切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

一月歌舞伎座、第三部を観てきました。

2021-01-24 21:16:52 | かぶき讃(劇評)
仕事帰りに観に行ったんですが、開演時間が早くなったんで、大急ぎで歌舞伎座に行きました。簡単に感想。

最初は、高麗屋親子三代の車引。親子三代でこの演目ができるっていうのは、今後もなかなかないでしょうから、希少価値のある舞台ではあります。

まず、染五郎の桜丸はさすがに荷が重い。柔らかみを要求される役だけど、歌舞伎の芝居の柔らか味はベテランでなければ出せない味。女形の大ベテラン先代芝翫が最晩年くらいにやった桜丸はさすがの舞台でしたけど、役の年齢設定でなくて、芸でその役の雰囲気を醸し出すのが歌舞伎ですから、高校一年生(でしたよね?)は大目に見なくてはいけない。でも、笠をとった顔立ちは若い頃の白鷗みたいな、ちょっとバタ臭いカッコよさで、隔世遺伝なのかなと思いました。

次は当代幸四郎の梅王丸。わたしは割と力感があっていいなあ~思いました。若い息子との共演だから迫力が増して見えるのかもしれないけど。ただ、桜丸が中堅ベテランクラスだと違う感想になったかもしれませんが。

で、最後は松王丸の白鷗。なんだかんだで、この人が出てきたら、幸四郎の梅王丸も霞ました。齢八〇歳近いベテランの声量と迫力が一番立派だというのは、歌舞伎の面白いところ。白鷗はとかく老け込んだ芝居をやりたがりますが、このひとこそ、坂田藤十郎の「一生青春」を継ぐ資格のある人で、老け込んだことなんかやらないで、若々しくやってもらえれば、いいと思います。個人的には、白鷗の前に、弥十郎の時平の印象が薄くなってしまったほどでした。

次が、落語ネタの「らくだ」。

わたしは、歌舞伎の「らくだ」はあまり好きじゃないんですが、なぜそう感じるか、ちょっとヒントをもらったような気がします。

今回は芝翫がやくざ者の半次で、紙くずやが愛之助。芝翫が江戸弁で、愛之助が関西弁という、変わった趣向で、どちらの芝居も単体では巧かった。芝翫はこの人の「髪結新三」の再演が観たくなったし、愛之助の方も弱気なところや酔っぱらていくあたりが桂米朝の落語を思い出した。左團次の家主もよかったし、梅花の糊売婆さんなんか特に良かった。つまり、個別の芝居は悪くないんです。

でも、芝居全体としては、わたしは笑えなかったし、よいとも思えなかった。で、わたしが考えたのは、以下の点。

①落語だと感じる半次の怖さが足りない。
六代目松鶴や小三治、若い頃の談志のCDを聴いてもらうとわかるけど、落語の「らくだ」って、最初は物凄く怖い演目なんですよね。そこが歌舞伎だと薄まって感じる。

②落語だと感じる丁々発止の感じが薄い。
落語みたいな話芸だと、半次と紙くずやのやり取りの押引きとか力関係の強弱と変化が強調されるわけだけど、歌舞伎だとそこまで相手に突っ込まない印象がある。

③死人に「かんかんのう(踊りのことです。)」を踊らせることの気持ち悪さを、演者も観客もあまり実感できない(信じてない)
脚色や演出の問題だと思うのだけど、芝居としておどけているんであって、芯から気持ち悪い、怖いという感じを舞台では出しにくいのかもしれない。死人(らくだ)が踊るところを、芝居だとギャグっぽく見せるでしょ。それが逆効果で、怖さとか気持ち悪さを削いでいる。

④落語だと感じる下層庶民の雰囲気が希薄
八代目可楽の「らくだ」が一番の好例だけど、渋くてリアルな庶民生活の雰囲気が今の役者では出てきづらい(一時期の前進座なら、そういう雰囲気も出せてたかもしれないが・・・。)。

というようなわけで、興味のある方は落語を是非聞いてください。また、歌舞伎の「らくだ」については新演出を期待します。

最後に、わたしの観た日は7時59分終了で、8時前のルールを守ったわけだけど、なんか演劇にまでこういうルールを機械的に守らせる意味があるのか、疑問には思います。歌舞伎座を出た後はどこのお店も締まっているんで渋谷のTSUTAYAに寄ってから帰ったんだけど、渋谷のTSUTAYAも閉店が9時で、30分弱で借りるDVDを選ぶのが大変でした。会食とか満員電車対策に絞った方がよいんじゃないのっていうのが、個人的な感想です。ま、ステイホームを快適に過ごすのも大変ですよ。では、蛇足でした。














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