ハンセン病問題に関する情報、思ったことなど
ハンセン病問題ノート
中山秋夫さんの詩
沢山(たくさん)の仲間を
見送った果ての
とまどい
下を向いて歩け
死顔(しにがお)に
躓(つまず)くから
国立療養所邑久光明園(岡山県瀬戸内市)に暮らす詩人、中山秋夫さん(85)の詩「生き遺(のこ)って」の一節だ。この詩は6月、岡山市で開かれたハンセン病国賠訴訟熊本地裁判決(01年5月)の記念集会で朗読された。隔離政策を「違憲」と断じた判決から5年。今も、亡くなった友への鎮魂の思いを胸に詩作を続けている。
1939年、19歳で園に入った。入所者が運営を担わされていた戦後間もないころは重病室に勤務し、300人を超える死に立ち会った。「友が死に、私が残される。その積み重ねの中で詩を作ってきた」
40代で失明。浮かんだ詩は看護師や介護員に代筆してもらい、句集、詩集などを次々と発表した。国賠訴訟では瀬戸内訴訟原告団代表も務め、和解を勝ち取った。
もういいかい骨になってもまあだだよ
死んで骨になっても故郷に帰ることのできない悲しみを歌った一句。中山さんは「帰れないのは今も変わらない」とつぶやく。勝訴判決がもたらした光も、照らしきれない現実。その重さを改めて感じている。
【2006.10.02 毎日新聞 大阪 生の証し、詩に込め=岡山支局・佐藤慶】
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