蒼い空の下で

文系男子の何気ない1日を記します。

春らしい1日

2017-03-25 22:20:31 | 日々
今日は朝から実家へ。
祖母の三回忌法要でした。

忙しい事を理由にして実家には帰れていません。
その為、久々の帰宅でした。

祖母が亡くなったのは今から2年前のこと。
春の県大会予選を終えた翌日のことでした。

私は、ばあちゃん子です。
—内孫の長男—
どの孫よりも大事に育てられました。

あれから2年。
二人の息子達は大きく成長しました。
多少のやんちゃはありますが、根はやさしい子達です。
この春から長男は中学生。
そして二男は小学3年生。
この子たちが今と変わらず健やかに成長するよう天国から見守ってもらいます。

久々に親戚と顔を合わせましたが、叔父や叔母も歳を重ねました。
私も40歳を超えた訳ですから当然と言えば当然であります。

今晩はマリナーズの定期総会。
半期の活動報告などが行われ、その他にも意見交換がありました。

明日は、ホームグラウンドでの練習試合。
タイヤ交換をしてから見に行きたいと思います。
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6年生野球物語Last~全ての人に感謝~

2017-03-24 23:29:10 | 6年生野球
3月に入ると雪塊も少しずつ姿を消す。
残す活動期間は1か月足らず。
3月12日の交流戦と18日と19日の2日間で予定する公式戦。
これらに向けての最終調整を行っていく。

マリナーズは卒団式を3月4日に終えた。
在団員達が素晴らしい卒団式にしてくれた。

翌日、佐分利で練習を行う。
2月に入ってから新監督が指導する。

—佐分利レッドソウル—
2013年から発足した大飯スリーアローズの前身チームである。県大会での輝かしい実績をも残す。そして、このチームが輩出した20代前半のOB達が、2月の途中から指導をしてくれた。その顔ぶれの中には、甲子園球児の姿もあった。

この日は、レッドソウルのOB達が実践練習に尽力してくれた。
本当に有り難かった。

こうした状況から察知できたこと。
マリナーズが強かったのは単年だけのこと。
ずっとは続かない。

スリーアローズには、本郷イーグルスと佐分利レッドソウルの伝統が引き継がれている。歴史や伝統、そして後援力は並大抵ではないと予測する。そして、こうしたチームは本当の強さを兼ね備えているものである。

3月11日が最後の練習日。
小雨が降ったり止んだりする中、終日練習を行った。
お昼には、母親達が味噌汁を準備してくれた。
みんなが一緒に昼ごはんを食べた。
派手さは無いが、いいチームだ。

私は、そう思いながら眺めていた。

1週間が経過し、3月12日が訪れた。
敦賀市での交流試合。
絶好の野球日和であった。
我が家は子供会の行事に参加してから移動した。

たいした情報ではないが、対戦相手はオール敦賀の1軍と2軍らしい。
失礼な事を言うようだが、この1年間はマリナーズよりも強いチームが敦賀市にあったとは記憶にない。
だが、この時期の子供達は成長が著しい。
半年以上前の事は参考にもならない。

結果1敗1分け。
とりあえず、次週の公式戦に弾みをつけた。

そして3月18日。
とうとう最後の公式戦を迎える。
「敦賀学童野球卒業記念大会」
前日に卒業式を終えた子供達だが、体調不良を理由に公希の姿はない。

そんな中、1試合目は最終回までもつれた。
たが、亘佑の特大ホームランで同点で終える。

この試合、ボールボーイをしていたのが私と周平の父親。
仕事を忘れ、うるさい程の声を出していたようだ。
後に大暉と温喜の父親にこう言われた。
「2人ともうるさすぎる。退場やな。」と。

2試合目の開始前、こはると彩音がソフトボールの練習を早退して応援に駆けつけてくれた。
この2人は、秋まで一緒に6年生野球をしてきた。
彼女達の応援はとても嬉しかった。

その結果、2試合目を勝利して初日の成績を1勝1分けとする。

試合を終えると子供達が楽しそうに遊んでいる。
みんなで苦楽を乗り越えてきた事がそこに現れていた。

—いいチームだー
明日で最後にするのは、とても寂しい。
もう少しだけこの仲間と一緒に野球をしていたい。
誰もが思っていた事である。

3月19日の最終日は、4~6位の順位決定戦に挑む。
初戦は、前日に勝利した芦原が相手となった。
劣勢に立たされ、追いかける立場となる。
結局、追い上げならず惨敗。
最後の1試合に全てをぶつける。

