ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

よどみなき純喫茶 (上野)

2011年07月14日 | 純喫茶
    
 音楽喫茶は物珍しさから何軒か見て回ったりしましてきましたが、純喫茶となると何かハードルが高いような気がして初めて某純喫茶に入ったのは去年の事でした。入って愕然。レトロな木の家具、インチキ臭いヨーロッパ調の調度品、所々ほころんだ革張り椅子、汚れてバリバリの雑誌が入ったマガジンラック、タバコの染み、コーヒーの染み、時代の染みが店中を汚しつくし、飲食空間=清潔という定義を覆します。そもそも純喫茶とは、赤線にあったカフェー(遊郭)が飲食よりも女性の接待を主とした特殊飲食店、または特殊喫茶店という法的な括りであったために、お茶をたしなむ場所は「純喫茶」という名称にしたということですが、本当でしょうか?私は勝手に、純喫茶が登場したであろう時を同じくして1960~1970年代に流行したフォークソングの似合う「純情をお茶を共に供する喫茶店」という切ない意味だと思っていたのです。

 純喫茶のいわれはともかく、先日名店と言われている御徒町はアメ横商店街にある『丘』に行ってみる事にしました。
    
 入ると驚きの連続でした。このお店は、東京五輪の年、1964年に開店したそうです。元々は戦後にアメリカ軍の物資を横流しする巨大な闇市場であったアメ横ですが、上野公園に1961年に日本で始めて本格的なクラシック音楽の劇場である東京文化会館が建ち、東京五輪開催を前に、上野界隈には時代の気運と共に文化的、国際的な風が吹いていた事でしょう。また当時の日本は芸能でもファッションでも、ヨーロピアンスタイルが流行でしたから、この時代の純喫茶はレンガと安物のステンドガラスで飾り立てた北欧の古城のようであったり、ガス灯を模した照明器具を配置した酒場のようであったりする事が多いようです。こちらの丘も中世の貴族の古城の中のようなスタイルでした。
    

 店舗は地下2階吹き抜けの豪華な作り。吹き抜けの階段部分には大きなシャンデリアがありきたりの日常を送る人々の心に揺さぶりをかけます。
  

 テーブルとテーブルの仕切りはオパール加工のプラスチック。内装が統一感が無くバラバラですが、タバコの煙で褐色に変色したシャンデリアは、お寺の伽藍を飾る装飾のように神秘的でした。
 

 
    
  上野は変わらない良さがある、そして変われない良さもまた上野にはある。

なんといっても地下2階吹き抜けですから大きな店舗です。上野駅前のレストラン「聚楽台」が無くなって上野、御徒町界隈では貴重な昭和を体感できる場所でしょう。かかっていた曲のディスコサウンド、少々年増のホステスさん達の筒抜けの会話も此方ならではの情景でした。