胎児標本:邑久光明園に取材したTBSニュース

 「廊下の外に放り投げてあったんです。子どもを・・・。まだ泣きよったからな・・・」(堕胎させられた松下ヨシエさん)
 手術に当たった元看護師の証言も。

http://news.tbs.co.jp/20061003/headline/tbs_headline3393952.html

ハンセン病の強制堕胎、岡山で慰霊祭

 ハンセン病の患者らが強制堕胎を強いられ、全国の国立療養所にホルマリン漬けの胎児の標本として残されている問題を以前、お伝えしました。このうち、全国で最も多くの胎児の標本が残っていた岡山県内の療養所で3日、合同慰霊祭が執り行われました。

 合同慰霊祭がとり行われた岡山県の邑久光明園では3日、参列しました入所者の代表者は、「厚生労働省が謝罪しても堕胎させられた母親には簡単に納得できるものではない」ということを非常に厳しい口調で語っていました。

 かつて、絶対隔離の島だった岡山県の長島。入所者の平均年齢は79歳。出席した入所者も介護士の付き添いが必要です。邑久光明園には全国の療養所に残されていた胎児115体のうちの49体がありました。

 慰霊祭で厚生労働省は、国策で胎児の命を奪ったことに謝罪しました。
 「厚労省を代表して心からお詫び申し上げます」(厚生労働省の代表)

 49体の胎児標本のうち21体はカルテなどもなく、両親が特定できませんでした。入所者は法律に基づかない男性への断種、女性への堕胎を国が黙認したことに強い批判の声を上げました。

 国立療養所の標本室。強制堕胎させられた胎児たち。60数年にもわたって放置されてきました。昭和16年8月28日、堕胎させられた日です。ガラス容器の中の胎児。表情は天使のようにも見えます。
 「廊下の外に放り投げてあったんです。子どもを・・・。まだ泣きよったからな・・・」(堕胎させられた松下ヨシエさん)

 母親の胸のわだかまりは消えません。自ら堕胎手術に当たったという元看護婦が健在でした。今年99歳になります。
 「まだ子どもに意識も何にも別にないし、同じ病気になったら、かわいそうだから・・・かえって私は亡くなったほうがいいと思いました」(堕胎手術をした元看護婦)

 高まる軍靴の響き。祖国浄化がうたわれました。ハンセン病は国の恥。根絶やしにする国策がとられました。
 「殺すと言ったらいかんかもしれんけど、見殺しやね」(池田シヅエさん)

 邑久光明園に暮らす池田シヅエさん(84)。昭和16年、妊娠7カ月。女の子を堕胎させられました。胎児は4日、火葬されます。池田さんは我が子を一度も抱くこともありませんでした。

 3日の慰霊祭は、決して胎児問題の終わりではないというのが入所者たちの共通した認識です。研究対象にもならず、なぜ命を奪われ、そして長年にわたって放置されてきたのか、検証を続けてほしいという思いです。

 こうした国の過ちを繰り返さないためにも、こうした事実を我々も報道していくことが大切です。(03日18:08)

動画への直リンク
http://news.tbs.co.jp/ram/news3393952_2.ram (real)
http://news.tbs.co.jp/asx/news3393952_3.asx (windows media)

 

10月6日付け、栗生楽泉園での慰霊祭http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline3396224.html

 

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