蒼い空の下で

文系男子の何気ない1日を記します。

若狭が14年ぶりの4強入り

2018-07-22 22:23:02 | 野球観戦
-若狭が14年ぶりの4強入り-
これを耳にして懐かしい記憶が蘇った。

今から14年前の2004年7月27日。
早朝、妻が陣痛で病院に駆け込んだ。
初産という事で長丁場となり、義母と気長に待ち続けた。

病院のテレビには、県大会準決勝の若狭対福井商の試合が放映されていた。
一進一退の試合は、最後までもつれ込む。
最後は、若狭が勝利して決勝戦へと駒を進めた。

確か十何年続いた福井商の決勝戦進出が途切れた年だった。

そして翌日の7月28日。
長男坊は元気な産声をあげた。

この日、次男坊の練習を休ませてもらって、準々決勝を観戦してきた。
さぼりと言われても仕方はない。
まぁ、そんな話はどうでもいいのだが。

-若狭対啓新-
両校には、当中学出身の選手が名を揃えた。

現高3年世代といえば、春の県大会が当町で開催された2012年に6年生だった子達である。
このホスト開催で青郷クラブが準優勝、高浜クラブが8強入りしたと記憶する。

「1学年上は上ノ山世代、そして1学年下は松本世代、うちの子はその谷間の世代なんですよ(笑)」
ある会合で、とある人が私にそう話してきた。


今朝、私は妻に思わずこう言っていた。
「この試合は、見えない糸に導かれて実現した試合なんかもな」
この時、妻は苦笑いをしたが、試合終了後にそれは分かった。

礼を終えた瞬間、啓新のある選手にたくさんの若狭の選手が詰めかけた。
抱き合っていた。
握手をしていた。
手をかざしていた。
そして、それを終えると泣いていたようにも見えた。

この日、別会場でも準々決勝が行われていた。
福井商は敦賀、そして美方は敦賀気比にそれぞれ敗れた。
姿を消したいずれの学校にも当中学出身の選手はいた。
あとは若狭にしか残っていない。

整列を終え、応援席に向かおうとする若狭の選手達。
その背中には、託された想いがはっきりと見えた。

                     おわり



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