最後の試合で先発マウンドに上がったのは蒼空。
打たれたが、よく投げた。
そして、途中からレフトの守備にいた温喜に託す。

温喜にボールを渡した時、蒼空はこう伝えたと後に聞く。
「ごめん、温喜くん。任せたで。」

若狭和田マリナーズのエースと大飯スリーアローズのエース。
2人のポジションが入れ替わった時、改めてチームメイトである事を実感した。
試合は、大暉や悠矢の好走塁から大逆転する。
最終戦を見事に勝利した。

試合を終え、監督を中心とした円陣が組まれた。
それぞれがいい表情を見せていた。

会場を退く前に保護者及び子供達からお世話になった指導者へお礼をした。
その瞬間、様々な思いが蘇ってきた。
約半年間の活動。
様々な困難を乗り越え、この日に辿り着いた。

指導者へのお礼を終えて帰り支度をしようとした時だった。
公子さんと史枝さんと一緒にいた妻が私を呼んだ。

妻の手には「お礼」と書かれた封筒があった。
そして、そこには6軒の連名が書かれていた。
連名は、マリナーズ時代に苦楽を共にした同学年の保護者であった。

「2人(私と妻)がおらんかったら、6年生野球なんかできんかった。本当にありがとう。」
公子さんと史枝さんがそう添えてくれた。

私は空を見上げた。
すると、そこには6年生野球で一緒してきた子供達の姿がかすかに見えた。

しばらくすると子供達は振り返った。
それぞれの未来へと歩み始めたその背中は、しばらく見ない内に少しだけ大きくなったように見えた。

そして最後にこう届けた。

—今までありがとう—

                        
                       おわり

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6年生野球物語④~We are one team~

2017-03-23 23:24:36 | 6年生野球
—師走の候—
2016年も残すは1か月となり、SMAPの解散が秒読みとなる。
紅白歌合戦には出場するのだろうか。
気になるところだ。

12月に入ると、外気温は低くなりグラウンド練習が困難になる。
6年生野球の活動も滞りがちとなる。

だが、11月に行った大飯との交流会で、お互いにオフシーズンとなる冬場をどうしていくのかを確認していた。

大飯の元事務局も私と同じ考えだった。
「大飯郡の合同チームとして活動をしていく」

6年生野球には、様々な目的が考えられる。
中学校までの期間、野球が出来る環境を作ってあげる。
単に野球の技術を上達させる。

だが、私が考える本来の目的はここにはない。
私自身、6年生野球の本来の目的は1人でも多くの仲間と交流する事と考える。

野球を通じて知り合う仲間。
その仲間をいつまでも覚えていてほしい。
そして仲良くなってほしい。
それが、たとえ中学校で敵同士になったとしてもである。

11月の終わり頃から大飯の元事務局と協力していくこととなる。
ほんの数か月前までは、ライバル関係にあった仲である。
それが今では一緒に取り組もうとしている。
不思議なものだ。

そして、ここから新たな活動を開始させる。
今度は「大飯」「高浜」といった区分けではなく「大飯郡」という一括(ひとくく)りで。

しかし、ここで女子2人が本格的にソフトボールにのめり込む。
そしてボーイズへ行こうとする子も出てきた。
名田庄組と青郷組はそれぞれ多忙な週末。
野球を一休みしようとする子も出てきた。

しばらくは、大飯と和田の面々だけでの練習となる。
寂しいが、しょうがない。

既に両チームの指導者はそれぞれ退任している。
公式戦が終了するまでという約束だった。

—指導者不在—
保護者全員で指導をしていく事となる。
微力ながら私もできるだけの事をした。
これでも私は、スポ少の指導者講習を受講し指導資格を持つ。

—春先になれば、佐分利から新たな指導者が来る—
その思いを抱き、それまでの間、保護者が協力して子供達の面倒を見ていくこととなる。

12月23日(祝)にマリナーズの納会が行われた。
久し振りに6年生8人の姿を見る。
元気そうで何よりだった。
そして、ここで年明けから6年生野球に携わるのは3人だけという事を確信する。

