ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

そこは昭和の大迷宮(新仲見世商店街・中野区)

2011年05月04日 | 飲み屋街
 本当に、どこもかしこも新開発新開発で、あれよあれよといううちに似たり寄ったりのタイル張りのマンションやガラス張りのテナントビルばかりになりつつある都心です。しかし昭和の香りをピタリと封じ込めたまま濃密なカオスを放ち続ける中野区に関しては、それは当てはまりません。昭和60~70年代に行われた大きな駅前開発から、トンと平成の洗練された町並作りとはご縁が無いようで、近未来的デザインがかえって古色蒼然となってしまった中野サンプラザや、中野サンモール商店街、そしてその奥に中野ブロードウェイが、口を開けて中野駅に降り立った人々を、昭和の世界に誘います。
 ・・・主婦は電話機にカラフルな水玉色の電話カバーをかけて
 ・・・昭和のウエイトレスはカレースプーンを水の入ったコップに入れて運び
 ・・・家具調テレビを見ないときはレースの覆いを画面にかぶせ
 ・・・ブルジョアの子はピアノのお稽古
 ・・・新幹線にフルコースを食べれる食堂車があって
 ・・・木曜日になるとUFO特集番組が子供たちを震え上がらせ
 ・・・ケシゴムを忘れた子はウルトラ大怪獣のケシゴムでテストに挑む
あったらいいなは殆ど無くて、無くていいものだらけ、人情やお節介がまだ市井に残っていて、旅行に行けばみんなが熊の木彫りやこけし人形を買い求めて、町中に配り歩いてた、毎日が完成できないパズルのようで、それ故に明るい未来を鼓舞していた昭和の世界に誘うのです。
 中野は街全体が異彩を放っています。まず中野駅前北口の中野五丁目に、中野サンモールとそれに続くマンションを有する巨大なテナントビルの中野ブロードウェイ、その東側の裏路地は櫛の歯のように、一番街、二番街、三番街・・・と裏路地が形成されています。

 中野サンモール商店街の時計店の装飾。
  
 裏路地は多くの店が定食屋、居酒屋などの飲食店ですが、部分的に風俗店と混合になってるようです。
 
 電信柱の新年飾りがとても似合う鰻屋の一角。
  
 そのひとつひとつのお店を見て歩くと方向感覚が失われるような眩暈のような雑多さを見せる裏路地の通りなのですが、とりわけ「新仲見世商店街」はその奇異な様子から多くのブログなどで紹介されています。

 平行に並ぶ路地裏の中、少し中庭のように開けた場所に、バラックのスナックが立ち並び、今は既に無い香港の九龍城もかくやと思わせるような不定形な佇まいに、誰もが声を上げます。

 ポスター貼りまくりでパリなんて文字まで浮かび佐伯祐三の絵みたいになってる扉。スナックユンケルにもご注目。
 
ワールド会館は群を抜いて奇抜な建物です。飲み屋ビルなのですが、ウルトラセブンの目のようなダイヤ形の階段を囲む外壁の装飾など、作られた当初はかなり豪華で斬新なビルだったのでしょう。
 
 こちらは路地のさらに北側、中野ブロードウェイのマンションビルの隣の再開発地域で、かつてあった飲み屋街を壊している最中です。建て壊しになった空き地を覆う白い幌布の向こう、ポツンと廃屋のような店舗で営業を続けている店もありました。

 まだ何かを語りかけてくるようでもあり・・・。
  
おでんとお酒を研究中。

 
 中野駅から北へ、古めかしい新井薬師あいロード商店街を抜けると、眼病に効果ありとされ、徳川家の加護を受け、江戸時代から信仰を集めた「新井薬師」(梅照院)があり、ちょっとした江戸情緒溢れるスポットとなっています。
 
 新井薬師の参道でしょう、薬師柳通りという商店街もありますが、そこの柳並木は芸者街があった名残で、もう営業をやめた裏の小道に花園湯という銭湯もあるので、その意味深な名前からして、芸者街と共に遊郭街も形成されていたようです。
 
 旅行や観光という概念が無い時代から、様々なご利益を詠うお寺や神社は人々の非日常への好奇心を満たす別天地で、それに付随する土産物屋や芸者街もその賑わいの恩恵を受けていました。俗な娯楽と尊い信仰、一見相反するものが一元化した所に大きな富が生まれるスタイルは今も同じです。逆に崇拝や信仰心の欠けている娯楽は、一過性のものでその生命は短いとも言えます。
 
 新井薬師は「西の浅草寺、東の新井薬師」なんて言われていた時代もあるそうで・・・。今でこそ新井薬師は小さな境内ですが、裏に大きな児童公園や北野神社があり、それが当時は全てお寺の土地であったと考えるととても大きな規模であったようです。