしょう。可哀想に。
頼まれて予約した図書館の本も、せっかく順番が回ってきたのに。キャンセルしたよ。
予約したときはまさか、こんなに早くいなくなるなんて思ってなかった。
実家で母と話したり、子供を遊ばせていると、父の声が聞こえるような気がします。
どうか天国では痛くありませんように。
長い間ありがとう。
生まれ変わっていつかまた会おうね。
昨年末に骨折で入院して2ヶ月余り、、、家にいたときから持病のせいでかなり弱っていて、不安はあったものの、まさかそのまま亡くなってしまうなんて。
なんだか亡くなった実感があまりないんです。
葬儀のとき、入口の横に掲げられた父の名前がまるで冗談みたいで。笑ってる遺影も、私が選んだのに、どっきりカメラのいたずらみたいな感覚。
家に帰って動かない父を見たとき、棺に花を入れてあげたとき、お骨を骨壺に入れたとき、泣きまくったのだけど…
お通夜、告別式と済んだ今、余りにも忙しかったのが終わり、ほっとしたせいか、あんなに泣くことはほとんど亡くなりました。
薄情な娘かな、私。
骨折後に手術して、最近はようやく車いすに乗せてもらい談話室で話せるようになってきたのに、最期は肺炎にかかり、人工呼吸器をつけられて、数日後昏睡状態になり、その翌日、急に亡くなってしまいました。
主治医は危篤とも何もいってなかったので、その日も母と普通にお見舞いに行き、ICUの扉の前で、面会できるのを待っていたら、いきなり「病状が急変して」と看護師に呼ばれ、中に入ったときには、心拍を表示する画面の心拍のところが「0」になっていて、まるでドラマのようでした。
さけんで泣いて、一緒にいた子供も怖かったようで、ずっと泣かせてしまって…きっとトラウマになるだろうな。
死んだ後、悲しくて泣いて。どうして、そんなに辛いのか、考えてみました。そうして整理しないと、泣いてばかりで死を受け入れられなくなりそうだったから。
そして、分かったのは、ありきたりな答え。「死」って究極の別れ、なんだな、ってこと。
世界のどこを探しても、父はもういない。もう二度と、姿を見ることも、話すことも、叶わない。どんなに願っても、絶対に叶わない。
もう会えないんです。
私が生まれてから当たり前にそばにいた父。100%、子供を許してくれる親という存在。42年の長き間、親しんだひとにもう、会うことは出来ないなんて、なんて悲しいことでしょう。
でも、死より辛かったのは、人工呼吸器になって、ICUで寝ていたときかもしれません。
口から呼吸をさせるための器具を喉の奥まで入れるのですが、かなり痛みや違和感があるため、それを薄れさせるために鎮静剤を使うそうです。
だから、人工呼吸器をしている間は、意識はもうろうとしていて、寝ているような状態。話すことはできません。
時折苦しそうにするあえぐ父。日に日に弱っていく姿。
ICUにお見舞いに行くのが本当に辛くて。病院に近づくにつれて、ドキドキして、ドアの前でドアを開けてもらうため、インターホンを押すときは、胸が押しつぶされるような気分だった。
いろんな器具をつけて苦しそうに寝ている父が可哀想で可哀想で。
手を握ると、腕には何かの器具をつけたときの跡なのか内出血がいっぱいで、痛々しくて、手は2倍くらいにむくんでいて。
病院から帰っても、今も父があの姿で苦しんでるのかと思うと、辛くて、子供の前で号泣して驚かせてしまったこともありました。
父は長年糖尿病だったり、背中をおかしくしてから歩くのが不自由になったりで、ここ数年は家にいることが多く、少しずつ弱っているのを私も感じていました。
骨折で入院する前も救急車で運ばれることが多くて、毎日心配で、母に父のことを聞くのが怖かった。
最近は身体のあちこちが痛んだらしく、「痛い、気持ちが悪い」と言うことが多くなり、食欲もなくて。趣味の山歩きや旅行にも行けなくなり、笑った顔を見ることも少なくなっていました。
痛くて辛そうな父を見るのが何より悲しかったから、たとえ会えなくなっても、あらゆる痛みから解放されて、天国で自分の足で歩いているのなら、その方が良かったな、って。
そう思うと、哀しみも薄れる気がするのです。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
生涯を旅に捧げた芭蕉の辞世の句。
昏睡状態に陥って、なんの反応も見せない父を見ながら、「旅行に行く夢でも見ているのかな」って思った。
旅行が大好きだったから。
2ヶ月間、病院にいて、何度も病院に行ったので、ふとお見舞いに行ってしまいそうな気分。
読書好きで、頼まれてamazonで注文した本を渡した翌日、体調が悪くなったので読み切れなかったことでしょう。可哀想に。
頼まれて予約した図書館の本も、せっかく順番が回ってきたのに。キャンセルしたよ。
予約したときはまさか、こんなに早くいなくなるなんて思ってなかった。
実家で母と話したり、子供を遊ばせていると、父の声が聞こえるような気がします。
どうか天国では痛くありませんように。
長い間ありがとう。
生まれ変わっていつかまた会おうね。