そうこうしている内に2017年が明ける。

和田からの参加は3人のみとなった。
悠矢と亘佑と蒼空を乗せて佐分利まで通い続けた事を思い出す。
それが、たとえ大雪に見舞われたとしても通った。

15日の初練習はシャレにならない程の積雪だった。
山間地の佐分利は、かなりの雪化粧になる。
子供達は、到着するとわずかな時間で雪合戦を楽しんだ。

大飯の保護者とも面識が出来始める。
大暉の父親、周平の父親、そして温喜の父親。
この3人は、私がこの一冬を一緒してきた仲間である。
子供達と一緒になってサッカーやポートボールをして汗を流した。

4人とも春先の試合を楽しみにした。
体育館では、キャッチボール程度でしかボールを扱えなかった為、色々と工夫した練習メニューを考えた。

ある時、我が子がインフルエンザになった。
その時は、悠矢と亘佑だけを乗せて練習にも行った。

和田小を会場とした練習も数回行った。
遠方であったとしても名田庄メンバーが来てくれた。

【We are one team】
当初は大飯と高浜という区切りがあったのか、子供達も喋っている風には見えなかった。だが、練習を重ねていくうちにそれは解かれていく。

気付けば3月に突入。
現役もグラウンドで練習を始める。
長かった冬もこれで終わりか。
ようやくといった感じだった。

そんな中、温かな日差しがそれを予感させた。
とうとう6年生野球が終わりに近づいたことを。

                    つづく



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6年生野球物語③~11人で過ごした日々に終止符~

2017-03-22 23:43:02 | 6年生野球
—2016年10月23日—
午後からは、ビジターで若狭小浜DEARBOYSと交流試合。
この試合を皮切りに、叶都の父親が監督を務めてくれた。

この試合、少しだけ大人びたプレーにみんなが一喜一憂した。
遠方にも関わらず、たくさんの保護者が駆けつけた。
6年生野球の楽しさを予想以上に実感した。

充実した1日だった。
帰る途中、スリーアローズの元事務局から連絡が入る。
要件は30日に大飯と高浜の両チームで行う交流試合についてである。

夕食時、蒼空にそのことを伝えると喜んだ。
翌日、学校で仲間達に伝えるとやはり同様であった。

私は、大飯と交流した日をこう記憶している。
午前は18人で全体練習。
練習前は、きれいな円陣が組めずにいた。

スリーアローズとマリナーズ。
この1年間を切磋琢磨した間柄。
お互いを意識しつつも、練習の所々で時折談笑する姿を目にした。
この子達が、何を思ってこの1年間を競ってきたのか我々大人には知り得ない。

若くて優秀な指導者達が指導に充ってくれた。
保護者は見ているだけだった。

大飯の保護者が高浜の保護者に気遣いをしてくれ、避暑テントやコーヒーを提供してくれた。

大飯の保護者は、見た事はあるが名前までは知らない。
だが、いい機会だった。
6年生野球開始から現在までの過程を喋り合った。

そんな中、お互いに一致した考えがあった。
それは、可能であれば一緒に練習をしたいという事だった。
それがお互いの成長や活性にも繫がる。

この日は、夕日に染まるまでグラウンドで野球をした。
相手も我々も充実した1日だったと思う。

練習の最後、監督を中心とした円陣が組まれた。
それは、朝一のものとは全く違ったものだった。

今になって言える事。
この円陣が、後に一緒する事を物語っていたのかもしれない。

【二足のわらじを履く】とは
両立し得ないような2つの事柄を行うこと。

11月に入り、タグラグビーと6年野球を並行させる現況に心配を寄せ始めた妻。
みんなに迷惑を掛けているのではないかと愚痴ばかりをこぼす。
ここで言う「みんな」。
それは、第1話を読み返せば分かるだろう。

そんな事を横目に、急きょ出場できる事となったニュースポーツ杯が近付く。
日程が野球部の体験会と重なった為、後者の日程を変更してもらった。

ニュースポーツ杯の初日は雨天で順延となったが、その後は順調に開催される。
会場は越前町営野球場。
春の県大会の舞台である。

1つの野球場から4面の試合会場が取れる。
かなり広い。
5月の終わりとは違った雰囲気を感じさせたが、やはりあの時の記憶は蘇る。

美浜に勝って迎えた岡本(越前支部)との2回戦。
6点差を終盤にひっくり返した奇跡の大逆転劇。
続く3回戦は福井市の雄・社南に快勝。
そして王者・木田(福井市)に挑んだ準決勝。

