—若狭高浜dreams—
ベターな名前だがまぁいいだろう。
早く試合がしたい。
そう思えるようになっていった。
「まずは、ニュースポーツ杯か。。。」
ニュースポーツ杯とは、6年生野球チームが出場する公式大会である。
数少ない公式戦の一つであり、知名度のある大会でもある。
10月の初旬頃だった。
ある時、ある疑問が私の頭をよぎった。
「ニュースポーツ杯の申し込みってどうすればいいのか?」
—若狭高浜dreams—
誇らしげに名付けたものの活動の目途はない。
「そうか、先方に申し込みの連絡をしてみよう」
会社の昼休みを利用して電話を掛けてみた。
すると、こう返答があった。
「現在、ダイレクトメールで参加チームを募っている段階です。募集32チームですが、現在、30チームから申し込みはあります。残りは2枠。そして、まだ返信してこないチームが10チーム以上あります。締め切りは来週末です。」
「へ?・・・・・」
言葉が出なかった。
しかし、よく考えてみればわかる事だった。
若狭高浜dreamsと名乗ったところで、これは架空のチームだ。
福井市をはじめ各市には、引退した6年生達に野球ができるようにと受け皿となるチームが設けられている。
だから引退後はそのチームに入るのが当たり前で、そこで活動する事となる。
過去、マリナーズを引退した6年生達は、どこかのチームに入れてもらう体制になっている。運営については一任している。私は、和田で過去に例のない6年生野球チームを作って、且つ運営をしようとしている。しかも野球未経験者だから野球における人脈は全くない。
しかし、わずかな人脈を辿った。
マリナーズで1学年先輩の保護者であった良子ちゃんに電話して、前年はどんな活動だったのかを詳しく聞いた。これまた1学年先輩の高浜クラブの保護者にもメールで同じような事を聞いた。
返答の結果、今年は公式戦に出場できない事がかなり濃厚であった。
「やはり、失敗してしまった・・・」
何も考えずに進めてしまった事を大きく後悔した。
2.3日程だっただろうか。
真剣に考えた。
この先をどうしようかと。
みんなが6年生野球が始まった事を喜んでいる。
そして楽しみにしている。
とある日の夕方。
練習試合でもなんでもいい、とりあえず紹介してもらえないかと、帰宅後すぐに県内にあるスポーツ店を調べた。
五十音順でまずはオザキスポーツ。
この時、ある人物から会長宅の我が家に何度もあった電話の内容を想い出した。
その人物とは元監督(現代表)である。
この人からは、練習試合が決まる度に電話をもらった。
春の県大会出場後は、特に掛かってきた。
しかも会話の入りだしのほとんどはこれだった。
「今、オザキスポーツから電話があって練習試合が決まった」
「これだ!」
私は瞬時にひらめいた。
若狭和田マリナーズを知ってくれるここならば、試合を紹介してくれるだろうと。
「オザキスポーツ主催の公式戦」
担当者と会話をし、このような大会があった事をはじめて知った。
必死で頼み込んだ。
想いが届いたのか、快く引き受けて下さった。
締め切りは10日後。
電子メールで概要と申し込み書が送られるので、返信すれば出場が受理されるとのこと。
電話を切った後、私は妻と子供達に喜びを伝えた。
そして同時に若狭和田マリナーズに感謝した。
この1年間、県内で名を馳せてくれたこと。
練習試合をオザキスポーツにお世話になっていたこと。
本当に有り難かった。
私は頭の中を切り替えた。
「私には人脈はないが、マリナーズが作ってくれた人脈はたくさんある」
次に小浜市のスポーツ店オンユアに行ってお願いをした。
すると、小浜市の6年生野球チーム代表者の連絡先を教えてくれた。
そして連絡を取って交流試合の約束をした。
ここから妻がLINEグループを作成してくれた。
青郷の保護者も含め連絡が取り合える環境が整った。
状況が上向きになれば、更に運気は上がるものだ。
現役の練習日、ひょんな事からニュースポーツ杯のことを元監督に相談してみた。
すると、元監督からも先方へ打診してくれた。
言っておくが我が家には2年生になる次男坊がいる。
この次男坊も野球を習っているため、私は現役組の練習に顔を出せるのである。
そして数日後、この大会の出場も決定となった。
この頃から6年生野球の事を考える忙しい日々が続いた。
そんな中、ここで私は若狭高浜dreamsのHPを作製する事にした。
こんなチームが存在する事を知ってもらう為にだった。
正直、意味があったかどうかは知らない。
だけど、できる事は全てやるだけだった。
10月に突入しても、中々練習日が設けられずにいた。
祭礼や行事ごとが多くあったためだ。
おまけに和田組は、タグラグビー大会に向けての夜間練習をも並行させた。
ろうきん杯に敗れ、途方に明け暮れた日々が少しずつ薄れていく。
6年生野球の2つの公式戦に加え、小浜市のチームとの交流試合。
そしてタグラグビー。
保護者の顔つきが以前のように戻っているのが分かった。
それが何よりも嬉しかった。
また、中学校の部活の体験会。
これについても顧問に連絡をして11月上旬に予定を組んでもらえた。
あの時、このチームでの活動を諦めていれば全ては無くなっていた。
諦める訳にはいかなかったその理由。
子供達が、迷わず私について来てくれていたこと。
そして、今年のマリナーズの会長をしてきたというプライド。
この2つだった。
10月も下旬に突入した。
後輩達が出場する若狭地区の新人大会。
ここで一つの行動を試みるつもりで足を踏み入れた。
その試みとは、スリーアローズの6年生保護者とのコンタクトだった。
マリナーズの試合よりも前にあったスリーアローズの試合。
この試合を蒼空と2人で見に行った。
すると、やはり知人の6年生保護者の姿がそこにあった。
—せっかくなので高浜と大飯一緒に練習をしてみないか—
知人の6年生保護者とは私の後輩にあたる。
そう提案すると、応援席にいたある方を紹介してくれた。
その方とは、スリーアローズの元事務局だった。
お互いに少人数な即席チーム同志。
わずかな時間での会話。
合同練習及び交流試合をする方向で決定した。
そしてこの出会いが、後に6年生野球活動の大きなカギになるのであった。
つづく