夢と感動をもらった3日間が脳裏を過る。

初戦、春江ゆりクラブとの接戦を制す。
後に聞いた話だが、母親達もかなりの力が入っていたようだ。
やはり勝負事。
簡単には負けたくはなかったようだ。

2回戦は相手チームが棄権。
続く準々決勝で惜敗する結果だったが、それなりに納得できた試合だった。

帰り道、サービスエリアに立ち寄ってみんなで食事をした。
若狭高浜dreamsの結成から、ちょうど1か月。
既に子供達にも保護者達にもチームワークが出来ていたことを実感した。

間髪入れず、翌週にはオザキスポーツ杯が待ち構えている。
食事後、翌週に向けてのミーティングを全員で行って解散した。

—11月13日 オザキスポーツ杯―
トリムパーク金津を会場とする。
絶好の野球日より。
暑いくらいだった。
しかも、こんな遠くの会場まで多くの応援団が駆けつけてくれた。
応援団とは、前日のフラワーカップからこの日が休養となった5年生達。
5年生とその多くの保護者達が来てくれた。
本当に有難かったし心強かった。

対戦相手はEAST福井。
最終回での逆転で見事勝利した。
全員が出場して掴み取った勝利に全員が酔いしれた。
いつまでもこんな時間が続けばいいのにと誰もが思った。

翌週の2回戦は雨天の為に翌日へ順延。
その為、青郷の3人が当初から予定していた行事への参加で出場する事ができなくなった。
急きょ、全保護者で集まって話し合いを行った。

出場するにあたり、いろんな意見もあったが最終的には一致した意見となる。
—2回戦を棄権—
残念な形だったが、これで今年の公式戦は全て終了した。

今後の活動は今のところ未定。
時期を見計らって再開する事とする。
また、和田のメンバーはタグラグビーの練習に重点を置く。

無我夢中で活動してきた6年生野球が、とりあえず落ち着いた。
ここまでわずか2か月足らずの活動だったが、充実した時間だったのか、随分前からやってきたように感じられた。

この日を境にして、でき始めた空白な時間。
そして、この時間でそれぞれがそれぞれの進路を真剣に考える事となる。
ボーイズへ入団する子やソフトボールの練習会へ参加する子。
野球部へ入部希望する子、そして野球を一旦休む子。

当たり前のように一緒にいた時間が少しずつ変化する。
これ以上、みんなで一緒にいた時間が続かない事を私は察知していた。
そう、それぞれがそれぞれの未来へと歩み始めるであろうと感じ取っていた。

                      つづく






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6年生野球物語②~マリナーズがくれた人脈~

2017-03-21 23:15:27 | 6年生野球
—若狭高浜dreams—
ベターな名前だがまぁいいだろう。
早く試合がしたい。
そう思えるようになっていった。

「まずは、ニュースポーツ杯か。。。」
ニュースポーツ杯とは、6年生野球チームが出場する公式大会である。
数少ない公式戦の一つであり、知名度のある大会でもある。

10月の初旬頃だった。
ある時、ある疑問が私の頭をよぎった。
「ニュースポーツ杯の申し込みってどうすればいいのか?」

—若狭高浜dreams—
誇らしげに名付けたものの活動の目途はない。

「そうか、先方に申し込みの連絡をしてみよう」
会社の昼休みを利用して電話を掛けてみた。

すると、こう返答があった。
「現在、ダイレクトメールで参加チームを募っている段階です。募集32チームですが、現在、30チームから申し込みはあります。残りは2枠。そして、まだ返信してこないチームが10チーム以上あります。締め切りは来週末です。」

「へ?・・・・・」

言葉が出なかった。
しかし、よく考えてみればわかる事だった。

若狭高浜dreamsと名乗ったところで、これは架空のチームだ。
福井市をはじめ各市には、引退した6年生達に野球ができるようにと受け皿となるチームが設けられている。

だから引退後はそのチームに入るのが当たり前で、そこで活動する事となる。

過去、マリナーズを引退した6年生達は、どこかのチームに入れてもらう体制になっている。運営については一任している。私は、和田で過去に例のない6年生野球チームを作って、且つ運営をしようとしている。しかも野球未経験者だから野球における人脈は全くない。

しかし、わずかな人脈を辿った。
マリナーズで1学年先輩の保護者であった良子ちゃんに電話して、前年はどんな活動だったのかを詳しく聞いた。これまた1学年先輩の高浜クラブの保護者にもメールで同じような事を聞いた。

返答の結果、今年は公式戦に出場できない事がかなり濃厚であった。

「やはり、失敗してしまった・・・」
何も考えずに進めてしまった事を大きく後悔した。
2.3日程だっただろうか。
真剣に考えた。
この先をどうしようかと。

みんなが6年生野球が始まった事を喜んでいる。
そして楽しみにしている。

とある日の夕方。
練習試合でもなんでもいい、とりあえず紹介してもらえないかと、帰宅後すぐに県内にあるスポーツ店を調べた。

五十音順でまずはオザキスポーツ。
この時、ある人物から会長宅の我が家に何度もあった電話の内容を想い出した。
その人物とは元監督(現代表)である。
この人からは、練習試合が決まる度に電話をもらった。

春の県大会出場後は、特に掛かってきた。
しかも会話の入りだしのほとんどはこれだった。
「今、オザキスポーツから電話があって練習試合が決まった」

「これだ!」
私は瞬時にひらめいた。
若狭和田マリナーズを知ってくれるここならば、試合を紹介してくれるだろうと。

「オザキスポーツ主催の公式戦」
担当者と会話をし、このような大会があった事をはじめて知った。
必死で頼み込んだ。
想いが届いたのか、快く引き受けて下さった。
締め切りは10日後。
電子メールで概要と申し込み書が送られるので、返信すれば出場が受理されるとのこと。
電話を切った後、私は妻と子供達に喜びを伝えた。

そして同時に若狭和田マリナーズに感謝した。
この1年間、県内で名を馳せてくれたこと。
練習試合をオザキスポーツにお世話になっていたこと。
本当に有り難かった。

私は頭の中を切り替えた。
「私には人脈はないが、マリナーズが作ってくれた人脈はたくさんある」

次に小浜市のスポーツ店オンユアに行ってお願いをした。
すると、小浜市の6年生野球チーム代表者の連絡先を教えてくれた。
そして連絡を取って交流試合の約束をした。

ここから妻がLINEグループを作成してくれた。
青郷の保護者も含め連絡が取り合える環境が整った。

状況が上向きになれば、更に運気は上がるものだ。
現役の練習日、ひょんな事からニュースポーツ杯のことを元監督に相談してみた。
すると、元監督からも先方へ打診してくれた。

言っておくが我が家には2年生になる次男坊がいる。
この次男坊も野球を習っているため、私は現役組の練習に顔を出せるのである。

そして数日後、この大会の出場も決定となった。

この頃から6年生野球の事を考える忙しい日々が続いた。
そんな中、ここで私は若狭高浜dreamsのHPを作製する事にした。
こんなチームが存在する事を知ってもらう為にだった。
正直、意味があったかどうかは知らない。
だけど、できる事は全てやるだけだった。

10月に突入しても、中々練習日が設けられずにいた。
祭礼や行事ごとが多くあったためだ。
おまけに和田組は、タグラグビー大会に向けての夜間練習をも並行させた。
ろうきん杯に敗れ、途方に明け暮れた日々が少しずつ薄れていく。
6年生野球の2つの公式戦に加え、小浜市のチームとの交流試合。
そしてタグラグビー。
保護者の顔つきが以前のように戻っているのが分かった。
それが何よりも嬉しかった。

また、中学校の部活の体験会。
これについても顧問に連絡をして11月上旬に予定を組んでもらえた。

あの時、このチームでの活動を諦めていれば全ては無くなっていた。

諦める訳にはいかなかったその理由。
子供達が、迷わず私について来てくれていたこと。
そして、今年のマリナーズの会長をしてきたというプライド。
この2つだった。

10月も下旬に突入した。
後輩達が出場する若狭地区の新人大会。
ここで一つの行動を試みるつもりで足を踏み入れた。
その試みとは、スリーアローズの6年生保護者とのコンタクトだった。

マリナーズの試合よりも前にあったスリーアローズの試合。
この試合を蒼空と2人で見に行った。
すると、やはり知人の6年生保護者の姿がそこにあった。

—せっかくなので高浜と大飯一緒に練習をしてみないか—
知人の6年生保護者とは私の後輩にあたる。

そう提案すると、応援席にいたある方を紹介してくれた。
その方とは、スリーアローズの元事務局だった。
お互いに少人数な即席チーム同志。
わずかな時間での会話。
合同練習及び交流試合をする方向で決定した。
そしてこの出会いが、後に6年生野球活動の大きなカギになるのであった。

                     つづく
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